「多摩川七福神巡り」の後、下丸子方面へ。「六社神社」「蓮光院 武家屋敷門」、新田義興にまつわる「妙蓮塚三体地蔵」を巡ってきました。(下記地図オレンジ色枠の箇所) -2025.01.05-
多摩川七福神パワースポット巡り
上記:大田区HPより転載
六所神社御由緒
祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)伊邪那岐命(いざなぎのみこと)素盞嗚命(すさのおのみこと)大宮比売命(おおみやひめのみこと)瓊々杵命(ににぎのみこと)布留大神(ふるのおおかみ)
社殿:「本殿」昭和13年(1938)6月建築 「拝殿」嘉永5年(1852)12月建築(昭和13年に改築)
由緒:鎌倉時代、四條天皇の御宇の文暦元年(1234)に、荏原左衛門義宗が多摩川下流のこの下丸子の地に、六柱の神々を奉斎したのが当社の創祀であると伝えられている。~下記案内板より抜粋転載~
「一の鳥居」
「二の鳥居」と「茅の輪」
「手水舎」
「拝殿」
拝殿は江戸後期の嘉永五年(1852)に造られたもので、本殿が造られた年に改修されている。向拝の彫刻に歴史を感じる。
「本殿」
昭和13年(1938)建築
「三峰神社」
「稲荷神社」
寿福山蓮光院円満寺と号し、院号を公称している。本山直末寺院で、開基は不詳であるが、中興開山源清は、天正2年(1574)3月8日示寂。本尊大日如来を安置す。六阿弥陀第五番、玉川八十八ヶ所第五十九番の札所として、古くから信仰され、村社六所神社および末社諏訪神社、天祖神社の別当寺として、村の行事一切をおこなっていた。境内には備前池田家の表門であったと伝えられる「武家屋敷門」が山門として使用されている。境外仏堂に「妙蓮塚三躰地蔵尊」があるが、討死した新田義興の従臣3人を祀ったものといわれる。~大田区の寺院より抜粋転載~
山門「武家屋敷門」の鉄扉が閉まっており、寺院の入口を探し周ってみたが入口が見つからず…。あとで調べたら、この「方丈」から入るらしい。残念😢でした。
「武家屋敷門」
<東京都指定有形文化財(建造物)>
もと池田山にあった岡山池田家の大名屋敷の門であったと伝わる。池田山から大田区馬込町に移築し、さらに昭和10年頃蓮光院の山門として現在地に移築された。門の中央に両開きの門扉を構え、装飾は簡素ながら、欅の玉杢板を用いるなど材料は吟味されている。下部の壁の一部をなまこ壁、上部は漆喰壁とし、軒裏を垂木まで漆喰で塗込めている。また門脇の片側には出格子窓のついた番所があり、番所内の門内に面した側には式台を構える。建築年代は江戸末期と推察されるが、二度の移築を経ているにもかかわらず保存状態は良好で、格式からすると1〜5万石の小大名格の武家屋敷門とも考えられるが、この格式の門の保存例は少なく、貴重な遺構。 東京都教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
「蓮光院」の入口を探して一周。
二度目は門が閉まっていた。
矢口渡で義興公に殉じた13人の家臣のうち、土肥三郎左衛門、南瀬口六郎、市河五郎の3人は潜水して、対岸の数百の敵中に斬りこみ、討ち死にした。この時、村老たちが集まって、この3人の遺体をこの地に葬り、霊を慰めた。その後、妙蓮という尼僧がこの三勇士のために地蔵尊を建立したのである。~新田神社HPより転載~
「地蔵堂」
三躰地蔵
「妙蓮塚忠魂碑」
「地蔵堂再建記念」
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