1159(平治元)年、平治の乱で戦死した首藤(山ノ内)俊通の供養として息子の經俊が「明月庵」を建てたのがはじまり。約百年後の1256(康元元)年、第5代執権北条時頼が出家のために「最明寺」を建立。最明寺は時頼没後に廃絶したが、その息子で第8代執権の時宗が最明寺跡に「禅興寺」を創建。そして1380(康暦2・天授6)年、鎌倉公方の足利氏満から禅興寺中興の命を受けた関東管領・上杉憲方が寺院を拡大し、塔頭も建てた。この時、明月庵は「明月院」と改められた。禅興寺は一時期、関東十刹の一位にまでなったが、明治初年に廃寺となり、筆頭の支院だった明月院だけが残った。~鎌倉観光公式ガイドHPより抜粋転載~「明月院」の境内は国指定の史跡。境内を埋める数千本のあじさいは「かながわの花の名所100選」に選ばれており、シーズンには多くの人で賑わう。-2017.06.27-
花想い地蔵
境内を埋めるあじさいは
"明月院ブルー"とも言われている
「瓶の井」
鎌倉十井のひとつ。その中でも、現在も使用できる貴重な井戸。岩盤を掘りぬいた井戸で、内側が水瓶のようにふくらんでいることから「瓶の井」と呼ばれる。「つるべの井」とも呼ばれる。
「開山堂」
明月院を開山した
密室守厳の木像が祀られている
本堂の「円窓」
人気のため写真を撮影する人たちで行列が💦
今回はあきらめました😢。
明月院パンフレットより転載
御朱印