宝徳寺の床もみじ"2025 春-新緑の床もみじ特別公開開催日:4/12(土)~5/18(日)"を観賞しに群馬県桐生市へ。宝徳寺の床もみじは春の鮮やかな新緑が漆塗りの床に映り、色鮮やかな「傘」が彩りをそえ、素晴らしかったです!!。また、境内には風ぐるまと鯉のぼりが競演の「風ぐるま」のトンネル、色鮮やかな傘が空に浮かぶ「開運 アンブレラスカイ」、帽子をかぶったお地蔵さまがいる「地蔵のこみち」など見どころ満載の宝徳寺でした。宝徳寺参拝後、桐生に戻り、ランチに藤屋本店で"ひもかわうどん"を食し、古い町並みが残る重伝建地区「桐生天満宮」、「ノコギリ屋根」の工場跡など歴史的な建造物を眺め、街並みを散策してきました。-2025.05.08-
宝徳寺は、 宝徳寺の床もみじと桐生散策Ⅰ -宝徳寺- へ。
桐生の歴史は古く、今から約400年前に天満宮を起点として桐生新町ができた。本町一・二丁目には、現在でも織物関係の蔵や町屋、ノコギリ屋根工場など歴史的な建造物が多くみられる。また、当時の土地の区画(敷地割)もよく残されている。これらの地域は、「桐生は日本の機どころ」と上毛かるたにもうたわれているように、織物業で栄えた桐生の歴史を今に伝える市民の財産。先人たちは、様々な時代を乗り越え、このまちを守り続けてきた。これからの、未来の子供たちへ誇れるまちとして残していくために、本町一丁目及び二丁目の全域並びに天神町一丁目の一部は、重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)として選定されている。また、重伝建地区全体が、平成27年(2015)4月より文化庁が認定する『日本遺産「かかあ天下 ぐんまの絹物語」』の構成文化財の一つとなっている。~桐生市HPより抜粋転載~
上記マップ:桐生市HPより転載
当宮の起源は、第十二代の景行天皇の時代に、上毛野国造が天穂日命を奉斎した磯部明神であり、その後幾多の星霜を経て、文治3年(1187)から当地を支配した桐生家が代々の守護神として崇敬し、観応年間(1350年頃)には、京都より北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」と改称し、桐生領五十四ケ村の総鎮守と定められた。天正9年(1581)に徳川家康公が東征の折りには、徳川家代々の祈願所として朱印地を賜わり、天正19年(1591)には、桐生新町の宿頭として整備され、境内地や社殿は壮大なものとなった。慶長5年(1600)の関ケ原合戦には、軍旗に用いる旗絹を当宮の御神前に供えて戦勝祈願し、その勝利凱旋を吉例として境内には織物市が開設され、後の桐生織物繁栄の礎となる。~桐生天満宮HPより抜粋転載~
境内案内図
「大鳥居」(一の鳥居)
「二の鳥居」
重要文化財 天満宮
名称及び員数 末社「機神神社本殿」一棟
末社機神神社(はたがみじんじゃ)本殿は、覆屋内に南面して建つ一間社流造、正面千鳥破風及び軒唐破風付、杮葺き(こけらぶき)の小社で内部は前後二室に分ける。明治41年 (1908年)に下久方宮内の菅原神社から移築された。明和5年(1768)に着手、同6年に一度工事完了とし、寛政4年(1792年) にあらためて完成した。彫刻は天満宮造営にも携わった星野政八によるもので、建物全体に施されている。小規模ながらも濃密な装飾で飾られた社殿で、意匠や技法は同時期に造営された天満宮本殿との類似点が見られる。~下記案内板より抜粋転載~
扁額
「社殿」
「太鼓橋」
「表神門」(桐生門)
「手水舎」
狛犬と「拝殿」
狛犬
重要文化財 天満宮
名称及び員数 本殿・幣殿・拝殿 一棟
建築年代:【本殿・幣殿】寛政元年上棟(1789) 【拝殿】享和2年(1802)
天満宮は桐生新町の起点として、天承19年(1591)に久方村梅原から現在地へ遷座したと伝わる。桐生領五四ヶ村の総鎮守格であった。棟札によれば、現在の本殿及び幣殿は安永7年(1778)に起工し、本殿及び幣殿は寛政元年(1789)に上棟、寛政4年(1792)に寺社奉行へ披露され、翌、寛政5年(1793)に遷宮開帳が行われており、この時には造作まで完成したと考えられる。拝殿は享和2年(1802)に棟札があげられている。天保12年(1841)には拝殿の屋根瓦の差替えが行われ、本殿・幣殿は銅板に葺き替えられている。昭和36年に拝殿屋根を瓦葺から銅板葺きに改修、平成17年に屋根の葺き替え修理を実施している。天満宮の社殿は、県内における江戸時代の神社建築に多く見られる本殿・幣殿・拝殿につながる権現造の形式である。
本殿・幣殿は外壁に極彩色の精巧・華麗な彫刻が施されており、内部には同様な彫刻とともに壁画も描かれ、彩色は当初の姿をよく伝えている。本殿に納まる宮殿は、極彩色彫刻で飾られた禅宗様の小建築であり、墨書から本殿と同時期に作られたと考えられる。附指定の文書「御本社幣殿拝殿注文」は。明和8年(1771)の社殿建替えの計画書として伝わる。極彩色の絵図「本社幣殿拝殿妻之図」は、社殿の側面図であるが、現在の社殿とは構造・彫刻ともに若干の相違がみられる。特に拝殿には精巧な彫刻が描かれており、計画図と考えられることから、当時の造営計画を知る上でも貴重である。四枚の棟札は、社殿の造営と修理の経過を物語る重要な資料であり、本殿・幣殿の大棟梁は町田主膳、彫刻は関口文治郎他八人、絵師は狩野益広他五人、拝殿の棟梁は町田兵部の名が記されている。本建築は、北関東において発達した建築装飾が江戸後期に燗熟する様相を良く示し、それをまとめ上げた工匠の高度な技量が伺える。江戸後期の北関東の神社建築を代表するひとつである。桐生市教育委員会
~下記案内板より抜粋転載~
「拝殿」
扁額
「本殿」・「幣殿」
「財福稲荷神社」
幕末から維新を経て明治の中頃まで、天満宮境内には数多くの数多くの摂社・末社が遷座されたが、その中に、かつて桐生に縁の深かった、江戸で栄えた富裕な商家で代々祀られていた家敷稲荷があり、戦前までは桐生広域の商工業者から「江戸の財福稲荷」として広く信仰されたが、戦後はその存在も忘れられがちであった。そこで此度の平成大修理事業竣工記念として、宝船神社とともに御本殿西側の末社石宮より御神霊を戴き、境内太鼓橋北西側の宮地を新たな鎮座地と定めて遷座祭を斎行し、ここに、古来より伝わる社号を掲げて「財福稲荷」と称え奉り、往末永く奉斎して厳かに祭祀仕奉つとともに、新年の初詣や初午祭はじめ年間を通じより多くの崇敬者各位のご参拝をご祈念申し上げます。~桐生天満宮HPより抜粋転載~
神道七福神総社「宝船神社」
【由来】古来、天満宮境内には数多くの摂社や末社が鎮座し、さまざまな御祭神が奉祀されているが、日頃参拝者の皆様方に、それぞれの御祭神や御神徳をことごとく周知して頂くことは、なかなか困難なのが現実である。そこで、より多くのご参拝の皆様方が同じ御社殿にてさまざまな御祭神の広範なる御神徳を載かれますよう、このたび天満宮平成大修理事業竣工記念として、御本殿西側の末社石宮より七柱の御祭神を戴き、旧社務所儀式殿の神座に合併遷座祭を斎行し、ここに神道七福神総社・宝船神社と称え奉りて行く末長く奉斎し、厳かに祭祀仕え奉るとともに、新年の初詣や例祭をはじめ年間を通じ、より多くの崇敬者各位のご参拝をご祈念申し上げる次第である。
【御祭神と御神徳】1.大国主大神(開運福徳)2.事代主大神(商売繫昌)3.大宮能売神(家内安全)4.天鳥船大神(交通安全)5.少彦名大神(身体健康)6.須佐之男命(災難厄除)7.伊邪那美岐命(良縁円満) ~下記案内板より抜粋転載~
「神楽殿」
重要文化財 天満宮
名称及び員数 「末社春日社本殿」一棟
末社春日社本殿は天満宮社殿の後方に南面して建つ一間社流造の小規模な社殿である。身舎、庇の軒桁や垂木に見られる反り増しをはじめ、木鼻の形状と唐草絵様の渦の巻きこみ具合など、要所に用いられている彫刻の装飾に室町時代後期の建物の特徴を示しいるが、象鼻の彫刻が写実的でないものの丸彫りであること、虹梁の端部に唐草絵様でなく八双形を彫り出していることなど、やや時代の下る要素も認められる。また、一部に菊と唐草・流れに紅葉などの文様が描かれており、各部に彩色が施されていた痕跡が見られる。これらのことから、遅くとも17世紀初頭の建立と想定される。当初位置は不明であるが、江戸時代後期から明治時代の資料により幾度か移転が認められる。平成17年に保存修理工事を行った際に、三層の板葺き屋根に復旧したのち表層を銅葺きとした。県内における17世紀初頭以前の建物としては、重要文化財「雷電神社末社八幡宮稲荷社社殿」(板倉町)や「薬師堂」(中之条町)、群馬県指定重要文化財「渋川八幡宮本殿」(渋川町)など極めて少ない。現存する桐生市内の建造物としては最古のものであり、群馬県における古建築の遺例として重要である。桐生市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
「神明宮」「直日神社」が合祀
「群馬大学理工学部同窓会記念会館」
(旧桐生高等染織学校本館・講堂)
<国登録有形文化財>
天満宮の北側にある同窓記念会館は、群馬大学理工学部の前身である桐生高等染織学校の校舎として、大正5年(1916)に竣工。この建物は、その当時の本館の一部とそれに附随する講堂を昭和47年度に移設(曳家)したものです。100年の風雪に耐えている同窓記念会館だが、創立後に補修を幾度となく行っており、最近では平成29年度に大規模な耐震改修を施した。構造は木造、延面積987㎡(本館は2階建て、講堂は平屋)で、建材には主に日本のスギが使われ、破風の装飾や玄関アーチの形などにイギリス建築のチューダー様式の意匠が見られる。この建物は工学部守衛所、旧桐生高等染織学校正門とともに平成10年に国の登録有形文化財に登録されている。~群馬大学工学部同窓記念会館HPより抜粋転載~
「群馬大学工学部守衛所」
(旧桐生高等染織学校門衛所)
<国登録有形文化財(建造物)>
【 構造 】木造平屋建、瓦葺、下見板張り【 建築面積 】18㎡【 建築年代 】大正5年(1916)
旧桐生高等染織学校創立当時の門衛所。木造平屋建、瓦葺切妻屋根、下見板張で本館と同系列の造りで、規模に応じた簡素化は図ってあるが、意匠などに本館と共通性が見られる。
「旧桐生高等染織学校正門」
<国登録有形文化財(建造物)>
【 構造 】煉瓦造、鉄製門扉附属【 建築規模 】高さ:3.7m 幅:16.8m【 建築年代 】大正5年(1916)
旧桐生高等染織学校創立当時の正門であるが、本館の移築に伴い現在地に移設保存された。煉瓦造の門柱上部四面にはゴシック風のポーチが設けられ、その頂部に門灯を掲げている。
「群馬大学工学部同窓記念会館」
(旧桐生高等染織学校本館・講堂)
<国登録有形文化財(建造物)>
【 構造 】木造2階建、便所棟附属、瓦葺、下見板張り【 建築面積 】592㎡【 建築年代 】大正5年(1916)
この建物は、西洋木造建築の技法とデザインの習得がようやく完成した時期のもので、特に、講堂内はハンマービームと呼ばれる独特な屋根構造をもち、教会堂のように厳粛でありながら華やいだ空間を創りだしている。
「四辻の齋嘉(よつじのさいか)」
桐生天満宮から東に向かって最初の十字路に建つ「旧家絹織物の織屋(旧斎嘉織物)」の主屋と蔵を再生した。4つの町に面した十字路に建つ事から、四辻の斎嘉と呼ばれていた。明治11年に建てられた蔵と大正12年に上棟した主屋、蔵前の座敷に囲炉裏のある土間、一階に五部屋、二階に二部屋という規模の大きな居宅、往時の織物業界の繁栄を物語る。現在はカフェやレンタルスペースとして活用されている。
ノコギリ屋根工場の発祥は、産業革命期の18世紀のイギリスにさかのぼり、屋根形状は絹織物を検品するために北面の間接光を 取り入れるよう設計された。1890年に桐生市に初のノコギリ屋根工場が建てられ、最盛期は約360棟の工場があったが、織物産業の衰退とともに消失し、役目を終えたノコギリ屋根工場は解体され、ノコギリ屋根工場が減少していく中、桐生市には200棟以上が現存している。現存のノコギリ屋根工場は、貴重な産業遺産として評価されるとともに、観光資源としても期待され、最近では新たな役割で再活用されている。
「ベーカリーカフェ・レンガ」
(旧株式会社金芳織物工場)
<国登録有形文化財>
大正9年(1920)に建てられた、イギリス積みのレンガ造りのノコギリ屋根工場の建物は、平成20年パンの香りのするベーカリーカフェとして生まれ変わった。このノコギリ屋根工場と事務所棟は、平成10年国登録有形文化財に指定、平成19年同じく経済産業省近代化産業遺産に認定。平成27年には構内の染色場、主屋、蔵が国登録有形文化財に指定された。
「工房・金田丸岡平」(旧住善織物工場 )
大正11年(1922)建築。桐生に現存する唯一の鉄筋コンクリート造のノコギリ屋根工場。現在は、アーティスト工房。
「かない屋」(旧斎憲テキスタイル工場)
昭和2年(1927)建築。大谷石造。現在はワイン貯蔵庫として利用されている。
「桐生市有鄰館」
「桐生市有鄰館(ゆうりんかん)」は、桐生市桐生新町重要伝統的建造物群保存地区内である本町二丁目の南端に存在している。かつては酒・味噌・醤油を醸造し、保管するために使用されていた江戸時代から昭和時代にかけての11棟の蔵群。煉瓦蔵や木造蔵など蔵の趣を生かし、舞台や展示、演劇、コンサートなど様々な用途に使用されている。多くの人が訪れ、プロアマを問わず、それぞれの目的によって自ら会場を作り上げて行く独特の活用方法で「文化を発信する場」として、また、周辺に残る歴史的建造物や近代化遺産などと一体となった町並み保存の拠点にもなっている。なお、「有鄰」とは、孔子の「徳孤ならず必ず鄰あり」という故事から引用した言葉。~桐生市HPより抜粋転載~
「矢野本店店舗及び店蔵」
<桐生市指定重要文化財>
矢野本店は、享保2年(1717)創始者である初代矢野久左衛門が近江国蒲生郡日野町から来住し、寛延2年(1749)二代久左衛門が桐生新町二丁目に店舗を構えたことに始まる。清酒・味噌・醤油の醸造業のほか質商として家業を広げ、明治期以降は荒物・薬種・染料・呉服・太物・銘茶部門を扱うようになった。また昭和2年(1927)十代久左衛門が五丁目に桐生最初の百貨店である矢野呉服店を開業するなど、桐生の商業発展に大きく貢献し、今日に至っている。現在の店舗は大正5年(1916)に建築され、出桁造で二階正面には格子戸が残り、江戸風の商家構えとなっている。店舗に隣接して二階建土蔵造の店蔵がある。一階は中央で間仕切られ二部屋とし、二階は一部屋となっており倉庫として使用していた。~桐生市HPより抜粋転載~
「森合資会社事務所、森合資会社店蔵、森家住宅石蔵(旧穀蔵)」
<国登録有形文化財(建造物)>
森合資会社は明治37(1904)年の創業。事務所は大正3年(1914)の建築であり、外観は白磁タイル張の擬洋風建造物。大正3年以前に建てられた隣接する店蔵とともに和洋が一体となっており、一部の建具等に改変が見られるが、大正期の創建当初の商店建築として価値が高いものです。石蔵は大正3年に森家の穀蔵として建築されたもの。石造であるが外装は漆喰塗りで土蔵風に仕上げている。石材は薮塚産の溶結凝灰岩を使用。大谷石でなく、溶結凝灰岩を使用した建築は類例が少ない。本町通りに面した外観は大正期の雰囲気をよく伝え、歴史的町並みを形成する景観要素として価値が高いもの。また、事務所は創建当時の姿のまま現在でも事務所として活用されているところは歴史的にも評価される。~桐生市HPより抜粋転載~
織物参考館 "紫"(ゆかり)は、森秀織物の旧釜場、旧整経場、旧ノコギリ屋根工場などを利用した体験型織物資料館。館内では、染色や手織の体験や織物の歴史の学習、古織機などを見学することができる。国登録有形文化財、日本遺産「かかあ天下-ぐんまの絹物語-」の構成文化財の一つ。~ぐんま絹遺産データベースHPより抜粋転載~ ※時間都合のため入口のみ撮影。
上記写真:全国近代化遺産活用連絡協議会HPより転載
後藤織物9棟ほか給水塔、門・板塀
<国登録有形文化財(建造物)>
後藤織物は、群馬県桐生市の繁華街、本町四丁目交差点を東に進み渡良瀬川方面へ至る途中の北側に存在する。後藤織物の敷地内には桐生市の機屋の構成を示す住居と事務所等を兼ねた住宅部分と織物工場に係る多くの建物が存在し、その時期も明治前期、大正14年、昭和の戦前、戦後と多岐にわたり、主屋をはじめとする建物群の構成は、染色・撚糸・製織といった織物生産のシステムをそのまま現している。現在は、令和3年に創業家から後藤織物を譲り受けた民間企業が、織物産業の歴史と機屋の構成を後世に伝えるため保存活用事業を行っている。国登録有形文化財、平成27年4月、文化庁が認定する『日本遺産「かかあ天下-ぐんまの絹物語-」』の構成文化財の一つとなった。~桐生市HPより抜粋転載~ ※見学は要事前予約のため門だけ撮影。
上記写真:全国近代化遺産活用連絡協議会HPより転載
桐生駅前を東西に走る末広通り沿いで、 大正レトロな雰囲気を醸し出し、近代の桐生の趣を感じさせるのが、大正8年(1919)に建てられた「桐生倶楽部会館」。木造2階建て寄棟造で、橙色の瓦屋根やモルタル塗りの外壁、列柱のある玄関ポーチ、小さな切妻屋根をのせた煙突など、日本で最初のスパニッシュ様式の意匠など洋風な外観は、近代の桐生人のモダンな生活ぶりを今に伝える。一般社団法人「桐生倶楽部」は、明治38年に誕生した産業人の社交機関「桐生懇和会」が大正7年に発展改組して現在に至る。会館建物は平成8年に国登録有形文化財、平成27年に桐生市重要文化財に指定されている。~桐生倶楽部HPより抜粋転載~
創業1887年(明治20年)の老舗うどん屋。国の重要伝統的建造物群に指定された地区にお店を構え、桐生川の水を使用し長時間かけ熟成させた手打ち麺「ひもかわ」が有名。※ランチで"ひもかわうどん"をいただきました😊
桐生名物ひもかわうどんは 幅5cm程のうどん
桐生地域の郷土料理。