瀧泉寺 目黒不動尊 -梅-


「龍泉寺 目黒不動尊」に参拝してきました。「観音堂」の前のほんのり香る"枝垂れ梅"、「地蔵堂」前の"紅梅"、「大本堂」階段両脇の"紅白の梅"と境内にはさまざまな梅がほころんでいました。-2025.02.12-

瀧泉寺 目黒不動尊(目黒区下目黒)


当山の開基は、今から一千百余年前の平安時代(808)にさかのぼる。十五歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄った。その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げ、夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まる。(ご尊像は秘仏として十二年に一度、酉年にご開帳される)その後、大師は唐(今の中国)の長安にある青竜寺の不動明王を拝し、先の神人がこの明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立。棟札に『大聖不動明王心身安養咒願成就瀧泉長久』と認め、この「瀧泉」をもって寺号と成し、山号は清和の御代に「泰叡」の勅額を賜り、泰叡山と称した。関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動の一つに上げられる。また、堂宇建立の敷地を定めるに当たり、大師が所持の法具「独鈷」を投じた浄地より湧出した「独鈷の瀧」の流れは、数十日間の炎天旱魃が続いても涸れることなく、不動行者の洗心浄魂の場として、今日に至るまで滔々と漲り落ちている。江戸時代には、徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りををした際、その愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めた。すると、忽ち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰ってきたので家光公はその威力を尊信し、諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げた。その伽藍は『目黒御殿』と称されるほど華麗を極めた。(広重の「江戸名所図会」に詳しい)かくして五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)のひとつとして江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所となった。明治時代になると西郷隆盛や東郷元帥等が篤い信仰を寄せられ、祈願に訪れている。~天台宗 泰叡山 瀧泉寺(目黒不動尊)HPより抜粋転載~

「仁王門」

開口(阿)那羅延金剛・閉口(吽)密迹金剛

階上には韋駄天を祀る

「観音堂」

江戸三十三観音霊場の結願札所

 聖観音・千手観音・十一面観音を祀る

枝垂れ梅


「地蔵堂」

地蔵尊(無仏時代の救世仏、女性や子供を守る)

閻魔王・葬頭河の婆(奪衣婆)を祀る

紅梅

「大本堂」(当山本尊)

秘仏・十二年に一度、酉年ご開帳 『破邪顕正』の明王として、あらゆる災難厄難を除けて、福となす『福寿開運』の仏 不動明王。関東三十六不動霊場 十八番札所

「大本堂」左右に白梅・紅梅


右方に紅梅

左方に白梅

絵馬

「祈祷殿」

『交通安全』のお不動さまを祀る

咲いていたのは"十月桜"

※ 「瀧泉寺 目黒不動尊」は、2021年2月に参拝。境内詳細は、 瀧泉寺 目黒不動尊(Feb.2021)  へ。