「江戸最初・山手七福神」は、江戸城の裏鬼門守護のため、将軍の鷹狩りの際に参詣した「目黒の不動堂(瀧泉寺)」の参詣道筋に設置された江戸時代から続く、江戸最初の七福神巡り。「山手七福神」では、「恵比寿神・弁財天・大黒天」→「福禄寿尊・寿老人尊・布袋尊・毘沙門天」の順にお参りするのを「商売繁盛祈願」、反対の順でお参りするのを「無病息災・長寿祈願」としてご利益があると言われている。
「無病息災・長寿祈願」を願って、白金台駅→覚林寺(毘沙門天)→瑞聖寺:(布袋尊)→妙円寺:(福禄寿、寿老人)→大円寺:(大黒天)→蟠龍寺:(弁財天)→瀧泉寺:(恵比寿)の順で巡りました。ご利益がありますように!! -2023.01.03-
目黒区HPより転載
参詣のしおり
毘沙門天(びしゃもんてん)
日蓮宗の寺院。山号は最正山。清正公(せいしょうこう)の通称で知られる。小湊誕生寺十八世可観院日延が開山となり寛永8年(1631)に創建。可観院日延は、朝鮮の王族出身だが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正に捕えられ、後小湊誕生寺十八世となり、当地に隠居、当寺を創建したという。当寺では加藤清正を祀った清正公堂が著名で、毎年五月四日五日の両日に行われる清正公大祭には人生の苦悩に打ち勝つお守りとして「しょうぶ入り御勝守」が授与されるという他、軍神の毘沙門天を祀っており、山手七福神の一つとなっている。
山門
江戸末期の1856年建立。港区指定有形文化財。
清正公堂
拝殿・幣殿・本殿からなる権現造。山門と共に港区の有形文化財に指定。
毘沙門堂
毘沙門天は古代インドのクーベラという神様がもととなり、別名をヴァイシュラヴァナという。これを漢字にすると「毘沙羅門」となり、これが毘沙門天となった。元は武人の神様だが、日本では財福の神様として信仰。病をなぎ倒すという意味合いで無病息災のご利益があるといわれる。仏教では北を守る神であり、四天王として祀られる場合には「多聞天」と呼ばれることもある神様。
稲荷堂
布袋尊(ほていそん)
山号は紫雲山。青木甲斐守重兼が開基、黄檗宗を日本に開宗した中国僧隠元の弟子である木庵性滔を開山として寛文10年(1670)創建。瑞聖寺の布袋尊は、山手七福神の一つとなっている。
大雄宝殿
1757年の建造。黄檗宗では本堂に相当する堂を大雄宝殿と呼ぶ事が多い。大雄宝殿は黄檗宗独自の様式のもので、国の重要文化財に指定されている。
布袋尊は中国が唐の時代に実在したとされる「契此(かいし・けいし)」という僧侶がモデル。丸くてぽってりとした太鼓腹、大きな袋を担いでいる姿として描かれる。日本には鎌倉時代に伝わったとされ、庶民からは福の神としてあがめられるように。持っている大きな袋は「堪忍袋」とみなされ、度量の広さを意味するといわれている。瑞雲寺の布袋尊は、大雄宝殿の中に安置されており、こちらも7日までに巡らないと拝観できない。多くに恵まれるということから、子宝や夫婦円満、商売繁盛、無病息災のご縁が得られるといわれている。
本尊 釈迦如来像脇士 阿難・迦葉像
(港区有形文化財)
本尊釈迦如来坐像(寄木造)は、体部背面に金泥で記した「寛文十一辛亥」の銘があり、瑞聖寺開山の時の造像であったことがわかる。また、頭部内刳面に「音羽仏師祐運次郎兵衛」の墨書銘があり、京仏師の作と。両脇侍の阿難・迦葉立像(寄木造)も、釈迦如来像の一具像として、保存もよく、伝存するのは貴重。中国明時代の様式を伝えた、区内における稀有の作例として貴重です。~港区教育委員会掲示版より抜粋転載~
雲板(うんぱん)
開梛(かいぱん)と同じく時を知らせるためのもの
庫裏
2018年の築造。設計は隈研吾。寺院に併設された僧侶のための施設で中央の水盤を囲むようにコの字型に設計。これは開かれた寺院をイメージしての配置とのこと。
庫裏側から見た大雄宝殿と
水盤に映る大雄宝殿♬
鐘楼
明治18年築
福禄寿尊(ふくろくじゅそん)・寿老人尊(じゅろうじんそん)
山号は誠瀧山。日蓮宗寺院の妙円寺は、瀧本院日忍(俗称瀧本采女、元和6年1620年寂)が開山となり創建。瀧本采女が足利幕府に仕えていた時に足利義輝より拝領したという妙見大菩薩の他、山手七福神の福禄寿尊・寿老人尊が祀られている。
本堂
妙見堂
妙見大菩薩、
福禄寿尊・寿老人尊が祀られている
寿老人は頭の長い老人で杖やうちわを持ち、桃や鹿を一緒に従えているのが特徴。福禄寿は長い頭と長いあごひげ、大きな耳たぶが特徴で宝珠や巻物をくくりつけた杖を持つ姿をしている。福禄寿・寿老人ともに、長生きや健康、財をもたらす神。
境内に梅が咲いていました♬
大黒天(だいこくてん)
山号は松林山。大円寺は、江戸市中から目黒不動尊への参詣路であった急坂「行人坂」の途中に位置する天台宗のお寺で、大黒寺とも呼ばれている。寛永元年(1624)、出羽湯殿山の修験僧大海法印が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりと伝えられている。大円寺の「三面大黒天像」は、山手七福神の大黒天となっている。
本堂
寛永元(1624)年に再建された当時のもので、寺伝によると芝白金あたりの寺のご本堂を買い受けて移築したとあり、文政・天保期の建造物と推測されているようです(平成2年に補修・改修)。ご本堂には木造「十一面観音像(区指定文化財)」と徳川家の繁栄と江戸発展守護のための「三面大黒天」が安置されている。大円寺は江戸城の裏鬼門(南西)方向にあるため、護国豊穣の神である大黒天を安置し、江戸の安泰を依願。大黒天のモデルは、徳川家康といわれている。
釈迦堂
ご本尊の"生身の釈迦如来”と言われている「清涼寺式釈迦如来立像」(国重要文化財)は、建久4年(1193年)に造られた。寄木造り、高さ162.8cm。
薬師如来
体の悪い箇所に金箔を貼り、祈願するとご利益があるとのこと。真言「オンコロコロ センダリ マトウギソワカ」
大円寺石仏群
明和9年2月(1772)、本堂から出火、江戸六百余町を焼き、多くの死者を出したが、その供養のために造られた「釈迦三尊・十六大弟子、五百羅漢の像等の「大円寺石仏群」(都指定文化財)が建てられた。新東京百景にも選定されている。
とろけ地蔵尊
江戸時代に品川沖で漁師の網にかかって出現した地蔵尊で、庶民の悩みを解消してくださる信仰がある。
阿弥陀堂
「木造阿弥陀三尊像」(区指定文化財)や八百やお七の火事にまつわる西運の上人の木造、お七地蔵などが祀られている。
八百屋お七と吉三(西運)の碑
大円寺の福田実衍(じつえん)師が、昭和18年、同寺に念仏堂を再建した際、万葉集出画撰を描いた大亦観風画伯に「お七吉三縁起絵巻」を描いてもらった。その一部、木枯らしが吹きすさぶなかを、念仏鉦を力一杯たたき、念仏を唱えながら、日参する西運の姿を刻んでいる。また、上部に書かれている賛は「吉三発心 只たのむ かねの音きけよ 秋の暮」と書かれている。
六地蔵
弁財天(べんざいてん)
山号は霊雲山称明院。目黒行人坂付近にあった称明院(慶安元年1648年開創)を、増上寺の霊雲上人が浄土宗の戒律を復興するため現在地に移し、宝永6年(1709)霊雲山称明院蟠龍寺と改名再建された。次いで、寛政6年(1794)律院となったが、「不許辛肉酒入山門」の結界石がその名残りを今にとどめている。山手七福神の一つで、江戸裏鬼門の鎮守として岩窟内に石造弁財天、弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)が安置されている。
本堂
本尊として「木像阿弥陀如来像」(都指定文化財)があり、天明年間(1781-1788)に東都三番札所となり善光寺式阿弥陀三尊像も祀られている。
池のある境内
弁財天
インドの水(川)の神、川の水がさらさらと流れる音色から音楽の神ともいわれる。智慧・弁才・財をつかさどり、音楽や芸術など上達の神や財運上昇の神として慕われている。弁天堂内に木造弁財天(八臂の天女像)と岩窟内に石造弁財天があり、七福神巡りの時期だけ、弁天堂を開帳します。
弁財天堂
"木造弁財天"(八臂の天女像)
岩屋弁天
江戸裏鬼門の鎮守"石像弁財天"
おしろい地蔵
このお地蔵さまは関東大震災で被災をしたために、浅草より当寺に移って来られたもので、お顔がかけている珍しいお地蔵さまです。言い伝えによると、その昔、顔に痘痕(あばた)のある娘さんが、そのために人並みの結婚ができず悩んでおりましたが、このお地蔵さまに願掛けをしたところ痘痕が消え、幸せな生涯を送ることができたという故事にならい、若い女性がお参りに来られるようになったと言われております。江戸時代には、歌舞伎役者がおしろいに含まれる鉛の害に悩み、おしろいをお地蔵さまのお顔につけ、願を掛けたと言われており、現在でもこのようにしてお参りをされる方を時折お見かけします。いつの世も美しくなりたいという願いは変わらないようですが、一番大切なことは、心を常に美しく養い保つことで、美しい心が美人をつくるということ、つまり心美人であるということではないでしょうか。 霊雲山 蟠龍寺 ~下記案内板より転載~
恵比寿神(えびすしん)
山号は泰叡山。天台宗寺院の瀧泉寺 目黒不動尊は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したと伝えられ、関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて日本三大不動の一つに上げられる。江戸時代には三代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の保護を受け、江戸五色不動の目黒不動、江戸の三富(当寺と、湯島天神、谷中感應寺[現天王寺])の一つに数えられたといいます。瀧泉寺の恵比寿神は、山手七福神の一つとなっている。寺院の詳細は2021年2月に訪れています。→瀧泉寺 目黒不動尊(Feb.2021)
2021.02撮影
2021.02撮影
弁天堂(三福神)
恵比寿神・弁財天・大黒天の三福神を筆頭に七福神すべてを祀る
2021.02撮影
三福堂
2021.02撮影
釣竿と鯛を持った姿で描かれることの多い恵比寿神。七福神の中で唯一の日本由来の神といわれている。「海」「豊漁」とかかわりが深いということで、海運守護・商売繁盛のご利益がある神様として古くから信仰を集めています。瀧泉寺の恵比寿神は三福堂に祭られ、ご開帳は毎月28日と1月1日から7日のみ。
豊川稲荷
"商売繁盛"豊川稲荷を祀る
金明(こんみょう)湧水 福銭洗い
「三福神をお参りしてから、ご縁に導かれますように洗うお金に五円玉を添えて一緒に洗ってください」とあります。
瀧泉寺 境内にある「如意大黒天」