杉並区史跡散策 Ⅳ ② 阿佐ヶ谷


「荻外荘」訪問の後、阿佐ヶ谷へ。「阿佐ヶ谷神明宮」「世尊院」を参拝。-2025.01.21-

阿佐ヶ谷神明宮(杉並区阿佐谷北)


当社は旧阿佐ヶ谷村の鎮守で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を中心として古事記で三貴子と呼ばれる月読尊(つくよみのみこと)、須佐之男尊(すさのをのみこと)の三柱の神を祀っている。天保7(1836)に刊行された「江戸名所図会」によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、のちに尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称された現・阿佐谷北五丁目付近)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれている。建久年間(1190~1198)には土豪横井兵部(一説には横川)が伊勢神宮に参拝した折、神の霊示をうけ、宮川の霊石を持ち帰り神明宮に安置したと伝えられている。その後江戸時代中頃に現在地に移ったといわれている。当社は村外地域からの信仰も篤く、「内藤新宿仲下旅籠屋中 仲下茶屋中」の文字が刻まれた文政11(1828)の銅製の三本御幣が奉納されている。秋の例大祭に能楽殿で奉納される「阿佐ヶ谷囃子」(杉並区登録無形民俗文化財)は、江戸時代末期からの伝統があり、区内では早くに伝えられた囃子。ここから井草囃子をはじめ、鷺宮(中野区)、戸塚(新宿区)などに流布していったといわれる。杉並区教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「大鳥居」

「神明宮」の社号碑

「手水舎」

「能楽殿」

本格的な能・狂言の上演、お祭りの際の阿佐ヶ谷囃子(杉並区無形文化財指定)やお神楽など、様々な伝統芸能の奉納にも使われている。鏡板の松の絵は、能画家・作面家の先生(狩野宗家系列)によるもので、伝統的な狩野派の構図を踏まえながら現代感覚を採り入れ、モダンな印象に仕上げた作品。~阿佐ヶ谷神明宮HPより抜粋転載~

「天神社」(北野神社)

御祭神:菅原道真公(学問の神様)

社の前にある五角形の"合格鳥居"

「猿田彦神社」

御祭神:猿田彦神(開運道開きの神様)

「端祥門」(神門)

「拝殿」

かつて「本殿」と繋がっていたものを切り離し、この「拝殿」を通して「本殿」「摂社」をお参りすることが出来るようにし現在の形に。

拝殿より「本殿」をのぞむ

「本殿」(御垣内三殿)

中央にある本殿には阿佐谷神明宮御祭神、天照大御神をお祀りし、左右の摂社には、右に月読命、左に須佐之男命をお祀りしている。本殿はかつてより鎮座されていたものを拝殿と切り離して曳家によって移し、摂社にはかつての天祖神社の木材を頂き、足りないところは米ヒバをもって建立されている。本殿と摂社にはそれぞれの御祭神の象徴を象った装飾が施されており、天照大御神は太陽、月読命は月、須佐之男命は海をあしらっている。~阿佐ヶ谷神明宮HPより抜粋転載~

御正殿 天照大御神

東御殿 月読尊

西御殿 須佐之男尊

「元宮」

拝殿の右手に鎮座

御祭神:伊弉諾命・伊弉冉命・日本武尊

全国唯一の祈祷「八難除(はちなんよけ)」

「八難除」とは、年齢から来る厄年の災い(厄除)、方位や地相・家相を犯したことに起因する災い(八方除)、火や水や人の災い、因縁から来る災いなど、現世に数多ある災難厄事総てを取り除く祈祷とされる。

「西大鳥居」

狛犬

子持ち

玉取り


世尊院(杉並区阿佐ヶ谷北)


世尊院は阿佐谷山正覚寺ともいい、真言宗豊山派の寺で本尊は不動明王。創立は、現在中野区にある宝仙寺が阿佐谷から移転した頃と伝えられ、武蔵名勝図会には、その時代を永享元年(1429)頃と記されている。この移転以前の宝仙寺は、現在の阿佐谷南三丁目九番付近に山門をかまえ、当時の寺領は、中央線の阿佐谷駅付近にまで至る大寺であったといわれている。この宝仙寺が移転した後に、宝仙寺の子寺で、地元村民の寺として残されたのが世尊院。本尊の不動明王像、観音堂の聖観世音菩薩立像や阿弥陀如来坐像は、室町様式のうかがえるりっぱな仏像である。なお明治22年から大正11年まで、旧杉並村の村役場がこの寺の本堂におかれていた。現在の本堂は、昭和10年に再建されたものですが、都道133号線建設のため、昭和48年現在地に移築し、今日に至っている。杉並区教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「山門」

通用門(入口)

「御修行大師」

「本堂」

「鐘楼」