1896年(明治29年)に三菱創業者・岩崎彌太郎の長男で第3代社長の久彌の本邸として造てられた。往時は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいた。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは
洋館・撞球室・和館の3棟。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築。館内の随所に見事 なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせている。昭和36年(1961年)に洋館と撞球室が重要文化財に指定。昭和44年(1969年)に和館大広間は洋館東脇にある袖塀とともに、平成11年(1999年)に煉瓦塀を含めた敷地全体と実測図がそれぞれ重要文化財に指定された。※ジャコビアン様式とは、クラシックとゴシックの中間にあたる様式で17世紀初頭に英国で流行。~東京都公園協会「公園へ行こう!!」より転載~ 初回訪問は、2017/3/22。外壁工事で外観が見られず、館内撮影はNGでしたので、再訪してみました。-2020.02.13-
「袖塀(そでべい)」
中央に岩崎家の家紋の「三階菱」が描かれている。
「三階菱」は、後の三菱の社章の基。
ジョサイア・コンドルの設計により、1896年(明治29)に完成。17世紀に英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に、イギリス・ルネサンス様式やイスラム風のモチーフなどが採り入れられている。~「旧岩崎邸庭園のパンフレット」より転載~
パンフレット
「洋館」
1896(明治29)年、三菱を創設した岩崎家の本邸として竣工。設計は英国人建築家、ジョサイア・コンドル。当時としては珍しい木造2階建て地下室付きの建物は、イギリス・ルネサンス様式を基調とし、主にゲストハウスとして用いられた。玄関のある建物の北側と館内には随所には、ジャコビアン様式の装飾が見られる。また、米国ペンシルベニアのカントリーハウスのイメージも取り入れられ、南側にはコロニアル様式の2層のベランダと列柱が見られる。東側サンルームは、1907(明治40)年以降に増築されたものである。~下記案内板より転載~
前庭のシュロの木が印象的
「洋館南側」
洋館の装飾は17世紀英国のジャコビアン様式を基調としているが、ヨーロッパの石造りとは異なる19世紀米国の木造建築の表情を合わせもち、南側1,2階にはコロニアル様式の広いベランダが設えてある。1階はトスカナ式、2階はイオニア式の列柱が立っている。また、ベランダの床には草花文の多色象嵌タイルが敷かれている。~下記案内板より転載~
トスカナ式列柱
「ベランダ」(1階)
目地なく敷き詰められているタイル
(英国ミントン社製)
英国ミントン社製の
多色象嵌(そうがん)タイル
2016年(平成28年)4月1日より、館内撮影は個人的な撮影、平日のみ可能になりました。
「ホール」
「暖炉」(大階段前)
「大階段」
ゴシック様式の重みを持つ柱
ジャコビアン様式の象徴の
ツルを巻くような
装飾が施されている。
ガラスには
ステンドグラスや幾何学模様を採用
「婦人客室」
天井にシルクの日本刺繍の布張り
「客室」(2階)
部屋の壁一面が
日本発祥の「金唐革紙」で装飾
「婦人客室」
2階の「婦人客室」は、1階「客室」に比べ
ピンクの花柄で明るい雰囲気。
「ベランダ」(2階)
イオニア式の列柱
書院造りを基調にしている。施工は政財界の屋敷を数多く手がけた大河喜十郎と伝えられている。床の間や襖には橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画が残っている。~「旧岩崎邸庭園のパンフレット」より転載~
和館の広間、書院障子の組子は「菱紋」をモチーフにして組み立てられている。建具の細部にまで意匠への心配りが見られる。
明治時代を代表する
日本画家・橋本雅邦と伝わる障壁画
設計は、「洋館」と同じくジョサイア・コンドルで、完成は1897年(明治30年)以降とされる。日本には珍しいスイスの山小屋風の木造建築で校倉造り風の壁、刻みの入った柱、軒を深く差し出した大屋根など、木造ゴシックの流れをくむ建物である。~下記案内板より転載~ 洋館と地下通路で繋がっていて、社交の場として利用された。
2017/3/22に訪問した際の洋館正面
~外壁修復工事のため
足場が組まれていました😢~