茅ヶ崎小出川の河津桜🌸と菜の花が見頃というニュースを見て茅ヶ崎へ行ってきました。併せて、小出川沿いを歩き、湘南茅ヶ崎の総鎮守「鶴嶺八幡宮」を参拝、その後、茅ヶ崎駅に戻る途中にみつけた、国道一号線沿いの十間坂(じゅっけんざか)にある「第六天神社」へ。観光協会でいただいた"茅ヶ崎ガイドマップ"を片手に、"海辺"の魅力とは違った"歴史を感じる茅ヶ崎"を歩いてきました。-2026.03.01-
茅ヶ崎ガイドマップ
上記マップ:茅ヶ崎市観光協会
小出川は、相模川水系の一級河川で神奈川県藤沢市北部から茅ヶ崎市を流れている。川沿いは、一年を通じて四季折々の花々が咲きみだれるが、春には若木を含めた70本ほどの河津桜と菜の花が見頃を迎えている。会場は小出川に架かる「萩園橋」上流250メートル付近(茅ヶ崎市萩園)周辺では、2026年2月22日から3月8日(日)の期間に、第17回小出川桜まつりを開催。
菜の花と競演
玉縄桜も
「荻園橋」から小出川沿いを歩いて
「鶴嶺八幡宮」へ
「浜園橋」から「新鶴嶺橋」までの
小出川左岸に500mほど続く紅梅白梅の梅並木
残念ながら満開はとうに過ぎてましたが
茅ヶ崎市内の国道1号線、千の川に架かる
「鳥井戸橋」
「大鳥居」(一の鳥居)
朱色の大きな「大鳥居」。ここが「鶴嶺八幡宮」参道の入口。この鳥居をくぐると松並木の参道が約1㎞ほど続く。
「鶴嶺参道歴史ひろば」
鶴嶺八幡宮参道整備の一環として2013年度に整備された。参道と松並木は市の史跡・天然記念物に指定されており、歴史を物語る文化財となっている。同ひろばは参道の真ん中あたりに位置し、文化財の説明板が設置されている。総面積は275㎡。
「鶴嶺参道歴史ひろば」
「鶴嶺八幡宮」は、その創建が平安時代末期にさかのぼると云われる古社。その後は幾度にもわたる戦乱によって荒廃したが、江戸時代になって、僧朝恵が領主山岡氏の援助を得て再興を果たし、三代将軍家光から社領七石の御朱印を受けた記念に、南大門馬場の左右に松を植えた。これが現在に残る松並木の参道。この辺りは、古墳時代後期(1400年前頃)から村の営みが始まり、奈良・平安時代にかけて発展したことが発掘調査でわかっているが、鎌倉時代になると「懐島」という地名が記録に現れ、鎌倉幕府とのゆかりが強い地域であることが知られている。この鶴嶺八幡宮参道は市の史跡に、松並木は市の天然記念物に指定され、地域の中で保護されてきたが、参道の整備にあわせてこの歴史ひろばが設けられた。~下記案内板より抜粋転載~
「絵図に描かれた参道」
この絵図は、江戸時代末期の万延元年(1860)に皇女和宮が降嫁する際に備えて描かれた山岡家所蔵の絵図の一部で、当時の参道と松並木の様子を見ることができる。絵図には、神社本殿よリ東海道まで長くのびている約764mの参道と両脇に松が整然と立ち並んでいる姿、このほか、本堂前の横参道や参道両脇にある池および反り橋の様子も見ることできる。また、東海道と接するところには大鳥居があり、付近に弁慶塚の存在も確認することができる。~下記案内板より抜粋転載~
「馬頭観音」
馬頭観音は、馬の供養や無病息災の祈願をこめて造立される。本像は、真ん中に合掌した観音像、向かって右側に「寛政7年3月乙卯3月日」、左側には「施主熊澤左四良」と刻銘されている。「寛政7年」(1795年)の銘から、市域において古い馬頭観音であることが分かる。砂岩を浮彫にし、自然石による光背形像。馬頭観音の形相の多くは「憤怒」を示しているものが多い中、本像は比較的穏やかな形相をしている。現在は欠けてしまっているが、馬頭観音の特徴である馬の頭部が観音像の頭部に彫られていたと考えられる。【像の大きさ】高さ42cm ✕ 幅19cm✕ 奥行12cm 茅ヶ崎教育委員会 ちがさき丸ごとふるさと発見博物館 ~下記案内板より抜粋転載~
「八丁松並木」(茅ヶ崎市史跡天然記念物)
江戸時代初期に別当常光院の僧 朝恵が鶴嶺八幡宮を再興し、慶安2(1649)年に三代将軍家光から社領7石の朱印を得、参道に松を植えた。(参道:市指定史跡、 松並木:市指定天然記念物)
「二の鳥居」(石鳥居)・太鼓橋
狛犬
「参道松並木」(茅ヶ崎市指定史跡)
松並木の下に石灯籠が並ぶ参道
参道の途中に
「天照皇大神宮」
(あまてらすこうたいじんぐう)
御祭神:天照大神
「懐島弁天」
(ふところじまべんざいてん)
御祭神:市杵島姫命
「昇り龍の松」
「記念碑」
東海道(国道1号線)より御社頭まで「八丁松並木」と古来より呼ばれ、四季を通して色変えぬ松のみどり。浜降祭には先駆神社として先頭(露払い)に立ち他の神輿を導く名誉ある役目を果し、宮立ちには文化3年建立の「八幡さま」神輿の勇姿が提灯の灯に映し出され幽玄の世界が繰り広げられるのも、この参道である、「八幡さま」固有の基本形態をなす表参道、馬場道(流鏑馬)とも呼ばれる横参道、源平池の神域。これらの遺産を守り伝えられた先人への畏敬の念あれば、この遺産を更なる次の世代へと引き継ぐことが現世を生きる私たちの責務と思う。ここに平成の大事業として敬神尊祖の思い篤き有志の浄財をもって灯籠を建立する。鶴嶺八幡宮 ~下記案内板より抜粋転載~
「朝恵上人と参道 松並木」
八幡宮別当常光院住職、慶安2年(1649)三代将軍家光より、御料として、七石の御朱印を拝領した記念に地頭山岡景信と相計り、まず社殿を再建し、更に八幡宮参道と社前の馬場に松の木を植えて、神域の保全整備をした先人である。その偉業を讃え後世に語り継ぐために、ここに上人の碑を祀る。
ながながと 参道に列並む 松のみどり 朝恵上人を 語りつぐべし 三郎
今もなほ 朝恵の松の 若みどり 十八世鴫立庵芳女 ~下記案内板より抜粋転載~
「鶴嶺八幡宮」
【御祭神】應神天皇・仁徳天皇・佐塚大神 菅原道眞(鶴嶺天満宮合祀)【鎮座地】神奈川県茅ヶ崎市浜之郷四六二番地【例大祭】九月十五日【御由緒】相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地として名高い。康平年間(1058〜1065)源頼義が東征の際、石清水八幡宮にならい、本郡懐島郷矢畑村本社に一社を創立し、後に源義家が現地に奉還したと云う。更に治承年間(1177〜1181)に源頼朝が鎌倉由比郷に遷したが、その旧社は存続し、本社八幡と称したものと伝えられている。源氏代々が篤く崇敬し、源頼朝は治承年間に懐島の地若干を寄進し、また建久年間(1190〜1199)に肥後国有為の庄七百貫を寄せ、懐島権守平景能をして社殿の修復を命じた。弘安4年(1281)には蒙古軍退散を祈り、その後、永禄・元亀年間(1558〜1573)に兵火に罹り堂宇・古記録等を消失した。古くは、本社の別当に十二坊があったが、各々村々に離散し廃坊となった。正保年間(1644〜1648)別当常光院の住僧朝恵は山岡氏と相計り社殿を再建した。また参道を整備し松を植えた。明治維新の神仏分離に際し、別当常光院が復飾して祠掌となる。明治六年村社に、昭和9年9月6日に郷社に列格。
相模川の船渡し行けば大いなる原あり、砥上ヶ原とぞ。この原のあたりに見えたる神社あり、問えば八幡勧請の一とぞ。
「花の梢一木一木に神さびたり をる人や砥上ヶ原の八幡山神のもるてふ花の盛りは」東国紀行 天文13年(1544)室町時代より
~下記案内板より抜粋転載~
「鶴嶺八幡宮」境内にある由緒書
境内案内図
「宮鐘」
「手水舎」
「鶴嶺八幡のイチョウ」
和名:イチョウ(イチョウ科)
<神奈川県指定天然記念物>
多数の側枝が叢生し、その数本がゆ着して成長し幹を形づくっていると言われ、ゆ着したと思われる部分が縦の線となって認められる珍しい巨木である。昭和59年12月には「かながわの名木100選」に選定されている。【樹高】29m【胸高周囲】9.0m【樹齢】約1000年(伝承) イチョウは中国原産の落葉高木で、その仲間は古生代から中生代にかけて栄え、日本にも化石が産出する。1科1属1種の雌雄異株の裸子植物である。樹高45m、胸高周囲14m、樹齢約2000年に達するものもあると言われている。~下記案内板より抜粋転載~
「鶴嶺八幡宮の大イチョウ」
<神奈川県天然記念物指定>
<茅ヶ崎市指定景観重要樹木第1号>
【根廻り】8.5m【目通り】9m【樹高】29m このイチョウは実生かまたは移植の際に多くの側枝を叢生し、勢いよいものが4・5本くっついて成長を続け、現在の幹を形づくったものとみられている。きわめて珍しい大木である。なお、次のような伝承がある。この神社は平安時代後期、源頼義が平忠常の乱を平定の折に、このあたり懐島郷を通り風光明媚の小丘に源氏の守り神、石清水八幡宮を勧請したに始まるといわれ、その後、前9年の役で父頼義を応援に奥州へ向かう途中の義家(八幡太郎)がそこに詣で、戦勝を祈願して現在地に遷座したという。このイチョウは、その時義家が手植えたものといわれている。昭和59年、「かながわの名木100選」に選ばれている。茅ヶ崎市 茅ヶ崎市教育委員会 ちがさき丸ごとふるさと発見博物館 ~下記案内板より抜粋転載~
「拝殿」
掛魚に八幡宮の神紋の二羽の鶴
「本殿」
「淡島神社」
【御祭神】淡島神 小彦名命【例祭】三月三日【神事】針供養:二月八日・十二月八日 人形供養:随時
【由緒沿革】淡嶋神社は鶴嶺八幡宮の末社として鎮座し、御祭神淡島神は、伊弉諾命・伊弉那美命の御子神であられ、淡嶋信仰として往古より女人の守護神として崇敬篤い。又、小彦名命は太古草創の時に際し大国主命と共に国土を経営し、民生を教導し、医薬禁厭の事を司り給う。寛政元年十一月浜之郷宮ノ前に造営ありたるものを安政六年三月官令により当所に遷座す。明治十年三月、大正元年十月、近くは、昭和五十一年七月それぞれ奉修再興の棟札がその沿革を伝えている。
(社前にて)厄除・縁結・子授・安産・学問・芸術・裁縫の上達をはじめ病気・事故などの生命の安全・生活の平穏無事を祈願されたい。又、針供養・人形供養の社としても名高い。
「ガン封じの祈願石」社前右手の石はガンを始め難病を癒す霊石と云われ、多くの人に信仰されている。石と体の悪い所を交互にさすり「祓え給え、清め給へ」と三回念じる。此の石の兄弟石が神明大神(市内 円蔵二、二八二番地)に祀られており、両方の石をさする事により病を癒す力が増すと云われている。~下記案内板より抜粋転載~
「ガン封じの祈願石」
社殿の横にある「神鳩像」
鳩は、八幡宮の神使。"鳩みくじ"についてあるおみくじを取り外し、鳩に願い事と名前を書いて神鳩として奉納できる。神使の鳩が、願いを八幡様に、届けてくれる。
「神輿殿」
「淡嶋神社」から「鉾宮神社」に向かう途中に
「座敷わらしの遊ぶ場所」
座敷「わらこ」は、人の心を癒すために子供の姿で現れました。「あなたが本来の純粋な自分に立ち返って、人生をもっと楽しみ、幸せや豊かさを感じられるように私が案内します」と
「鉾宮神社」(ほこのみやじんじゃ)
【御祭神】須佐之男命(スサノオノミコト)、古刀比羅命(コトヒラノミコト)【ご利益】厄除、疫病退散、開運、縁結び
「みちびきの木」(道引きの木)
「私があなたを癒し、よい方向へみちびくから悩みや不安をそと囁いて」
「鶴嶺稲荷神社」
【御祭神】宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)【ご利益】商売繫昌・家内安全・社運隆昌・金運向上 「衣・食・住」の人間生活全般を守護し 生きる力を再生してくださいます
良縁成就「夫婦楠」
二本の楠の間をくぐり、本殿に向かって参拝
「御神木 槙」
開運招福 財運龍昇(隆昌)
当八幡宮創建の頃に植えられたと伝わる。龍が頭をもたげたようにも見えることから「昇龍」としても親しまれている。また、木の周りには弁財天のお使いである白蛇がとぐろを巻いているのを見掛ける時もあり、毎月巳の日に卵を供えると金運向上の御利益をもたらすといわれている。~下記案内板より抜粋転載~
「御神木」
槇 齢一千余年
康平年間(1058〜1065)源頼義公前九年ノ役ノ戦勝祈願ノタメ一樹ヲ手植セシモノト伝ウ 平成十三年四月再建
「第六天神社 御由緒」
【御祭神】淤母陀琉命(オモダルノミコト) 妹阿夜訶志古泥命(イモアヤカシコネノミコト)
ご祭神は、神仏混淆時代の仏教で信奉する欲界天の第六、欲界天の最高所に客殿を構える。天魔、他外自在天に由来し、明治維新後政府の神仏分離の布告により、ご神徳に因み、国生み神話天神七代の神々の内の、第六代の男女二柱の天津神様。分布の傾向に特徴があり、西日本は皆無に近く、東京都と千葉県境に多く所在し神奈川県では宗教法人格を持つのは二神社、全国で「祠」ようの社も含め三百有余社が数えられる。神々の中では、初めて人間のような容姿と賢い知恵を持ち合わせた大神様。
【御神徳御由緒】身の丈は二里(八キロ・昔は大きいということは健康であることの象徴)寿命は人間の千六百歳を一年として、一万六千歳の長寿であられ、それに因み、身体壮健、不老長寿、社前の東海道を上下する覊旅の人々の道中安全の守護神として又、世の楽しみを自在に自己の楽しみに替える霊力に因み、満願成就への導きの神として信仰されている。古くは、第六天神社は多く祀られており、織田信長の信奉は特に篤く、後の豊臣秀吉は信長が天下を執るほどの強大な力を持ったことは、第六天の強靭な神威を戴いたことによるものと、恐れて廃寺を行ったと伝承されている。その中で郷民により神社名を変更したり、合祀、相殿、末社として秘かに守り信仰されてきた第六天神社。創立年代、創立者等不詳。文献では、江戸幕府編集の新編相模風土記(十二代将軍家慶の時代・天保12年)に初見される。
【御末社】八坂神社
【御案内】初宮詣 七五三詣 厄祓い 交通安全 渡航安全 家内安全 事業安全 商売繁昌等の御祈祷 地鎮祭 竣工祭 新築家祓等
【鎮座地】神奈川県茅ケ崎市十間坂三丁目十七番十八号 ~下記案内板より抜粋転載~
「鳥居」
「手水舎」
狛犬
「拝殿」
拝殿の扁額:山岡鉄舟(山岡鉄太郎)書
「神武天皇の国見」の彫刻
拝殿手前左側に末社の「八坂神社」
【御祭神】「須佐之男命」(スサノオノミコト)【御神徳】病気平癒 悪疫退散 災害防止 庶民安泰
「慰霊碑」
建立趣旨:日露の大戦より大東亜戦争に至る戦いに従い今日の平和日本の礎として御国の為に尊い身命を捧げられた方々を顕彰し我が民族永遠の弥栄を祈り氏子崇敬者の浄財を得てここに慰霊碑を建立す。
「パワースポットのご紹介」
第六天さんには、御社殿の真裏に樹齢二百有余年と推定される「ご神木」として大切に守られてきた太い黒松がある。しかし、そのあまりに高い樹高のために、昭和二十年代に落雷にあい中程より折損してしまった。その身をもって落雷から御神殿を守って下さったと伝えられている。かつて、漁師が茅ヶ崎沖に出漁した際に、自船や漁場の位置確認の目印にもなり、御神殿を陽射しから守るが如く枝葉を伸ばしていた当時の容姿が偲ばれる。さて、近年になり情報雑誌にて、この「ご神木」のパワーを実感したと紹介されたようです。皆様も「ご神木」を拝み そっと手を触れ思いを念じ 力強い運気・気力・体力・精気を養い明日への活力を戴きましょう。~下記案内板より抜粋転載~
この横道の先、御社殿の真裏に
「ご神木」の黒松がある
「ご神木」