昨年9月に "横浜山手散策" した際に気になった「横浜山手の坂道」。「元町公園」を挟んで「貝殻坂」・「額坂」2つの坂を歩いてみました。途中で出会った歴史的史跡「山手80番館遺跡」と「ジェラールの水屋敷跡」など。 "横浜山手" の新しい発見!! でした。 -2026.02.22-
昨年の "横浜山手散策" は、 横浜山手散策Ⅰ(Sep.2025) 横浜山手散策Ⅰ(Sep.2025) へ。
「貝殻坂」は、元町公園と外国人墓地の間を通り、元町ショッピングストリートと山手本通りを結ぶ坂道。坂名は、坂道があるのは山手貝塚の一部で、往時から貝殻が出土していたことが坂の名の由来。
元町公園沿いの苔むすブラフ積の擁壁
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「山手のブラフ積み」
■ブラフとは:“ブラフ(BLUFF)”とは“切り立った崖”という意味であり、新山下に面する絶壁状の地形から、外国人居留地の時代より、山手は外国人たちによって「ブラフ」と呼ばれていた。住所表記でも「BLUFF○○(数字)」のように記され、その番号は山手町の地番としてほぼ引き継がれている。この場所の愛称「BLUFF99GARDEN」は横浜山手の歴史的な呼び名に由来する。
■ブラフ積みとは:山手は尾根道としての山手本通り沿いに宅地が展開しているため、宅地の間や宅地と道一路の間に多くの段差があり、造成する際に石積みの擁壁が築かれていった。石垣はいずれも棒状(直方体 長手3尺[約900mm])房州石を用い、長手面と小口面が一段中に交互に並ぶ積み方をしている。この積み方は、山手のみならず横浜市内、横須賀や東京でも見かけることができるが、横浜山手の特徴的な景観要素になっていることから“ブラフ積み”と呼ばれている。
「横浜地方気象台」の左手
「ブラフ99ガーデン」の外に設置されている案内板
港の見える丘公園の拡張部に、2014年(平成26)に開園した公園。市街地の緑を創出するために"横浜みどりアップ計画"で整備された。山手の洋館の前庭をイメージし、バラや宿根草、樹木を植え、1年を通して花や緑を楽しむことのできる。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
横浜の山手地区にある緑豊かな公園。園内には、「ジェラールの水屋敷跡」や「山手80番館遺跡」など、歴史的に貴重なものが数多くある。また、横浜山手西洋館の山手234番館、エリスマン邸、ベーリック・ホールがあり、いずれも無料で見学することができる。さらに、スポーツ施設である市営プールや弓道場も併設されている。
この赤レンガの構造物は、関東大震災前の異人館遺跡で、震災当時はマクガワン夫妻の住居となっていたところ。この一帯は、かつての外国人居留地の中心地で、多くの外国人住宅のほか、学校・病院・劇場・教会などの西洋建築がたちならんで「異人館のまち」をつくっていたが、今日なおその面影をそちこちに残している。本遣跡は、煉瓦壁体が鉄棒によって補強されており、耐震上の配慮がなされていたが、床部のせりあがりや壁体の亀裂が随所にみられ、関東大地震による被害状況を物語っている。現在、地下室部分を残すだけだが、浄化槽をも備え、古き良き横浜の居留外国人の華やかな暮らしぶりをうかがいしることができる。両わきのタイルは遺構から出土したものを複製した。横浜市緑政局 横浜開港資料館 ~下記案内板より抜粋転載~
「元町公園」の西側に沿って続く坂道「額坂(ひたいざか)」。NHK朝の連続テレビ小説「まれ」では主人公の希が通勤する場面でたびたび登場していた。坂の名の由来には、おでこが付くほど急な坂道ということから、また、かつて谷に挟まれて額のように突き出た地形の場所にあった坂道だったからなどの説がある。坂の脇には現存する貴重な土木遺産の石造側溝「ブラフ溝」も見られ、坂の途中付近では関東学院の源流である「横浜バプテスト神学校」が明治17年(1884)に発祥するなど、歴史を感じさせる坂道でもある。~THE YOKOHAMA STANDARD HPより転載~
関東学院の源流
「横浜パブテスト神学校発祥の地」
1884年10月6日、ここ山手で A.A.ベンネットが横浜バプテス ト神学校を設立した。関東学院キリスト教教育の源流はここに発する。 校訓「人になれ 奉仕せよ」2009年10月 創立125周年記念 学校法人 関東学院 ~下記案内板より抜粋転載~
坂の脇には土木遺産の石造側溝「ブラフ溝」も見れる
ジェラールの瓦工場と水屋敷跡
(西洋瓦製造のはじめ)
この地は、明治初年フランス人アルフレッド・ジェラールが、居留地建設にともなう西洋瓦や煉瓦を製造した工場並びに水屋敷跡。ジェラールの経歴については不明な部分が多いが、居留地77番~79番の約3,370坪(約11,200㎡)を落札し、永代借地権を獲得して蒸気機関を原動力とした工場を経営した。『日本絵入商人録(明治19年刊)』 によると製品には、西洋瓦・普通及穿孔煉瓦・土管・タイルなどがみられる。1873年(明治6)の製作年号のある瓦が確認される最古のもの。また、ジェラールはこの地から湧き出る清泉を代官坂に溝を掘って掘割に通し、「船用最上飲用清水販売所」の看板を掲げて、船舶に販売した。水屋敷の呼び名はここから生まれた。大正12年(1923)の関東大震災により崖が崩れ、工場は倒壊。跡地は震災の復興に際して市有地となり湧水を利用してプールを建設した。~下記案内板より抜粋転載~
「ジェラール水屋敷地下貯水槽(下部貯水槽)」
<国登録有形文化財>
幕末から横浜に居留したフランス人、アルフレッド・ジェラール(Alfred Gerard)は、山手居留地77番~79番の地を得ると、谷戸に湧き出る豊富な湧水を利用して、横浜港に出入りする船舶への給水事業を開始した。「水屋敷」の名前はここに由来している。また、ジェラールは蒸気機関を導入した工場を建設し、フランス瓦や煉瓦・土管・タイルなど建築資材の製造・販売も手がけていた。この煉瓦貯水槽は工場の入口部分に位置しており、元町公園の一帯が、当時のジェラール工場の敷地であった。現存するジェラール工場の遺構としては、この貯水槽のほか、元町公園内にもう一つの煉瓦造地下貯水槽(「上部貯水槽」)の存在が確認されている。同氏はジェラール瓦として名高いフランス瓦製造業も併業し、これらの施設はジェラールの水屋敷として親しまれた。~現地案内板より抜粋転載~
上記写真:アットヨコハマHPより転載
「ジェラール水屋敷地下貯水槽(上部貯水槽)」
昭和63(1988)年、さきに発見されていた下部貯水槽のわき水調査を行った際、上部水槽が発見された。これは、A・ジェラールが船舶給水業を行うため建設したもので、この水は、明治時代に船乗りたちの間で「インド洋に行っても腐らない」と評判を呼んだものです。”ミナト・ヨコハマ”を世界的に有名にした「水」の貯水槽。この上部貯水槽は、周囲の山からの湧水が毎分約50リットル流れ込み、その水位が1m程度になると下部貯水槽へ流れるような仕組みになっている。ここで集水し沈澄させる役割を果たす貯水槽と考えられる。そして、上部貯水槽から堀川までは地下に管を敷設し、川岸から小船に積み替えて横浜港内の船舶に給水していたようである。~下記案内板より抜粋転載~
「ジェラールの瓦とレンガ」
この地には明治時代の初期から末にかけて、フランス人ジェラールの経営する西洋瓦とレンガの製造工場があった。特徴ある模様や銘のある瓦は「ジェラール瓦」と呼ばれて市民に親しまれてきた。「ジェラール瓦(西洋瓦)について」:横浜開港後、来日した西洋人は、はじめ和(日本)瓦で葺かれた日本風の建物に住んでいたが、しだいに自国流の建物を建て始める。しかし、建築資材である西洋瓦やレンガ等を舶来品に頼っていたため、品不足に悩まされることもしばしば。このことに目を付けたフランス人実業家A・ジェラールは、明治初期に、日本最初の本格的な西洋瓦とレンガの製造工場(A.GERARD'S STEAM TILE AND BRICK WORKS)を始めた。西洋瓦にはスパニッシュ瓦(スペイン)やフランス瓦(フランス)などの種類があり、ジェラール瓦はフランス瓦に分類される。ストレート型(長方形型)で、上下左右につめ状の凹凸をつけ、相互を噛み合わせながら瓦桟に引っ掛けて葺き上げていく技法に特徴がある。この元町公園プール管理棟の屋根の一部分は、そのジェラール瓦(黒色系統の中期型に分類される1878、1885、1887年銘入り)で葺かれている。資料提供:横浜開港資料館・山手資料館 ~下記案内板より抜粋転載~
「元町公園水泳場事務所」
屋根の一部分は、そのジェラール瓦(黒色系統の中期型に分類される1878、1885、1887年銘入り)で葺かれている。