横須賀東海岸散策Ⅱ 御所ケ崎・走水低砲台跡・走水海岸


2024年5月に浦賀を散策。前回行けなかった場所を訪ねて浦賀を再訪。史跡東京湾要塞跡の「千代ケ崎砲台跡」、浦賀港西の灯台の役目をしていた「燈明堂」のある「燈明台」へ。バスで浦賀駅に戻り、「観音崎」へ。ここから海沿いの道を名所スポットを訪ねて「馬堀海岸駅」まで歩きました。「観音崎」から先は、海と緑に囲まれた"絶景美術館"「横須賀美術館」、日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘媛(おとたちばなひめ)の伝説の地「走水神社」、日本武尊がここから上総に渡ったといわれる「御所ケ崎」、東京湾防備のための「走水低砲台跡」へ。終点の駅までは、海沿いの「走水・馬堀海岸」を散策。お天気も良く、時折、浦賀水道を行き交う船が見えて気分も爽快!! -2025.3.22-

きままに散歩 04 馬堀海岸駅 … 観音崎

上記:横須賀市HPより転載

走水港(横須賀市走水)


御所ケ崎(横須賀市走水)


走水漁港から海に突き出している小さな岬がある。日本武尊がここから上総に渡ったといわれ、仮の御所を設け、軍旗を立てたことから御所ケ崎、旗山崎と呼ばれたと伝えられている。

横須賀風物百選「御所ケ崎

日本武尊 弟橘媛命 伝説の地 「御所ケ崎

古事記・日本書紀によれば日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国征伐のおり、走水から上総(千葉)へ船で渡ろうとした時、海が荒れて進めず弟橘媛(おとたちばなひめ)は海神の怒りを静めるために身を投じ荒れ狂う海を鎮めた。地元伝承によれば武尊がこの地に臨時の御所を設け軍旗を立てたことから御所ケ崎、旗山崎と呼び弟橘媛は御所ケ崎先端の「むぐりの鼻」 に次女たちと共に身を投じたと伝わる。港には尊が海を渡るときに乗船したといわれる寺島(御座島)の名がある。

《古東海道》日本武尊の東征の道は古東海道といわれ足柄峠を越えて相模国に入り三浦半島を横切って衣笠宗源寺・天神坂辺りから安房口神社、小原台・走水から上総へ渡る道順と考えられている。大津行政センター市民協働事業・大津深訪くらぶ ~下記案内板より抜粋転載~

走水低砲台跡(横須賀市走水)


「走水低砲台跡」

走水低砲台跡とは?:走水低砲台は、明治18年(1885)から19年(1886)に陸軍によって建設された砲台。27cm加農砲4門を備え、東京湾要塞を構成する砲台の一つとして首都東京を守る任務にあたった。日清、日露戦争とも交戦することはなく、また関東大震災で被害を受けたが、その後、横須賀重砲兵学校の演習用砲台として復旧し、終戦まで稼働状態にあった。現在も良好な状態でほとんどの遺構が残っている。走水周辺は東京湾の内湾が房総半島と近接して最も狭くなる場所に位置し、江戸時代後期には旗山崎台場が築かれ、明治時代には低砲台のほかにも走水高砲台、小原台堡塁、花立台砲台が築かれるなど海防の重要地点であった。走水低砲台が建設された丘を含む岬一帯を示す「御所ケ崎」や丘の周辺を指す「旗山崎」という地名は、古事記・日本書紀に伝わる日本武尊と妻の弟橘媛の伝説に由来している。横須賀市の歴史、文化、自然を「ルート」でつなぎ、市内全体を大きな「ミュージアム」として楽しむ「よこすかルートミュージアム」のサテライト施設でもある。一般公開は祝日と土日のみ、門扉が開放される。~下記案内板より抜粋転載~

「走水低砲台跡」

【走水低砲台の構造】海岸に突出した海抜約20mの低丘上に4つの砲座が並び、27cm加農砲が設置されていた。4つの砲座の中央には地下式の兵舎(掩蔽部)を設け、第一砲座と第二砲座の間に共通の地下式の弾薬庫、第三砲座と第四砲座の間に同じく共通する地下式の弾薬庫が設置されている。

砲弾供給の仕組み砲座間の横檣(=防弾用の土塁)の下に設置された弾薬庫からは、左右の揚弾井を使用して地上の砲座に砲弾を供給。引き揚げられた砲弾は各砲座の弾室に納められ、射撃に備えた。2つの砲座は高塁道で連絡し、その中間には小隊長掩壕が造られ、両側の砲座に指示を出すことができた。~下記案内板より抜粋転載~

「兵舎」(兵員棲息部)

「弾薬庫」(右翼)

内部は、左右にわかれている。右側は第一砲座、左側は第二砲座。

「砲座跡」

27cm加農砲が据え付けられていた

走水低砲台は小高い丘の上にあるため、散策路からは東京湾を一望でき、浦賀航路を行きかう船を眺められる絶好のポイントとなっている。

「東京湾要塞の砲台」

破埼緑地(横須賀市走水)


破崎緑地は、走水水源地から観音崎方面へ向かう坂にある「展望デッキ」。

上記写真:ヨコスカロケーションサービスHPより転載

東京湾眺望 夕陽の富士

JR横須賀駅から大津・観音崎へ続く約10kmの海辺のみちを「うみかぜの路」という。大津は東京湾の眺望が特に素晴らしい所で、東京湾唯一の自然島・猿島や要塞の島第一、第二海堡を望み、横浜のランドマークやベイブリッジ、アクアラインや房総半島の山々、街などを一望することが出来る。馬堀海岸の緑陰道路では、フェニックスやワシントンヤシが三列に並び、国内初の面的防護による高波対策の護岸がある。観音埼ボードウォークでは東京湾を行き交う世界の船舶が間近に見られる。晴れた日は富士山を望み、春秋には山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」を見ることができる。 大津行政センター市民協働事業・大津深訪くらぶ ~下記案内板より抜粋転載~

走水海岸


遠浅の海は波も穏やか。 東京湾に出入りする大型船を、間近に眺めることができる。 猿島や房総半島など東京湾を一望でき、遠く富士山も望める。 冬暖かい三浦半島は1年中釣り客が多く、活魚料理のお店も年中営業している。 観音崎方面に進んだ破崎は、富士山が望める絶景のビューポイント。~横須賀市観光情報HPより抜粋転載~

走水海岸と走水漁港の船着き場を結ぶ橋「伊勢町橋」

東京湾の光景。海上右側に浮かぶのは「猿島」。

走水水源地(横須賀市走水)


走水水源地は、明治9年、フランス人技師ヴェルニー指揮のもと、日本の近代化が始まった横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用したことに始まる歴史ある水源地。煉瓦造貯水池とコンクリート造浄水池は、共に国登録有形文化財・日本遺産構成文化財に指定されており、今なお現役施設として活躍している。~横須賀市観光情報HPより抜粋転載~

上記写真:横須賀市観光情報HPより転載

「横須賀水道発祥の水」

~ヴェルニーの水~ 

由来:この水は、走水の湧水を利用した水道水です。フランス人フランソワ・レオンス・ヴェルニー(Francois Leonce Verny)が、明治9年(1876)横須賀造船所の用水として送水した。また、明治41年(1908)12月、市営水道として、小川町、大滝町、若松町の人々に給水された、給水開始100周年を記念して、ご利用いただけるようになりました。横須賀市上下水道局  竣工:平成20年(2008)3月  ~下記案内板より抜粋転載~

走水水源地公園駐車場敷地内に設置された水栓では、湧き出した水を飲むことができる。なお、この水は、走水水源地の水を膜ろ過設備によって浄水したもので、水道法に基づき、塩素を含んでいる。

走水水源地公園(横須賀市走水)


明治9年(1876)、横須賀造船所のためにフランス人技術者ヴェルニーが築造した水源地の一部を公園として開放している。市内唯一の水源地であり、横須賀水道施設発祥の地でもある。自然海岸の走水海岸に隣接し、東京湾を一望することができるとともに、桜の名所のひとつにもなっている。

「芝生広場」

東京湾を見ながら、散歩等で利用でき、春には100本を超える桜が咲き誇る。

走水隧道(横須賀市馬堀町)


「走水隧道」

このトンネルの前身は導水隧道で、明治9年(1876)横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)に走水の湧水を送る土管を敷設するために掘られた。当時は、およそ幅が1m、高さ1.5m、長さ320mの素堀で、途中海側に明りとりの丸窓がついた一本のものであった。その後、東京湾要塞として走水・観音崎地区の重要性が高まり、車馬による交通路を確保するため、軍によって明治16年、およそ現在の規模に拡張された。こちら側を「走水第二隧道」、馬堀側が「走水第一隧道」と呼ばれ、入り口アーチの煉瓦積の古色に、当時の面影を残している。  横須賀市・大津地域文化振興懇話会  ~下記案内板より抜粋連載~

「走水第二隧道」の入り口

馬堀側「走水第一隧道」の出口

「旧水道トンネル」(走水隧道)

明治9(1876)年横須賀造船所(現・米海軍横須賀基地)のフランス人技師ウェルにニーが計画した軍用水道で、市内で初めて水道管を敷設したトンネル。走水の豊富な湧水を7km先の造船所まで高低差10mの傾斜を利用した自然流下式。当初は高さ1.5m、幅1m、長さ320mの1本の長いトンネルで、途中に明りとりの穴を設けた。明治29(1896)年東京湾要塞地帯として重要な走水・観音崎地区への車馬の交通路として現在の規模に拡張され、2本のトンネルになった。馬堀側入口のトンネルの山腹には古墳時代後期の横穴群がある。大津行政センター市民協働事業・大津探訪くらぶ ~下記案内板より抜粋転載~