浦安散策 Ⅱ


浦安を散策。浦安駅からスタート、ゴールの「郷土博物館」を目指して境川とともに発展した元町を歩く。残念ながら館内整備のため「郷土博物館」は休館でしたが、境川沿いの歴史と文化を垣間見られるポイントを巡ってきました。-2025.11.28-

「元町地域」(当代島・猫実・北栄・堀江・富士見地区)は、埋め立てによって市域が拡大する前からあった浦安の「もともとの町」。明治22年(1889)に堀江、猫実、当代島の3つの村が合併して、浦安村ができた。この3つの字を核とするエリアが「元町地域」。この地域には、釣宿や銭湯、のり屋、寿司屋が多く、貝類加工場で働く「むき手」の技は今でも顕在で、漁師のまちとして栄えた当時からの活気が残っている。東西線の開通や漁業権放棄を機にまちは大きく変ぼうしたが、「元町地域」には今でも昔ながらの漁師町の面影が残っている。~浦安市HPより抜粋転載~

上記:(一社)浦安観光コンベンション協会HPより転載

花蔵院(浦安市猫実)


海照山花蔵院(けぞういん)は新義真言宗に属し、猫実3丁目10番3号にある。創建は定かでなく、天正5年(1577)正月、中興の開基賢融和尚によって再興されたとされ、本尊には大日如来を安置してある。~「浦安市史」より転載~

「本堂」

「公訴貝猟願成の塔」

(こうそかいりょうがんじょうのとう)

江戸時代も後期に入った頃のこと。堀江・猫実村(浦安)と船橋村の漁師たちは、漁場の境界をめぐって争っていた。船橋村では「三番瀬(蛎内)は船橋村の漁場」と主張したのに対し、堀江・猫実村は「堀江・猫実村と船橋村の入会漁場」と主張して互いに譲らず、天明2年(1782)1月、評定所にまで及ぶ訴訟となった。そこで堀江・猫実村では花蔵院の宥賢和尚を中心に対策を考えましたが、よい対策もなく困っていた。当時、猫実村に長三郎、長兵衛、善三郎という人物がいた。長三郎は一人で代官所に乗り込み交渉しようとしたが、役人に捕らえられ、同年9月に獄死してしまった。友の死を知った長兵衛は、老中田沼意次に駕籠訴しましたが、その場で捕らえられてしまった。その後村人たちの嘆願により釈放されたが、船で帰る途中、小名木川付近(江東区)で突如容態が悪くなり非業の死を遂げた。二人の友を失った善三郎は、日頃信仰している成田の不動様に21日間の願をかけた。天明3年3月4日、善三郎はいつもどおり参拝し大雪のなか帰り始めたが、吹雪が激しくなり、原木付近(市川市)で気力が尽き果てその場で死んでしまった。3人を失った堀江・猫実村の漁師たちはより一層結束を深め、天明8年(1788)、この訴訟に勝訴したといわれている。この石塔は漁民の幸せを願って、村の発展に殉じた3人の冥福を祈るとともに、業績を長く後世に伝えるため「天明の三義人」として、明治22年(1889)、村人の浄財によって建立されたものです。浦安市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「大師堂」

「地蔵堂」 

由縁:大水で境川から流されてきたお地蔵様を拾い上げ、さかい橋、猫実側のたもとにお祀りしていたがある時、堀江地区で大火事があり、さかい橋が焼失。橋再建にあたりこの場所に移されたと伝えられている。大火事で猫実地区が延焼するのをお地蔵様が守ってくれたと昔から大切にされてきた。~現地案内板より抜粋転載~

「御瀧山不動明王(清心大菩薩)」

「ありがたやここに清心大菩薩ねがいがかのふあらたなりけり」

豊受神社(浦安市猫実)


【ご祭神豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)ご由緒「豊受神社」は、御祭神に豊受姫大神を祀る神社で、保元2年(1157)の創建といわれ、浦安市で最古の神社。現在の社殿は、昭和49年(1974)につくられたもので、永仁元年(1293)8月25日の大津波の後と嘉永3年(1850)に度重なる風水害のためにそれぞれ再建がなされている。また、「豊受神社」はその昔、字大宮前(中道右端の小丘稲荷の付近)にあったといわれており、明治初年までは社号を神明宮社と称していた。例祭日は6月16日で里神楽などが奉納された。境内には現在末社として「三峰神社」、「浅間神社」、「風の神」と「津島神社」を祀る祠、金毘羅大権現、秋葉大権現、稲荷大権現の石祠がある。~豊受神社HPより抜粋転載~

「一の鳥居」

「手水舎」

狛犬


「大銀杏」

この大銀杏は昔の人が境川の河口に流れていた小さな木を拾いあげ、豊受神社の境内に植えたものといわれている。その後、この木は順調に成長し、数百年を経た今日も枝葉が繁茂している。平成6年(1994)の樹木調査では、明治40年(1907)頃、外周が3mほどの幹が高潮などの塩害によって枯れてしまい、そのまわりに生えていた萌芽枝が大きくなり、現在の株立ちとなったことがわかった。そして近年、現在の株立ちを維持するため、樹木医による樹盛の回復作業も行われた。この銀杏は雌樹で、幹は6またに分かれ、根の周囲は8m、高さ14mにも及びところどころに乳垂状の突起がある。春から夏にかけては緑の葉でおおわれ、秋には黄色い葉とギンナンの実がなり、特に秋風に散る黄色い葉の風情は見事。浦安市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~


「二の鳥居」

「拝殿」

「浅間神社」

御祭神:木花之佐久夜毘売命

(このはなさくやひめのみこと)


「富士塚」

「風神」と「津島神社」

祠の中、右が「風神」[御祭神:風の神、左が「津島神社」御祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、江戸期まで:津嶋牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)


「三峰神社」

御祭神:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と

伊弉册尊(いざなみのみこと)


左右天命辨財天(浦安市猫実)


「猫実の弁天様」

明治17年(1884)10月、川島という人が建立した。この弁天様は猫実の弁天様といい、左右天命をお祀りしている。弁天様は「灰(へい)やのくるわ」(地域の旧名)に災害が起る前には、女の姿になって現われ、災害を未然に教えたり、大津波の襲来を予告したりして常に霊験あらたかなところから、信者が多く、特にくるわの人々は付近の守り神として崇拝していた。大正6年(1917)の大津波で堂宇が流失してしまったので、くるわの人達は浄財を持ち寄って弁天様を再建した。堂宇の中には、行徳の後藤仏具師の作による弁財天が本尊として安置している。「灰やのくるわ」の人々は、毎年1月、5月、9月の3日にお祭りをしている。浦安市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「手水舎」

「浦安市郷土博物館」方面へ

「境川」の川幅が広くなる

奥に見えるのが境川「東水門」

「浦安市郷土博物館」

「浦安市郷土博物館」は、平成13年(2001)4月1日にオープン。建物は地上2階地下2階で、1階にはエントランスホール、テーマ展示室、視聴覚室、カフェレストラン「すてんぱれ」などがあり、2階には体験学習室、企画展示室などがあります。地下1階には屋外展示場、船の展示室、事務室などがあり、地下2階には収蔵庫などが配置されてる。また、かつて浦安が漁師町だったころの街並みを再現したコーナーがあり、当時の市内の住宅や商店をそのまま移設している。また人工の川にはべか舟を浮かべ、さまざまな昔の生活体験ができる市民参加の体験型博物館。 ※当日は残念ながら休館でした😢

漁師町だったころの街並みを再現したコーナー

外から眺め、上から写真📸を撮ってみました

浦安散策Ⅰは、 浦安散策Ⅰ(Nov.2025)  へ。

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「浦安市郷土博物館」から再び境川沿いを歩き、新浦安駅へ。新浦安駅ビルでランチ後、海風を感じる「新浦安エリア」へも併せて行ってきました♬

新浦安エリア


新浦安エリアは、三番瀬の海風が感じられる開放感たっぷりの公園がたくさん!三番瀬とは浦安、市川、船橋、習志野に面する東京湾奥部に残された貴重な干潟、浅海海域。また、「三番瀬沿い緑道」は遊歩道とサイクリングロードが整備され各所に展望スポットが設置されている。天気の良い日には幕張新都心も望める。

上記:(一社)浦安観光コンベンション協会HPより転載

三番瀬沿い緑道(浦安市日の出)


浦安市の日の出地区の海岸線の整備舗装された遊歩道「三番瀬沿いの緑道」。三番瀬を望みながら散歩することができる。

「三番瀬」

目の前にひろがるこの海は、通称「三番瀬」と呼ばれている。「三番瀬」は、浦安、市川、船橋、習志野に面する東京湾奥部に残された貴重な干潟、浅海域(浅い海)。昔は浦安もここで海苔を作り漁業を行っていた。

三番瀬の向こうは「幕張新都心」

三番瀬環境観察館(浦安市日の出)


「三番瀬環境観察館」は、野鳥などの生物を含む三番瀬の自然観察ができる施設。また、令和4年8月には、三番瀬の貴重な自然環境をより身近に観察することができる施設として、三番瀬海岸親水施設が整備され、「三番瀬環境観察館」とともに環境学習の場や憩いの場として活用できる施設となっている。

三番瀬海岸親水施設「展望デッキ」

三番瀬海岸親水施設「階段護岸」

三番瀬緑道の突き当たり「朝日の広場」

「日の出海岸沿い緑道」へと繋がる

「朝日の広場」(展望スポット)

日の出海岸遊歩道デッキ

日の出海岸沿い緑道


その名の通り目の前には海が広がり日の出を見る絶好のポイントの海岸沿い歩道。「高洲海岸緑道」へ繋がる。

「シンボルロード」の海側の突き当り

「交流広場」

ヤシの木が風にそよぎ異国情緒を漂わせる

「シンボルロード」を歩き新浦安駅へ