JR大森駅から「大森・海上公園ウォーク」の下記MAPを参考に散策してきました。「磐井神社」「大森神社」「平和の森公園」「大森 海苔のふるさと館」「大森ふるさとの浜辺公園」「京浜島つばさ公園」「東京湾野鳥公園」へ。キャッチコピー通り "大田の魅力、再発見" でした!! -2025.01.31-
式内社と呼ばれる古い格式をもつ神社である「三代実録」によれば、貞観元年(859)「武蔵国従五位下磐井神社官社に列す」とあり、この神社を武蔵国の八幡社の総社に定めたといわれ、また平安時代(十世紀)に編纂された『延喜式』の神名帳に記載されている。別名鈴森八幡宮とも呼ばれ、当社の由緒書によれば、江戸時代には、徳川家の将軍も参詣したことが記されている。万葉集の「草陰の荒蘭の崎の笠島を 見つつか君が山路越ゆらむ」の歌にある笠島とは、ここの笠島弁天を指したものという説もある。 大田区教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
「鳥居」
「手水舎」
「磐井の狛犬」
親犬と三匹の子犬に囲まれた狛犬は、子宝・安産・家族円満の象徴として親しみと愛情が込められている。~下記案内板より抜粋転~
「社殿」
※「磐井神社」は、2023年の"東海七福神巡り"で参拝。詳細は、 「東海七福神巡り」(Jan.2023) へ。
天正年間の創建と伝えられる。当時この辺りは海辺であり、里人達は漁業をもって生活をしていた。ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れつき里人達は畏れて沖へ流すこと三度に及んだが元の場所に寄り来たるので社を建てて、この像を祀ったのが当社の起源といわれている。そのため、この社を寄来(よせき)明神と称し、また寄来神社と称した。明治元年(1868)に神祇伯白川資訓王より大森神社の社号並びに額面を賜わり、その後昭和7(1932)年10月大東京都実現の折に「大森神社」と公称するようになった。~東京都神社庁HPより転載~
「社殿」
環状7号線をはさんで南北に広がり、面積は約9万9,000㎡で、区内最大級の公園。「平和の森公園」という名称は、恒久平和を求める大田区民の永遠なる願いを込めて名付けられており、昭和59年(1984)8月15日に「平和都市宣言」を行い、その記念の塔として「愛し子」の像を建立し、公園のシンボルに。
大田区の花である梅、園内通路沿いに約150mに渡って植えられており、「梅ロード」の愛称で親しまれている。
昭和38(1963)年春、大田区をはじめとする東京都沿岸での海苔養殖は、その長い歴史に幕を閉じた。江戸時代の中頃から作り始められた大田区の海辺の海苔は、味・量ともに全国一を誇り、ここから全国へ海苔生産方式が伝えられた。長らく先駆的役割を果たしてきた"海苔のふるさと"です。平成20(2008)年、「大森 海苔のふるさと館」は、海苔の"本場(ほんば)"とも称されたこの地に開館。国指定の重要有形民俗文化財「大森及び周辺地域の海苔生産用具」(881点)を含む約150点の資料の展示を中心とした、地域文化の伝承と創造の場です。~大森 海苔のふるさと館HPより抜粋転載~
海苔のふるさと館リーフレット
1階:展示室・ライブラリー・体験学習室
大田区に唯一残る海苔船(伊藤丸)
海苔つけ場情景復元
2階:展示室・講座室
海苔づくりの一年
3階:展望室・展望テラス・屋上
展望テラスの花壇「天空ガーデン」
屋上からの眺め
「大森ふるさとの浜辺公園」の展望
平成19年(2007)に誕生した人工砂浜や人工干潟を持つ都内では初めての区立海浜公園。
「ふるさとの広場」
長~い"ローラースライダー"
「浜辺橋」
「浜辺橋」の眺め
奥の水門は「内川水門」
「内川水門」
「海辺の自然公園」
「レストハウス」
「白砂の浜辺」
ここから「京浜つばさ公園」「東京港野鳥公園」まで歩きます💦。
「京浜つばさ公園」「東京港野鳥公園」は、 大森・海上公園ウォークⅡ(Jan.2025) へ。