目黒区みどりの散歩道-呑川・自由が丘コース(下記マップ)を参考に「桜森稲荷神社」「帝釈堂」「鉄飛坂」「寺郷の坂」「岡田家長屋門」「立源寺」「谷畑弁財天」「熊野神社」を巡ってきました。-2026.06.10-
上記マップ:目黒区HPより転載
めぐろ風景 MEGURO-55
「坂道のある住宅地・平町一丁目」
目黒は、起伏に富んだ坂の多いまちである。ここ平町の坂道も、閑静なまち並みと調和して、代表的な住宅地の一つを形成している。~下記案内板より抜粋転載~
目黒区みどりの散歩道
●呑川・自由が丘コース
この辺りの氏神様。京都の伏見稲荷の流れをくむという。一帯に桜が多かったのでこの名がついた。お稲荷さんは農家の神様で、2月の初午は今も盛況。境内には大ケヤキがある。~下記案内板より抜粋転載~
「鳥居」
「拝殿」
扁額:正一位稲荷大明神
文化九壬申(みずのえさる)年11月(1812)
「庚申塔」
「鉄飛坂庚申塔群」
<区指定有形文化財(歴史資料)>
帝釈堂内にある、次の願文が刻まれた庚申塔3基と題目塔1基を歴史資料の文化財として指定している。
【庚申塔】
・「奉敬礼帰命帝釈天王」延宝8年(1680)
・「奉尊敬帰命帝釈天王」貞亭2年(1685)
・「南無妙法蓮華経(下部に帝釈天像を浮彫)」明治14年(1881)
【題目塔】
・「南無妙法蓮華経」天保13年(1842)
江戸時代中期、農村では庚申待が盛んに行われた。60日毎にめぐってくる庚申の日に、講の人々が集まって青面金剛、帝釈天、猿田彦などをまつり、飲食を共にしながら、夜を明かした。庚申待を18回終えた後に、供養や記念のために建立されたのが庚申塔です。堂内に残る庚申塔が、日蓮宗の題目または帝釈天を中心とした塔であり、また庚申講が地元の人々により今日でも続けられていることに特色がある。境内にはこの他にも、他所より移設されてきた庚申塔1基と道標兼庚申塔1基がある。
目黒区教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
境内にも庚申塔2基
「てっぴ」とは山頂、てっぺんを意味し、それが坂名になったといわれるが、他にもポルトガル人テッピョウスという人物が住んでいたからや、鉄砲鍛冶がいたからなど諸説がある。
この坂上には立源寺があり、かつてこの周辺を「寺郷」といった。また、この道は江戸時代、九品仏へ向かう道で、この辺りに水茶屋があったため「衾(ふすま)の茶屋坂」とも呼ばれていた。
接木の構造が見事な歴史ある門。現在も個人宅として使われている岡田家は中根公園に隣接するうっそうとした屋敷林に囲まれた場所にある。
めぐろ風景 MEGURO-55
「長屋門のある風景」
昔、このあたりは「岡田の森」と呼ばれ、森のすそを流れる呑川には水車もあったという。岡田家は代々名主をつとめた旧家で、風格のある母屋や長屋門は江戸時代につくられた。~下記案内板より抜粋転載~
「立源寺」(りゅうげんじ)
長昌山立源寺は、寛永元年(1624)日運上人により開基された日蓮宗の寺で、元は碑文谷法華寺(現、円融寺)の末寺であった。しかし、元禄11年(1698)に法華寺が江戸幕府によって日蓮宗から天台宗に改宗された後は、身延山久遠寺の末寺となり今日に至る。本堂に安置されている「木造三宝尊像」(区指定有形文化財)は日蓮宗独自のもので、その中でも優れたものといわれている。中央に「南無妙法蓮華経」と記された中尊があり、左右には釈迦如来坐像と多宝塔如来坐像が蓮華座上に結跏趺坐(けっかふざ)している。像底に法華寺の名と法華寺第十三世日晴上人の署判があることから、法華寺より移されたものだとわかる。三宝尊像の前には弘化2年(1845)作の「木造文殊菩薩像・普賢菩薩像」(区指定有形文化財)が安置されている。境内には他に鬼子母神堂、鐘楼殿、納牌殿等がある。また、2月上旬には修行のたねに水を浴びる水行式が行われている。目黒区教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
めぐろ風景 MEGURO-55
「立源寺とケヤキの木立」
寛永元年(1624年)日運上人の開基。本堂には立派な三宝尊像がある。大イチョウやケヤキの木立が美しく目黒風景55にも選ばれた。修行僧による寒中水行や御会式などが有名。
「参道」
「山門」
扁額:長昌山
「本堂」と「日蓮上人像」
「本堂」
扁額:立源寺
「手水舎」
「鐘楼」
「永代供養塔」
東急東横線の踏切
目黒区みどりの散歩道
●呑川・自由が丘コース
目黒区みどりの散歩道
◎呑川・自由が丘コース
「竹林を切り開いて東横線の歴史」
大正15年(1926)2月、丸子多摩川駅(今の多摩川園駅)と神奈川駅(反町~横浜間)に鉄道が開通した。これが東横線の始まりである。その後、線路が延び、渋谷~桜木町間の全線が開通したのが昭和7年(1932)。目黒のこの辺りでは、うっそうとした竹やぶを切り開いて路線が敷かれたという。農村だった目黒は、東横線の開通により急速に都市開発が進んだのである。
~下記案内板より抜粋転載~
目黒区みどりの散歩道
◎呑川・自由が丘コース
「谷畑弁財天」(やはたべんざいてん)
昔このへんにこんこんと湧き出る清水があった。村の人がその恩恵に感謝して弁財天を祀ったのが谷畑弁財天の始まり。地域の守護神として、今もあつく信仰されている。~下記案内板より抜粋転載~
「谷畑辨財天縁起」
ここにお祀りしてある谷幡辨財天の地は、以前このあたりが碑衾村大字衾字谷畑と呼ばれていた頃、いつも清泉が湧き出しており、住民は何れも多大な恩恵を受けていた。この地の所有者、安藤与四郎氏の先祖は解脱金剛尊者の御神示により辨天様の霊地であることがわかり、谷畑辨財天の神號を奉り自由が丘の守護神として建立し、信仰を続けて来た。辨財天は七福神中の女神であり「水の神」とも「財宝の神」とも崇められ、信仰者に無限の恵みを与え給うことは広く知られている。御神徳の無辺ならんことを祈念し縁起を記す。~下記案内板より抜粋転載~
「拝殿」と左に「馬霊魂」(※)
「馬霊魂」(※)
古来、人世は馬力に負うところ多大である。文明如何に進むとも、基礎に馬に犠牲あることを忘れてはならない。感謝をもって馬霊魂を供養し、馬が持つ天性を菩薩行に表現するなら、生活上起こりやすい、色欲財欲による悩み、また親子夫婦嫁姑間などにおける反目闘争による苦しみから救済される。また疾風迅雷の如き速さと活動力、従順性と忠実性は能く交通安全の守護神として素晴らしい働きを示す。更に肩、足腰の痛みなどに不思議な御加護がある。この碑は昭和12年、解脱金剛尊者の揮毫によるものである。~下記案内板より抜粋転載~
祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉之男尊(はやたまのおのみこと)、泉津事解之男尊(よもつことさかのおのみこと)の三柱で「谷畑(やばた)の権現さま」(谷畑とはこのあたりのかつての字名)として親しまれてきた。創立年代は不詳だが、中世から近世にかけて熊野詣でが流行し、熊野参りをする講が各地でつくられた中で、この神社も勧請(分霊を迎え祀ること)されたと考えられている。寛政8年(1796)の社殿改修棟札の写しが残っていることから、少なくともその時期までにはこの地に創建されていたことがわかる。毎年の例大祭で、区指定無形文化財の「目黒ばやし」が奉納されている。参道脇には、明治時代に碑衾村の村長だった栗山久次郎(1853~1934)の銅像がある。衾西部耕地整理組合長などを歴任し、この地域の発展に貢献した功績を称え、昭和10年(1935)に銅像が建てられた。目黒区教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
境内案内図
「一之鳥居」
扁額:熊野神社
めぐろ風景 MEGURO-55
「熊野神社と目黒ばやし」
かつて谷畑といわれた自由が丘、緑ヶ丘一帯の氏神様であった熊野神社。地元では「谷畑の権現さま」と呼んで親しんできた。その昔、那智熊野神社(現在の和歌山県)を極楽浄土にみたてた熊野参りが盛んだったが、江戸時代に谷畑の村人が、本宮の分霊をいただいて帰り、祀ったのが始まりという。毎秋、神楽殿で催される目黒ばやしは百数十年の歴史を誇る。
「二之鳥居」
朱色の「三之鳥居」
「栗山久次郎翁像」
明治時代に碑衾村の村長だった栗山久次郎(1853~1934)の銅像。衾西部耕地整理組合長などを歴任し、この地域の発展に貢献した功績を称え、昭和10年(1935)に銅像が建てられた。
狛犬
「手水舎」
水 引 … 芯の部分は紙縒りで出来ており、一本の紐状である素材自体を水引と呼ぶ。元来、紙縒りは和紙で出来ており、和紙は楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)、麻類などの繊維を原料としている。楮の樹皮を剥ぎその繊維を裂いて作られた糸が木綿。【麻】【木綿(=楮)】は『古事記』『日本書紀』にも神様に捧げる進物(幣帛)として登場し、神代の頃より神聖なものとして扱われてきた。水引も神道も陰陽五行思想があり、木火土金水の五色を大切にしている。
松竹梅 … 古来より寒さに耐える『歳寒三友』といわれる植物で縁起物の象徴とされている。※当社には全て揃って生育。
松:【黒松(男松)】【赤松(女松)】が寄り添うように生育しており、【夫婦松】としてお守りいただいている。
竹:【夫婦松】の周辺に生育しており、斎竹(いみたけ)等、神事の際に使われる神聖な植物。
梅:狛犬の前に【紅梅】【白梅】が、回廊後ろにも生育し梅雨の時期には立派な梅の実を実らせている。
八咫烏 … 初代天皇の神武天皇が国を統治するために奈良の都を目指した【神武東征】。その道のりは困難を極め、天照大御神が遣わせた八咫烏が熊野の地で舞い降りてきて、神武天皇を奈良の都に導いたと言われている。この出来事より、熊野神社は八咫烏を勝利へ導く先導役として大切にしている。 熊野神社社務所 ~下記説明板より抜粋転載~
水引と八咫烏(やたがらす)
3羽の八咫烏
梅:「開運・招福」松:「健康・長寿」竹:「厄除・良縁」
「社殿」
本殿は明治42年(1909)、拝殿は昭和42年(1967)に現在の姿に改築された。寛政8年(1796)には境内の樹木を使って改築をした、古い記録も残っている。
狛犬
「神楽殿」
昭和9年(1934)に藁葺屋根から現在の銅板葺のものに改築された。秋の例大祭では、神楽の奉納の他、江戸時代から伝わる目黒区の無形民俗文化財「目黒ばやし」の演奏も披露され、神楽殿に笛や太鼓の調べが響き渡る。
境内社「伏見稲荷神社」
御祭神:倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
農耕や商工業、商売繁盛の神様
狛狐
「手水舎」
「手水鉢」
開運招福の象徴【がまんさま】
『手水鉢を支える仕事に不平を言うことなく長い年月、苦難に耐えている』姿が、いつしか人々に親しみを持たれ尊敬されるようになった。不満を言うことなく努力、忍耐、継続を貫く『縁の下の力持ち』の存在がいずれは開運を招く象徴となった。忍耐力が不足しがちな現在人は、今一度【がまんさま】の姿より忍耐不抜の精神を養いたいものです。熊野神社社務所~下記案内板より抜粋転載~
狐面みくじ
お願いきつね
「伏見稲荷社」の向かって左側の竹の小径を進む
御神木【夫婦松】【良縁松】
松の葉は二枚向かい合ってついており、枯れて落ちても離れないことから、松は夫婦円満の木ともいわれ、さらに当社の松は黒松(男松)、赤松(女松)が寄り添うように育んでいるため【夫婦松】とされている。また、松は神さまが宿るのを『待つ』木という神聖な木。【良縁松】と言われている。~下記案内板より抜粋転載~
紀州・吉野大神宮から運んだ苗が
育ったものといわれている
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