大山(おおやま)は神奈川県伊勢原市、秦野市、厚木市の境界にある標高1,252mの山。伊勢原駅からバスで30分、バスを降りて「こま参道」をひたすら歩き、大山の山麓駅「大山ケーブル」駅へ。「こま参道」は、土産店や食事処、大山こまの工房などが軒を連ねている。大山からの展望は、関八州の展望台と言われ「かながわの景勝50」に選定され、山頂からの眺めはすばらしく、空気の澄んでいるときは相模平野から江ノ島、三浦半島、房総半島、東京都心の高層ビル群も望見でき、振り返れば丹沢表尾根から富士、箱根の連山、秩父多摩の山並みがつづき、東京近郊の山で隋一の眺望を誇っている。-2018.11.23-
ここから362段ある階段と27段の踊り場を上って
「大山ケーブル駅」へGO!!
こま参道
踊り場ごとに名物「大山こま」をデザインしたタイルがあり、階段を上がって次の踊り場へ行くごとにこまの数が1つずつ増えていくそうです。
標高差260m上にある「阿夫利神社駅」まで(約6分)一気にケーブルカーで上がって行く。連休の初日、40分ほど並びました。
根之元神社の由来
御祭神:岩拆神(イワサクノカミ)、根拆神(ネサクノカミ)、石筒之男神(イワツツノオノカミ)
古事記によると、伊邪那美命(イザナミノミコト)が火迦具土神(ヒノカグツチノカミ)の災難により、この世を去られた時、その夫、伊邪那岐命(イザナギノミコト)は、火迦具土神をお切りになりました。その御佩刀(ミハカセ)の先より生まれられたのが、当神社に祭られる三神です。悪縁・邪念を断ち切る。開運・病魔退散のご神徳あらたかと、広く崇敬されております。~案内板より転載~
大山ケーブル駅
終点「阿夫利神社駅」から見える景色
第10代崇神天皇の頃(紀元前97年頃)の創建と伝えられ、山頂に本社、標高700メートルの中腹に下社がある。 「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高おかみ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られている。 源頼朝をはじめ、多くの武将に厚い崇敬を受け、江戸時代には庶民の信仰を集め大山参りが盛んになった。隆盛を極めた江戸時代には年間で数十万が訪れたと記録されており、「大山詣り」と呼ばれた参詣は古典落語の中でも語られ、著名な浮世絵師によって多くの浮世絵も残されている。~大山ケーブルカーHPより転載~
出典:大山阿夫利神社下社HP
「鳥居」
「阿夫利神社下社」からの眺望
“ミシュラン・グリーンガイド・
ジャポン”にて
二つ星で紹介されている。
「手水舎」
「獅子山」
富士山の岩を用いて復興された五頭からなる大山獅子。周りには十二支も配されている。
「拝殿」
左に「大山阿夫利神社本社」への
巡礼頂上登山口。
今回は上りませんでした💦
下りなのでケーブルカーは使わず、歩いて大山寺に向かうことに。女坂、男坂の分岐。男坂は急なルート、女坂は楽かなぁ~と思い、女坂を降りることに。“甘かったです!💦” ものすごく急な階段が続き、下りはかなり怖かった😢。無理せずケーブルカーに乗ればよかったです。なお、女坂にある「女坂の七不思議」(1.弘法の水 2.子育て地蔵 3.爪切り地蔵 4.逆さ菩提樹 5.無明橋 6.潮音洞 7.眼形石)は、きつかったので余裕がなく、二つしか見つけられませんでした😢。
「女坂の七不思議」
その七 眼形石(めがたいし)
人の眼の形をしたこの石に、手を触れてお祈りすれば、不思議に眼の病が治ると言い伝えられている。
「女坂の七不思議」
その五 無明橋(むみょうばし)
話をしながら通ると。橋から下に落ちたり、忘れ物や落し物をしたり、悪い事が起きたりするという。
やっと着きました!!
天平勝宝7年(755年)、奈良東大寺の別当良弁僧正が開基し、聖武天皇の勅願寺となった古刹。真言宗大覚寺派に属し、京都大覚寺の別院でもある。 通称「大山のお不動さん」と親しまれ、関東三大不動のひとつに数えられている。 文永年間(1264~1274年)願行上人によって鋳造された本尊鉄鋳不動明王および二童子像は国の重要文化財に指定されている。~大山ケーブルカーHPより転載~ 「大山寺」と鮮やかな紅葉です。また、本堂前の参道の石段を紅葉のトンネルが赤く彩っていました。
出典:大山寺HP
「本堂」
明治初年の廃仏毀釈によって破壊されていたものを明治18年(1885)に全国の信者たちの寄進によって再建されたもの。
「本堂」から見た景色
「宝篋印塔」
寛政7年(1795)旧大山寺境内に建立。大正3年(1914)現境内に再建される。香花を供えて右回りに3度回ると願がかなうといわれている。地上高約11m、青銅造りの「宝篋印塔」は、日本国中稀に見る精巧巨大な塔。「宝篋印塔」は、“一功如来心秘密全身舎利 宝篋印陀羅尼経に依って建立するものなり”。
「鐘楼」
本来大山寺の「梵鐘」は、徳川家光によって奉納されたものであるが、明治初年に破壊されくずとして払い下げられて、現在銘文「大檀那従一位左大臣源家光公」の部分のみが阿夫利神社々社務局に保存されている。現在の鐘は、昭和24年(1949)6月吉沢久造氏夫妻他賛助者多数によって奉納されたもの。
「大師堂」
弘法大師堂は、明治40年(1907)東京浅草の不動講、本浅睦会の発願により本堂向かって左側に建立されたが大正3年(1914)「宝篋印塔」が再建されるにつきその前年右側に移したもの。内部には九十三体のお大師小像が置かれている。
「稲荷大明神」
「伯耆坊大天狗大神」(右)と
「八大童子」
「厄除 かわらけなげ 」
“かわらけ”は漢字で“土器”と書きます。「かわらけ投げ」は大山寺開山1250年を記念して、4月より開設しています。当寺院の「かわらけ」は、“厄除け”と書かれた直径6cmの天下ぼしの土器(どき)で、土にすぐ戻る素材です。“かわらけ”をがけ下に向けて投げると、厄除けに効くだけでなく、がけ下に直径2.5mの福輪があり、その中をくぐれば幸運をもたらすとされている。~雨降り 大山寺HPより転載~
「参道」
秋にはもみじ祭りが盛大に行われる
紅葉の名所
「参道」の石段の両脇には本尊不動明王の眷属(けんぞく:仏や菩薩に従うもので)である三十六童子像が並んでいる。一体一体、名前があります。