山梨の旅  河口湖散策


甲府在住の友人を訪ねて、「熊本・大分・福岡の旅」(2003年7月)に続き "大人女子4人旅第二弾 「山梨県」特急「富士回遊」に乗って、新宿からスタート。最初に山梨県の「河口湖」。お天気が良くなかったので 「箱根美術館」「久保田一竹美術館」「河口浅間神社」へ。河口湖1泊後、甲府へ移動。「昇仙峡」・「舞鶴城公園」(甲府城跡)を中心に市内散策してきました。 お天気に嫌われ、富士山に近づくも、富士山は見えず…残念😢でしたが、大人女子旅楽しかったです。-2025.10.19~10.21-

河口湖


「河口湖」

河口湖は、本州中部山梨県の富士山北麓に存在する富士五湖の1つに数えられる相模川水系の湖。富士箱根伊豆国立公園に指定、富士山世界遺産構成資産に登録されている。富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は精進湖とほぼ同じで14.6メートル。

上記MAP:富士急バスHPより転載

河口湖美術館(南都留郡富士河口湖町河口)


「河口湖美術館」は1991年(平成3)4月、河口湖の東北岸に、富士五湖地方で初めての公立美術館として開館。富士箱根伊豆国立公園の、富士山と湖のある恵まれた自然環境の中にある美術館。河口湖美術館は富士のふもとの美術館として、富士山を描いた絵画、版画、写真を中心に収集している。巨匠から若手作家まで、様々な富士を常設展として公開。また常設展と並行して行っている企画展では、国内外の古代美術から現代美術まで、幅広い内容の展覧会を開催。~河口湖美術館HPより抜粋転載~

「天女の笛」北村西望作

天女の笛に題す

耳をすますと どこからともなく 何ともいえない音が聞こえてくることがある あれは 世に言う天女の笛ではあるまいか

『秋のコレクション展~富士へのまなざし~』は、当館所蔵の富士山をテーマにした絵画や版画、写真などを中心に構成。特集展示は前期と後期に分け、テーマを変えています。移ろう季節の中で、それぞれの画家の心に映る富士。本展を通じて、富士を見つめる多様な視点と、その背後にある画家たちのまなざしの深さ。

【前期「吉田博×足立源一郎」会期:9/5(土)~10/27(月)】:霊峰富士を見上げる吉田博と足立源一郎。山を描いた二人の、それぞれの視点から描かれた風景には、自然への深い敬意と静かな情熱が息づいている。精緻な技術に支えられた油彩と木版画を通じて、山と向き合い、風景に心を寄せた二人の作品が静かに語りかける。秋の澄んだ空気のなか、風景の奥にあるまなざし。このたびの特集展示は吉田博の油彩2点と木版画10点、足立源一郎の油彩7点で構成。~河口湖美術館HPより抜粋転載~

※展示室内は写真撮影禁止🚫。

「展望ラウンジ」

エントランスを入って東西に延びるギャラリ―。その奥に、高さ9mのガラスに囲まれた開放的な展望ラウンジがある。春は桜や新緑、秋は紅葉など、季節ごとに表情を変える芝生広場と、豊かな自然に囲まれた河口湖の景色を一望できる。

晴れた日の展望ラウンジ

上記写真:河口湖美術館HPより転載

久保田一竹美術館(南都留郡富士河口湖町河口)


染色家久保田一竹(1917~2003)が1994年、雄大なる富士と清澄な水をたたえる河口湖を望む絶好のロケーションに建設した「一竹辻が花作品」を常設展示する美術館。「人と自然と芸術の三位一体」と「新しい文化・芸術の発信地」を二大テーマとし、作品のみならず、庭や建物、調度品の配置に至るまで美術館の全てが「一竹の世界」を表現している。~久保田一竹美術館パンフレットより抜粋転載~

久保田一竹(くぼたいっちく)

染色家、一竹辻が花創始者。1917年(大正6)10月、神田生まれ。14歳で染色の道に入り、19歳で独立。20歳の時に室町時代の「辻が花染め」に出会い、魅了され、生涯を独自の染め「一竹辻が花」にかける。国内外にて多数の展覧会を開催。1990年(平成2)、フランス政府よりフランス文化勲章シュヴァリエ章を受章。1994年、河口湖に一竹美術館を開設。1995年(平成7)、米国スミソニアン国立自然史博物館より半年間に渡る同博物館での個展への協力に対し、感謝状を授与。2003年(平成15)4月逝去(85歳)。

「辻が花」

室町時代に隆盛を極めた縫締絞りをその主たる技法とした文様染め。名称の由来は定かではない。 庶民の小袖から始まったと言われているが、後に秀吉等の武家に好まれ、高級品として一世を風靡するも、江戸初期により自由に多色を使い、絵画的表現が出来る「友禅染め」の出現により、衰退されたとする説が有力。

「一竹辻が花」

1937年(昭和12)、久保田一竹は20歳の時に出会った古の「辻が花」の小裂に魅了され、いつの日かこの染を復活させたいという思いにかられる。その後、応召、終戦、そしてシベリアでの3年間に渡る抑留生活といった困難な時代を経、少しずつ「辻が花」の研究を開始。1961年(昭和36)、現在の場所に一竹工房を開設し、ここを本拠地とし、本格的な研究に入る。 翌1962年(昭和37)、自身の創意工夫、「度重なる重ね染め・重厚な絞り・独創的デザイン及び色調」を基調とした作品を「一竹辻が花」と命名。 1977年(昭和52)、久保田一竹、60歳にして念願であった初の個展「久保田一竹展」が銀座ミキモトで開催。 久保田一竹が20歳で出会って以来40年、ようやく「一竹辻が花」を世に発表。 その後、国内外で多数の展覧会が開催され、「一竹辻が花」が開花。

「正門」

インドの古城に使われていた数種類の扉を組み合わせた正門。門をとりまいているものは鉄製のオブジェ。


「庭」

庭は、久保田一竹構想のもと自然の環境を活かしつつ、 京都の造園家、北山安夫氏が手がけた。 琉球石灰岩、富士の溶岩、多種多様の植栽、渾々と湧き出る豊かな水とあいまり、独特な雰囲気を醸し出す。2001年(平成13)11月の正面庭「大滝」の造築をもって、一竹美術館の庭は、ほぼ完成した。~久保田一竹美術館HPより抜粋転載~

「正門」から「新館」に続くアプローチ

「新館」

2011年(平成23年)にリニューアルした新館は、手積みによる琉球石灰岩の8本の円柱に支えられた回廊を持つ不思議な造形の建築物。スペインの建築家アントニ・ガウディがバルセロナに造ったグエル公園内の回廊を彷彿とさせるこの新館は、ガウディのファンだった一竹が考案。~INO stage.HPより抜粋転載~


「本館」へ

こんなところにも門が

「本館展示室」

本館は、一千年を超す「ひば(ひのき科)」の大黒柱16本を使ったピラミッド型の建築物。頂点は13メートル、床面積200平方メートル。伝統的な職人の技と、現代的なログハウス工法の技との融合が成し得た複雑な木組みで、吹き抜け状の内部からは、その木組みが全て見られる。久保田一竹のライフワーク「光響」の連作をはじめ、富士をテーマにした作品群、及び代表作品が展示されている。~久保田一竹美術館HPより抜粋転載~ ※展示室内は写真撮影禁止🚫

上記写真:HESTA LIFE メディアHPより転載

茶房「一竹庵」

「龍門の滝」を見ながら、お抹茶、上生菓子がいただける茶房。(※見学だけでもOK)床には琉球石灰岩(サンゴ等の堆積岩)を敷き詰め、壁はその石灰岩の粉を使用した沖縄漆喰を施し、温かみのある空間を創っている。久保田一竹がインド、アフリカ、東南アジアより集めたインテリアを配し、様々な文化が渾然一体となったその室内は、悠然とした空間を演出。~久保田一竹美術館HPより抜粋転載~

上記写真:久保田一竹美術館HPより転載

「茶房」からの眺め

散策路

「本館」の裏側を通る

「慈母普賢菩薩」の門

「慈母普賢菩薩」

久保田一竹の亡き母を偲び、インドの仏師に彫ってもらった普賢菩薩像と嬰児を抱いた女人像の2体を、本館北側の清水がこんこんと湧き出る場所に、溶岩で洞窟を作り、ここへ安置し、1999年(平成11)11月8日に開眼式を行った。


河口浅間神社(南都留郡富士河口湖町河口)


「由緒」

御祭神:浅間大神(あさまおおかみ) 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

第五十六代・清和天皇の御代、貞観6年(864)年5月ごろ、富士山が大噴火。富士北麓にあった「剗せノ海」という大きな湖は、大量に流れ出た溶岩によって分割され、現在の精進湖、西湖となった。このような史上まれに見る大噴火のため、地元住民が甚大な被害を受けたことは、甲斐の国司によって、ただちに京の朝廷に報告された。翌、貞観7年(865)、富士山の神・浅間明神を公式にこの地にお祀りしなさいとの勅命が下され、伴直真貞公が祝(神職)に、伴秋吉公が禰宜に任じられて、富士山の噴火を鎮めるための祭祀が執り行われた。これが当神社の御創祀とされ、のちに「延喜の制」によって、「名神大社」に列せられた。時を下ること一千百四十余年。平成25年(2013)6月25日に、「富士山 世界文化遺産」の構成資産の一つとなった。(国指定史跡)~河口浅間神社HPより抜粋転載~

「富士山 世界文化遺産」構成資産のプレート

「冠木(かぶき)門」

現在のバス通り、旧鎌倉往還と参道への道を、門柱のみが分かつ。

境内図

上記:河口浅間神社HPより転載

「神社案内」

【所在 南都留郡河口湖町河口壱番地

境内 四、五五壱坪(15ha、被譲与国有地)山宮三十町歩

神社名 延喜式内名神大社 淺間神社

祭神 木花咲耶姫命

由緒 人皇第五十六代清和天皇の御宇、貞観6年5月富士山 西北峰大噴火の事あり、時の住民は甚大な災害を被く、この事 甲斐ノ国司橘ノ末茂公より朝廷に奏上、翌貞観7年12月9日丙辰の勅命に依り鎮火の神浅間明神を此地に奉齋、無位擬大領 伴直真貞を祝に伴秋吉を禰宜に任じ、富士鎮火祭を執行す。これ当神社の御創祀なり。郡家以南に建立官社に列せらる。

社格 醍醐天皇御宇、延喜の制に依り名神大社に列せらる。明治四年 郷社大正13年 県社 この社格戦後廃さる。 

建物 御本殿 町指定文化財  境内七本杉 県指定天然記念物

御神徳 安産、結縁、育児、奨学、裁縫、家内安全、商売繁昌 ~下記案内板より抜粋転載~

「大鳥居」

高さ約18mの鳥居

「拝殿」手前の小さなお社

「波多志(はたし)神」

北麓地方に伝わる

「徐福伝説」にもかかわるとされる

「手水舎」

「隋神(ずいじん)門」

社殿や神社の社地を守る

武具を携えた神様、二柱が鎮座

「神馬社」

古くから馬を大事にしてきた当地ゆえ

神様のお使い・白馬をお祀り

狛犬


「拝殿」

「拝殿」奥に見える

朱色の社殿が河口浅間神社の「本殿」

河口浅間神社「本殿」

<富士河口湖町指定有形文化財>

貞観7年(865)に富士の噴火の怒りを鎮めるために勅命によって建てられたが、慶長11年(1606)焼失、翌年領土鳥居土佐守成次が再建する。この本殿は一間社流造りで唐破風付の向拝を備えた折衷様の建物で宮大工関善左右衛門尉藤原家継らの手で完成した。昭和40年鎮座千百年祭記念事業として、解体修理をし、元の状態に復した。祭神は「木花咲耶姫命」。富士河口湖町教育委員会 富士河口湖町文化財審議会 ~下記案内板より抜粋転載~

「美麗石 ひひらいし」

(ひいら石)

浅間明神を祀った古代祭祀の石閣の残欠

三代実録貞観7年12月9日の条後文彩色美麗不可勝言望請祭預官社従之

【読みくだし】石をもって造り構え色どりよりうるわしく言いあらわされぬ程、甲斐の国司願い出官社加えていただき斎祭した


「合祀(ごうし)社」

明治39年(1906)に発せられた「合祀令」によって、地区内のいたるところに祀られていた多くの神々が、当神社内に合祀。

「出雲社」

縁結びの神徳で知られる御祭神:大国主命

「河口浅間神社の七本杉」

<山梨県指定天然記念物>

河口浅間神社の荘厳な境内地の雰囲気を醸し出すスギの巨木群である。境内に立つ七本の御神木は、反時計回りで(1)~(7)以上まで番号と名前が付けられており、いずれの杉も樹高40mの巨木で、樹齢は1200年を越えているといわれる。どの杉も幹はまっすぐに伸び途中枝分かれしているものはない。一号杉は、御璽杉または、母衣懸杉と呼ばれ、河口浅間神社の拝殿の目前に立っている。孫見祭の折に産衣を懸けた神聖な木とも言われている。二号杉は、産謝杉(産屋杉)と呼ばれ、三号杉、四号杉と並んでいる。生誕や分娩を守る清らかな木として位置づけられている。三号杉は、齢鶴杉または、齢棒杉と呼ばれている。四号杉は、神綿杉または、献虫巣杉とも呼ばれ、大樹に巣をつくった山蚕が巣作りした繭で真綿を紡ぎ、朝廷に献上したという伝説をもつ。五号杉、六号杉は二柱杉と呼ばれ、二本の杉の根元が隣合って、ほぼ一体化した状況にある。男女杉ともいう。七号杉は、天壌杉または、御柱といわれ、根回りが他の六本の杉が10mから20mの規模なのに対して、30mにも及び、華やかに裾を広げたような姿が特徴である。これだけの巨木が一箇所に集中して現存し、しかも樹勢を保っていることは全国的に見ても大変貴重な存在である。山梨県教育委員会 富士河口湖町教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

河口湖駅(南都留郡富士河口湖町船津)


標高857mの高原駅で、中央本線との接続駅となる大月駅(標高358m)との標高差は499mもある。駅舎の上には晴れていれば富士山が姿を見せ、まさに富士登山の玄関駅にふさわしい雰囲気。2006年(平成18)3月24日にリニューアル、高速バスの窓口も配され、観光の拠点になっている。また、富士河口湖町の進める「富士河口湖温泉郷 足湯プロジェクト」の一環で、駅構内に無料で利用できる足湯も配置。~ニッポン旅マガジンHPより抜粋転載~

副駅名「富士河口湖温泉郷」

曇っていたので富士山山頂のみ顔だし

「駅の足湯」

フジサン特急

ユーモラスなフジサンのキャラクターが

全面に描いてある

リサとガスパールトレイン

フランス生まれの絵本キャラクター「リサとガスパール」の世界を再現。絵本の世界観を忠実に再現したこの列車は油絵タッチの赤をベースに、絵本から飛び出したリサやガスパールたちが無邪気に遊ぶ様子が車内外各所に描かれている。~富士急行線HPより抜粋転載~

ドア扉にもかわいらしいリサやガスパール