大岡川さくらまつり(横浜市南区)


横浜市内を流れる大岡川。大岡川プロムナードは、大岡川沿い約5㎞に渡って約700本の桜並木が続く横浜市有数の桜の名所。「観音橋」(弘明寺商店街)からスタートし、プロムナード終点の「太田橋」まで歩き、さらに続く桜並木を観ながら「ランドマークタワー」まで歩きました🌸。 -2025.04.05-   散策前には横浜最古の名刹「弘明寺」を参拝しました。弘明寺の詳細は、

 弘明寺(Apr.2025) へ。

上記パンフレット:京急電鉄

「弘明寺かんのん通り商店街」

横浜でいちばん古いお寺「弘明寺」に続く門前ストリート。横浜市南区出身のお笑い芸人マヂカルラブリーの野田クリスタルが弘明寺かんのん通り商店街のふるさと大使」就任したことでも有名。

「観音橋」からみた桜と

観音橋近くにある愛称"ぴょんぴょん石"

「弘岡橋」

「大井橋」

樹種名:ジンダイアケボノ

「鶴巻橋」

「蒔田橋」

「井土ケ谷橋」

"みなみ桜"  樹種:八重紅枝垂桜

<南区制70周年 井土ヶ谷橋架替記念植樹>

区制70周年及び井土ヶ谷橋の架替を記念し、橋のたもと4箇所に区の花「さくら」を植樹した。愛称を募集し、「みなみ桜」と名付けられた。~下記案内板より抜粋転載~

「清水橋」

「蒔田公園橋」

首都高速神奈川3号狩場線 蒔田橋

「蒔田公園」

濃いピンクの桜は"ヨコハマヒザクラ"

"お花見SUP"

「山王橋」

大昔はこの橋から関内辺りまで入海だったが、江戸期に吉田勘兵衛が干拓に成功し、吉田新田が完成。その総鎮守として創建された現日枝神社は江戸山王社より勧請され、「さんのうさま」と呼ばれたことが由来。~下記案内板より抜粋転載~

"ランドマークタワー"が見えてきました♬

ここにも"お花見SUP"

「一本橋」

吉田新田時代から架かっていた橋と思われ、当時丸太一本橋であったことから名付けれたと言われている。近くには大岡川水運の要だった木材搬送のための雁木跡が多くある。~下記案内板より抜粋転載~


「道慶橋」

江戸時代からある吉田新田と対岸の太田村をつなぐ重要な橋で地元のために架橋に尽力したと伝えられている旅僧の道慶の名に由来している。関東大震災で木製の橋が焼失した後、1927年(昭和2年)に震災復興橋として現在の橋が完成。1989年(平成元年)には土台を活かして触れると心地よい音色を奏でる錫杖の形をした親柱を含む橋梁上部を彫刻家澄川喜一氏が新しくデザインした。~下記案内板より抜粋転載~


「道慶地蔵尊」

由来:明暦元年(320年前)相模国久良岐郡太田村字前里耕地(現前里町3ノ65)にあった渡川口に雲水僧道慶師(出生地不詳)が立寄り附近住民の難儀を見聞し之を救わんと同所に祀ある地蔵尊に草庵をむすび日夜地蔵尊に祈願して托鉢を重ね幾多の困難辛苦の末遂に万治元年独力にて橋を造り両岸住民の難渋を救った。道慶師没後その遺徳を偲び両岸の住民有志相計り同橋を道慶橋と名づけ 師の信仰せる地蔵尊を道慶地蔵尊としてお守りし今日に至る。晋門院蔵古記より~下記案内板より抜粋転載~


「錫杖型の親柱」

東京スカイツリーを監修した彫刻家の澄川喜一氏のデザイン

「白金人道橋」

その昔この橋の右岸側は「新富士見川」との合流点だった。今は埋め立てられて「富士見川公園」となっている。~下記案内板より抜粋転載~


ピンクの屋形船

次の「栄橋」が見えてきた

「栄橋」

次の「太田橋」が見えてきた

「太田橋」

震災復興道事業として関東大震災後に新しく主要道を通すために幹線第六號(現在の県道81号線 藤棚浦舟道)として国によつて施工された橋。江戸時代を思わせるレトロな照明(常夜灯)の親柱が特徴。~下記案内板より抜粋転載~


「太田橋」(京急線黄金町駅付近)が、「大岡川プロムナード」の終点。、ここからも横浜港に向かうエリアにも桜並木は続く。

「末吉橋」

末吉橋は江戸時代より「東福寺」の赤門通りを経て保土ヶ谷宿に繋がる古道に架かる橋でした。木製だった橋は関東大震災で消失、1929年に新しく架け替えられた。老朽化のため2007年に歩道付きの新しい橋に生まれ変わった。旧橋はアーチ橋として川面に曲線のシルエットが映え架替えにあたっては面影を残し景観に配慮したデザインになっている。四隅の橋灯りも復活し、夜景に配慮したデザインになっている。~下記案内板より抜粋転載~

「黄金橋」

明治時代からある古い橋の一つ。関東大震災で消失し、1928(昭和3)年の4月に震災復興橋として架け替えられた。~下記案内板より抜粋転載~

「旭橋」

明治10年頃に架けられ、昭和3年9月に震災復興橋として竣工した二代目。~下記案内板より抜粋転載~

"ランドマークタワー"が大きくなってきました♬

「長者橋」

<横浜市認定歴史的建造物>

1851年(嘉永4)の記録では土ハシ、1873年(明治6年)の記録では権兵衛橋と呼ばれていた新田石川村を結ぶ重要な橋でした。現在の橋は関東大震災で消失後の1927年に着工、翌1928年に竣工されたアーチ橋。~下記案内板より抜粋転載~

「日の出さくら道」

「宮川橋」

1929年(昭和4年)1月大岡川本流に架けられた。橋名は町名由来。~下記案内板より抜粋転載~

「都橋」

横浜が開港する際、東海道と開港場を結ぶ「横浜道」が突貫工事で進められ、「野毛橋」が架けられた。明治期に初代横浜駅が開業、交通量が増え、野毛橋の架替に伴い、近隣に新しい橋を造ることになった。近くに柳橋と桜橋があり、『古今和歌集』にある「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」の歌からそれぞれ命名され、「都橋」に名を改めたのもこの時である。1928(昭和3年)震災復興橋として架替えられ、現在に至る。~下記案内板より抜粋転載~

「桜川橋」

「大江橋」

大江橋から南側の桜川橋の間は、地上では京浜東北線(根岸線)・国道16号・大岡川。地下では首都高速神奈川1号横羽線花園橋トンネル・横浜市営地下鉄3号線が交差する。橋の欄干ではカモメが休息♪ 

「住吉橋」

この橋は、桜木町橋を延長するように関内エリアと桜木町駅を結んでいる1989年(平成元年)に架けられた人道橋。日本を代表するインダストリアルデザイナー柳宗理氏による設計で、大岡川上空を美しい姿で架構している。~下記案内板より抜粋転載~

「辨天橋」

1871年(明治4年)、吉田橋や野毛橋(現在の都橋)を経て横浜港と東海道を結ぶ横浜道に代わる近道として、木造の桁橋が架けられた。当時この橋の東詰付近(現在の弁天通六丁目)にあった洲干辨天社より「辨天橋」と命名された。四隅には、船の帆をモチーフにした親柱が立てらている。"かながわの橋100選"に選定されている。

「シドモア桜」

ポトマック湖畔からの里帰り

1912年、日本からワシントンへ桜の苗木が贈られた。その桜はポトマック湖畔一帯に植えられ、日米友好のシンボルとして親しまれている。今では世界的な桜の名所となり、全米桜祭りが開催されている。桜の植樹にあたり、大きく貢献したのが紀行作家であり、『日本・人力車旅情』の著者であるアメリカ人女性エリザ・R・シドモア女史。シドモア女史は今、横浜の山手外国人墓地に兄と母と共に眠っている。そのポトマック湖畔の桜が、 1991 年に里帰りし、シドモア桜の会によって、シドモア家墓前に植えられた。そしてシドモア女史と桜のエピソードを伝えるため、その桜から接ぎ木により、さらに苗木が作られた。ここに植えられた桜は、その苗木から育った桜(ソメイヨシノ)です。2021年3月、シドモア家墓前の里帰り桜が植樹30周年を迎えたことから、それを記念してここに植樹された。~下記案内板より抜粋転載~

船の帆をモチーフにした親柱

「横浜市役所」

2020年5月22日にJR関内駅前にあった庁舎を閉鎖し、桜木町駅近くに建てられた新庁舎となる32階建て高層ビルに移転。6月29日には一部の商業施設も含め全面オープン。商業施設は「ラクシス フロント(LUXS FRONT)」(1・2階)。

上記写真:横浜市HPより転載

市庁舎から桜木町へ行く2階デッキ

「桜木町駅前」に到着

「ランドマークタワー」に到着

"帆船日本丸"と桜