クロアチア・スロベニア・ボスニアヘルツェゴビナ10日間( trapics )の旅。 -2015.07.16~2015.07.25-
上記地図:クロアチアツアーズHPより転載
オパティア(Opatija)に宿泊し、イストラ半島港町めぐりへ。プーラ(Pula)→ 🚌 → ポレチュ(Poreč)→ 🚌 → ロヴィニ (Rovinj))→ 🚌 → オパティア(Opatija) -2015.07.18-
イストラ半島の南端に位置する。ローマ帝国時代から貿易の要衝として栄えた古代都市。紀元1世紀に建てられた「円形劇場」、「神殿」、「セルギ門」などの古代ローマ遺跡が旧市街にある。
一世紀に建設されたローマ帝国時代の「円形劇場」。当時は闘技場として使われていた。劇場は楕円形で、長径130m、短径100mあり、2万5000人が収容できた。外壁などがよく残っており、往時を伝えている。
円形競技場内にはステージが設けられている
旧市街の入口に建つコリント様式とヘレニズム様式の石門。プーラの有力者であったセルギ家の3兄弟がアクティウムの海戦に参加し、活躍したことを記念して紀元前1世紀に建造された。ヘレニズム様式の彫刻が施されている。表面に黄金の装飾が施されていたことから「黄金の門」ゴールデンゲート(ラテン語: Porta Aurea)とも呼ばれている。
鷲が蛇を襲っている模様
鷲は"ローマ"、蛇は"エジプト"。クレオパトラ・アントニウスの連合軍とオクタヴィアヌス軍の戦い:古代ローマ時代のアクチウム海戦でオクタヴィアヌス軍が勝利したことを表している。
古代ローマ時代からの市壁に開けられた10箇所の門のうちの1つで、2~3世紀頃に建設された。現在は「イストリア考古学博物館」の正面ゲートとして使われている。
紀元前1世紀に建てられた門。旧市街に残る門では最も古い門で、アーチの上部にヘラクレスの顔のレリーフがあるため「ヘラクレスの門」と呼ばれているそうです。
プーラのミニチュア模型
紀元前2世紀~1世紀にかけて古代ローマの都市として建設された。現在はアドリア海屈指のリゾート地だが、石畳の古い街並みの旧市街や港の風景が美しい。
アドリア海沿いの道を歩く
「市庁舎」
「スロボダ広場」
ポレチュの旧市街の玄関口となっている広場。
広場に面して建っているのは、
18世紀の天使の「聖母教会」
旧市街の石畳
海沿いのプロムナード
ランチは海沿いのレストラン
「Sveti Nikola」
テーブルウエアが素敵!!
6世紀初頭に建設された初期ビザンチン建築の大聖堂。キリストと12史がモチーフのモザイクが画が見事。1997年に世界文化遺産に登録された。
「エウフラシス大聖堂」の入口
入口の黄金のモザイク
「アトリウム」(Atrium)
「アトリウム」から見た「鐘楼」
「八角形の洗礼堂」(Baptistery)
-屋根-
「八角形の洗礼堂」(Baptistery)
-洗礼室-
「洗礼堂」から見た「鐘楼」
「聖堂」
身廊の両側に12本の柱
「内陣」
ドーム最上のキリストと12使徒がモチーフのモザイク画。中央にキリスト、左は天国の鍵をもつ一番弟子のペテロ、右はパウロ。
中央に幼子のキリストを抱いた聖母マリア。その両脇には大天使、脇には聖人。丸い縁の中に描かれているのは殉教した12人の聖女たちで一番上の子羊は神キリストの象徴だそうです。左から2番目の大聖堂の模型を持っているのが聖エウフラシス。
「礼拝堂」から続く床のモザイク
「司教館」にあるモザイク
キリスト教のシンボル
「魚のモザイク」
1283年から1797年までヴェネツィアの支配下だったため、街並みもカラフルでイタリア的。街ではイタリア語がクロアチア語とともに公用語となっている。
「聖エウフェミア教会」の鐘楼がそびえ立つ
ロヴィニのシンボル
「聖エウフェミア教会」の鐘楼
鐘楼の上には3世紀に15歳で殉教した
「聖エウフェミアの像」
銅製で風で回る
丘の頂上に建つ、バロック様式の教会。ヴェネツィア・バロック様式のファサードは1883年に完成。横にある鐘楼はヴェネツィアのサン・マルコ広場の大聖堂の鐘楼を模して造られた。305年に殉死した15歳の少女エウフェミヤを祭っている。
主祭壇には3人の聖人像
教会広場からの眺め
旧市街を散策
「市場」
平たい果物は桃!!
細い路地の向こうに見える
アドリア海のブルーが素敵!
ロヴィニの港と新市街
イストラ半島の付け根のアドリア海を臨む高級リゾート地。「クロアチアの貴婦人」「クロアチアのリヴィエラ」と称される。街並みはエレガント。この街のホテル「HOTEL BRISTOL」に連泊。
宿泊ホテル「HOTEL BRISTOL」
「乙女とカモメの像」
町のシンボルとも呼べる有名な彫刻「乙女とカモメの像」。岩の上に立ち、アドリア海の向こう側を見つめ続ける少女の彫刻は、20世紀に活躍したクロアチアの彫刻家ズボンコ・カル(Zvonko Car)によって手掛けられた作品。1956年に設置された。
「バルカヨル(barkajol)の像」
バルカヨルとは「船頭さん」を意味する。かつてオーストリア・ハンガリー帝国の貴族たちを乗せた遊覧船が発着していたこの港で貴族たちを船に乗せ、楽しませたバルカヨルの存在があった。古くよりオパティヤの観光業、町の発展に大きく貢献した船頭さんたちを称えて造られたとのこと。