宮島(廿日市市宮島町)


宮島は、太古からその島の姿と、弥山(みせん)を主峰とする山々と、昼なお暗い原始林に覆われた山容に霊気が感じられたところから、周辺の人々の自然崇拝の対象となっており、「嚴島神社」の門前町、港町として発展。日本三景の一つとして知られ、島全体が国の特別史跡、特別名勝。「嚴島神社」は、世界遺産の文化遺産にも登録されている。弥山の原始林は、国の天然記念物。3度目の宮島・弥山訪問。 -2019.12.05-

豊国神社 <国重要文化財>


通称:千畳閣(せんじょうかく)。桁行13間約24m 梁間8間約15m 単層本瓦葺入母屋 木造の大経堂。豊臣秀吉公が、千部経の転読供養をするため天正15年(1587)発願し、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に建立を命じたが、秀吉の死により未完成のまま現在にいたっている。 明治時代に秀吉公と加藤清正公が祀られ、「豊国神社」となっている。入母屋造りの大伽藍で857畳の畳を敷くことができ、軒瓦には金箔が押してあることから完成していれば、さぞや豪華な桃山文化を取り入れた大経堂になっていたと思われる。

此の建物は天正十五年(1587)に豊臣秀吉公が安国寺恵瓊に命じて建立したもので俗に千畳閣といいます。桃山時代の豪放なもので重要文化財であります。秀吉公の気風をよく現した建物ですが途中で秀吉公が逝去した為未完成のものです。この千畳閣は元来大経堂(読経所)として建てられたもので仏像を安置してありました。明治初年神仏分離の際仏像は大願寺に移し豊臣秀吉公を祀って豊国神社と称し毎年九月十八日に例祭がおこなわれます。~下記案内板より転載~

御神座の上以外は天井が張られていない

板壁もない

中央「御神座」

しゃもじ奉納

宮島の杓子は江戸時代(1800年頃)島内寺院光明寺の僧、誓真が弁天様の持つ琵琶の形より考案し島の産業して島民に伝えたのが始まりとされています。ご飯を装うのが飯を取るので「めしとる」と言い選挙やスポーツの勝利又家内安全、商売繁盛等の願いを込めて御神前に奉納されたり或いは家に持ち帰られたりされています。~境内案内板より転載~


梁間から隣接の「五重塔」が見える。

五重塔 <国重要文化財>


高さ:29.3m 方:4.6m。応永14年(1407)建立。桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造。内部は彩色がしてあり豪華絢爛。内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれている。

五重塔 

一.重要文化財 一.応永14年(1407)建立 一.総高:29.3m

建物の形式は禅宗様に和様を加え特徴として屋根軒先の反りが大きい(禅宗様)入口の板扉(和様)などに見られる。~下記案内板より転載~


宮島・弥山散策


宮島・弥山の遠足は、こちら“宮島・弥山散策(Dec.2019)”へ。2011年の遠足は、“宮島・豊国神社・弥山散策(Nov.2011)”