BAYWALK YOKOHAMA


「臨港パーク」、「ぷかりさん橋」、「女神橋」、「ハンマーヘッドパーク」、「赤レンガ倉庫」、「象の鼻パーク」、「大さん橋」、「山下公園」等 "横浜と言えば" という観光スポットをめぐるウォーキング&ジョギングコース「BAYWALK YOKOHAMA」。横浜港を見渡せる水際沿い片道約5kmのコースを気持ちよい潮風を感じながら、お散歩してきました♬  -2024.10.02-

臨港パーク(横浜市西区みなとみらい)


横浜港を臨む抜群のロケーションが目の前に広がる、みなとみらい21最大の緑地。広々とした芝生広場、ゆるやかにカーブする水際線など、潮風を感じながらゆったりとした時間を過ごせる公園。

「潮入の池」と「アーチ橋」

Fruit Tree(フルーツ・ツリー)2001

チェ・ジョンファ

この作品は、横浜ふじライオンズクラブが、設立30周年を記念して協賛し、「横浜トリエンナーレ2001」 に出品された。その後、2002FIFAワールドカップ日韓共催を記念し、横浜市に寄贈された。~案内板より抜粋転載~

日本人ペルー移住100周年記念像

「リマちゃん」

1899年2月27日第一次航海船佐倉丸は日本人790名の夢を乗せて横浜を出向し同年4月3日ペルーの首都リマ市の外港カヤオへ到着、移住第一歩を刻みました。以来、日本とペルーの友好関係は両国の人々の心で深く結ばれている。1989年には移住90周年記念像 「さくらちゃん」が両国のこども達をはじめ”こんにちわ・アミーゴス募金”の活動によって、リマ市の日秘文化会館内に建立された。「さくらちゃん」の小さな手はたくさんの人々と握手をしてきたが、その妹像 「リマちゃん」 の太平洋に向かって手を差し出し小さな手と手の100年目の握手が夢の架け橋となるよう願っている。移住先駆者の鎮魂を祈り、21世紀へとつづく日本とペルーの友好を願ってみなさまもオーラ!アミーゴス!と笑顔でリマちゃんと握手をしてください。「リマちゃん」 像周囲の丸石は、日本人入植地カニュテ海岸の自然石。~案内板より抜粋転載~

「ぷかりさん橋」へ

ぷかりさん橋(横浜市西区みなとみらい)


日本初の浮体式海上旅客ターミナルとして1991(平成3)年にオープン。横浜港をめぐる定期航路と遊覧船が発着。グリーンのキャップの白い塔の建物はミナトヨコハマのマスコット的な存在。

白い橋が「女神橋」

女神橋(横浜市西区みなとみらい)


2020(令和2)年12月に完成したみなとみらい21中央地区との新港地区を結ぶ人道橋。隣接するヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル上部に設置された国際平和のシンボルである女神像にちなんで命名された。

「女神像」(みちびきの像)

内港をのぞむ橋

みなとみらい21中央地区から新港地区につながる水際線のゆるやかなカーブは、横浜ベイブリッジを中心としたインナーハーバーの景色をどこからでも眺められることが特徴。「女神橋」もこのカーブと連続させて、橋の中央部を最も高くすることで、横浜らしい港の景色を感じながら、海沿いを連続して散策できる歩行者空間を創出している。~下記案内板より抜粋転載~

振り返って「ぷかりさん橋」

左手に

「ハンマーヘッドクレイン」

「横浜ベイブリッジ」

右手に

「横浜ランドマークタワー」「大観覧車」

「CUPNOODLES MUSEUM」

(カップヌードルミュージアム)

「横浜ハンマーヘッド」

(YOKOHAMA HAMMERHEAD)

客船ターミナル施設を中心に、「食」をテーマとした体験・体感型の商業施設、国際ブランドホテルからなる日本初の複合施設。

ハンマーヘッドパーク(横浜市中区新港)


2018(平成 30)年に土木学会推奨土木遺産に認定された歴史的に貴重な構造物である「ハンマーヘッドクレーン」を中心とした開放的な空間が整備され、良好な港などの景観が楽しめる。歩行者デッキ「ハンマーヘッドデッキ」で「横浜ハンマーヘッド(新港客船ターミナル)」と接続している。

歩行者デッキ「ハンマーヘッドデッキ」

「ハンマーヘッドクレーン」

(50トン電気定置式起重機)

新港ふ頭は、1899(明治32)年に埋立を開始し、1914(大正3)年に完成したふ頭。ハンマーヘッドクレーンは、この整備に合わせて設置された日本初の荷役専用クレーン。2001(平成13)年までの88年間、貨物の積み下降ろしに使われ、横浜港の近代化を支えてきた。このクレーンは、現在も稼働可能な状態で保存されており、当時日本に導入された5基のうち、横浜市、長崎市、佐世保市に残る3基のみとなっています。~下記案内板より抜粋転載~

高さ30.7m、アームの長さは43m

ハンマーヘッドクレーンの横に残る線路跡

横浜海上保安部の海上防災基地

「MARINE & WALK YOKOHAMA」

(マリン&ウォーク ヨコハマ)

赤レンガ倉庫の隣に海沿いの倉庫街に街路をつくるという発想から、2016年3月に誕生したオープンモール。

「マリン&ウォーク ヨコハマ」側から見る

「ハンマーヘッドクレーン」

ハンマーヘッド乗り場から

シーバス(SEA BASS) 

赤レンガ倉庫(横浜市中区新港)


明治末期から大正初期に建設されたレンガ倉庫。大規模な修復を経て2002(平成14)年にオープン。当時の倉庫の面影を残しながら、四季折々の多彩なイベントが繰り広げられる横浜を代表するスポット。

象の鼻パーク(横浜市中区海岸通)


1859(安政6)年、横浜開港の際に造られた波止場が、開港150周年を迎えた2009(平成21)年に公園としてオープン。防波堤が象の鼻の形に似ていることから、いつしか「象の鼻」呼ばれるようになった。

上記:横浜市港湾局リーフレットより転載

「象の鼻パーク」から見た「横浜レンガ館」

「象の鼻パーク」背後に

「横浜税関」(クィーン

「象の鼻地区の波止場」

象の鼻地区の波止場は、時代とともにさまざまな愛称で親しまれてきた。開港当初の波止場は東西2本の直線状の突堤で、東側の突堤は「東波止場」と呼ばれ、主に外国からの輸出入貨物の積卸しに使用された。西側の突堤は「西波止場」と呼ばれ、国内貨物の積卸しに使用された。「元治元年(1864)、貿易量の増大に伴い、現在の山下公園中央付近に新たに「東波止場」が造られると、象の鼻地区の2つの突堤を総称して「西波止場」と呼ぶようになった。「フランス人建築家クリペによる「横浜絵図面」には、慶応元年(1865)当時の西波止場の姿が描かれている。当時の水際線は、現在の横浜開港資料館前の海岸通りの位置にあり、2本の突堤はそこから海に突き出ていたと考えられる。東波止場はフランス人居住区の前面にあったので「フランス波止場」とも呼ばれた。明治2年(1869)、象の鼻地区の前面にイギリス領事館(現在の横浜開港資料館の所在地)が建てられると、西波止場は「イギリス波止場」とも呼ばれた。西波止場の西側の突堤は、国内貨物用だったので「日本波止場」、税関の建物に近いので「税関波止場」とも呼ばれた。象の鼻パークでは、西波止場の西側の突堤の位置を、広場内の舗装パターンを変えることで表現している。~下記案内板より抜粋転載~

波止場からの景色

象の鼻防波堤

安政6年(1859)の横浜開港に伴い、幕府は開港場の中央部に波止場を建設し、その中心地点に運上所(税関)を設置。この波止場は、2本の突堤が岸からまっすぐに海に向かって突き出た簡素なもので、東側の突堤は外国貨物の、西側の突堤は国内貨物の積卸しに使用された。突堤には外国の大きな船舶が直接横付けできないため、沖に停泊している船舶から小船に貨物を移し替えて運んできたが、強風による高波の影響で小船の荷役作業はしばしば妨げられた。慶応2年(1866)の横浜大火により被害を受けた税関施設などの復興と共に、慶応3年(1867)、幕府は東側の突堤を延長して象の鼻のように弓なりになった防波堤を築造。これが「象の鼻」のはじまりで、この防波堤によって囲まれた水域で行う荷役作業は一気に効率が上がった。象の鼻パークの整備工事においては、残されている写真や工事記録などを参考にして、全体の姿が明治中期頃のものになるように復元工事を行った。工事中に、大正12年(1923)の関東大地震で沈下したと思われる象の鼻防波堤の石積みと舗装の石材が発見されたため、一部をそのままの形で保存・展示するとともに、復元した石積みにも利用している。~下記案内板より抜粋転載~

象の鼻防波堤から見る

左:神奈川県庁(キング)

右: 横浜税関(クイーン)

大さん橋(横浜市中区海岸通)


明治中頃から6度の建設・増改築を経て、2002(平成14)年に7度目となる現在の新ターミナルがオープン。世界の人々を迎える横浜港の玄関口で、海外・国内の大型客船が寄港する客船ターミナル。「にっぽん丸」、「ふじ丸」、「ぱしふぃっくびいなす」など3万トンクラスまでの客船は4隻、「飛鳥Ⅱ」、「サファイア・プリンセス」などそれ以上のクラスの客船は2隻の同時着岸が可能。屋上のウッドデッキと芝生広場は港の眺望や夜景が楽しめる人気の観光スポット。

屋上広場に上がる

「大さん橋」屋上広場

大さん橋の屋上は、誰もが自由に散策できる24時間オープンの公園。客船の入出港を間近に楽しむことのできる市民憩いの場所。2006年12月4日に「くじらのせなか」と名付けられた。床材にはブラジル産のイペ材を使用したウッドデッキ仕上げになっている。また、海に突き出していることにより360度パノラマビューの眺望が楽しめる。

上記写真:Osanbashi Yokohama HPより転載

大さん橋ホール入り口

【ビューポイント】

みなとみらい地区や赤レンガ倉庫の眺め

【ビューポイント】横浜三塔が見えるポイント

横浜三塔の愛称は、昭和初期に外国船員がトランプのカードに見立てて呼んだことが由来と言 われている。 「キング」:神奈川県庁は、五重塔をイメージさせるスタイルで、昭和初期に流行した帝冠様式 のはしりといわれている(1928年竣工)。 「クイーン」:横浜税関は、イスラム寺院風のエキゾチックなドームが特徴(1934年竣工)。 「ジャック」:横浜市開港記念会館は、東南隅に時計塔、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドー ムを配している(1917年竣工)。~神奈川県HPより抜粋転載~

【ビューポイント】ベイブリッジの眺め

【ビューポイント】山下公園側の眺め

大さん橋の入口から「開港の道」へ

「山下公園」まで150m

「開港の道」から「大さん橋」

「山下公園」へ

左手に「大さん橋」が見える

山下公園(横浜市中区山下町)


1930(昭和5)年、関東大震災のがれきで海を埋め立てて造られた歴史ある公園。ここから見る港の景色は横浜の原風景。戦中・戦後、シアトル航路で活躍した「日本郵船氷川丸」が係留保存されている。

「インド水塔」

関東大震災でインド商人をはじめとする外国人商人を積極的に救済措置を積極的に講じた返礼として、昭和14年12月18日に贈呈式が行われインド商組合から寄贈された。イスラム風の意匠を凝らした外観や華麗なモザイク装飾の天井に特徴がある。~案内板より抜粋転載~

モザイク装飾の天井

「赤い靴はいてた女の子像」

大正11年、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡「赤い靴」の歌詞にちなんで作られ、現在の赤い靴記念文化事業団によって寄贈された。

「日本郵船氷川丸」

氷川丸は日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船。 当時最新鋭の船として竣工。戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷したが沈没を免れ、戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、活躍した。1960年に引退した後、1961年より山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン。戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船であり、造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産として高く評価され、2016年に重要文化財に指定された。~氷川丸HPより抜粋転載~

「水の守護神像」

背景にホテルニューグランドとマリンタワー

「エル カミーノ レアールのミッションベル」

1769年から1832年にかけて、聖フランシス派の修道士たちはカリフォルニアの南、サンディエゴから、北はサンフランシスコに至る600マイルの道のりに21に及ぶ伝道所を設けた。この21の伝道所を結ぶルートがいわゆる「エル カミーノ レアール」(スペイン国王の道)。その後20世紀に入って、この道筋を確認し、道路に沿ってミッションベルがたてられた。

ここにあるミッションベルは、エル カミーノ レアールに沿ってたてられたものの複製。サンディエゴ横浜姉妹都市提携25周年を記念し、サンディエゴ横浜姉妹都市協会は、横浜市へこのミッションベルを寄贈いたします。サンディエゴ横浜姉妹都市協会 会長 ジョン・ソープ・ウェルズ夫人 ~下記案内板より抜粋転載~

公園内東端にある

「水の階段」と「石のステージ」