2024年10月に散策した「BAYWALK YOKOHAMA」。「大さんばし」で出会った"キング・クィーン・ジャック"という名前。今回、"キング・クィーン・ジャック"の「横浜三塔」と他の横浜歴史的建造物と併せて巡ってきました。-202511.21・12.07-
「横浜三塔」の愛称は、昭和初期に外国船員がトランプのカードに見立てて呼んだことが由来と言われている。 「キング」神奈川県庁は、五重塔をイメージさせるスタイルで、昭和初期に流行した帝冠様式のはしりといわれている(1928年竣工)。
「クイーン」横浜税関は、イスラム寺院風のエキゾチックなドームが特徴(1934年竣工)。 「ジャック」横浜市開港記念会館は、東南隅に時計塔、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドー ムを配している(1917年竣工)。 「横浜三塔」は、戦争等をくぐり抜け建ち続けてきた。いつしか船員達が航海の安全を祈り、これを目印に入港したと言われている。 この三塔だが、実は一度に見ることができる場所は限られている。 「①赤レンガパーク」 「②日本大通り」 「③大さん橋」 。この3つのスポットを1日で巡ると、 願いが叶うという伝説がある。これが「横浜三塔物語」。カップルで巡ると結ばれるという噂も。~神奈川県HPより抜粋転載~
上記:神奈川県HPより転載
大さん橋から一度にまとめて見える
「横浜三塔」VIEWPOINT(2024.10.02)
神奈川県の重要な拠点「県庁本庁舎」。県庁に相応しい重厚感のある建物が昭和初期に建てられた「キングの塔」。シンメトリーな重厚感ある洋風建築の中にも日本趣味が見える和洋折衷の帝冠様式が特徴。また、細部には幾何学的な装飾模様が随所に用いられ、巨匠フランク・ロイド・ライトの影響によるライト様式や、直線で構成されるアールデコ風の装飾が見て取れる。~はまてなしHPより抜粋転載~
「神奈川県庁本庁舎」
外観の全体構成はクラッシックであるが、細部は幾何学的な独自の意匠が用いられ、後の帝冠様式先駆けでもある。スクラッチタイル貼りの外壁と中央の高塔が特徴的で、その塔は「キング」の愛称で親しまれている。【所在地】中区日本大通1【構造・規模】SC造5階、地下1階、塔屋付【建築年代】昭和3年(1928)【指定・認定】国登録有形文化財 平成8年(1996)12月【設計】小尾嘉郎【施工】大林組 ~下記案内板より抜粋転載~
建物外観
表面に溝を刻んだ茶褐色のタイルと、独自の幾何学的な装飾模様が特色のライト様式〔※1〕が醸し出す風格のある建物は、日本趣味と洋風建築が調和し、荘厳さを感じさせる。〔※1〕ライト様式:旧帝国ホテルなどを設計した近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの手による建築様式で、茶褐色のタイルと大理石を用い、幾何学的な装飾模様が特色。昭和初期に大流行した。~神奈川県HPより抜粋転載~
「正面玄関車寄せの柱」
施された装飾や矢印の様な連続装飾など、ほとんどの模様が直線のみで構成されているアール・デコ風の装飾が見られる。
「玄関ホール」
幾何学的なアール・デコ装飾と和風が調和し、荘厳さを感じさせる
中央階段両脇に宝相華(ほうそうげ)〔※2〕が咲く
〔※2〕宝相華:唐草文のひとつで極楽浄土に咲く幻の花と言われ、本庁舎のものは宇治平等院のものによく似ている。
中央階段の球形照明や手すりのグリルなど、本庁舎内各所に「宝相華」のモチーフがあしらわれている。
照明(イチョウの葉の模様)
「歴史展示室」(6階)
四代に渡る本庁舎の歴史を紹介
「鉄骨階段」
この塔屋の6階~9階の鉄骨階段は、昭和3年竣工当時のままの姿。(ただし、木製手摺りについては後に改修された)
建物の骨組みである鉄骨鉄筋コンクリート構造の鉄骨部分もこうしたもので出来ている。~現地案内板より抜粋転載~
「屋上」
360度ぐるりと景色を見渡せる造りになっている。ベイブリッジ・赤レンガ倉庫・ランドマークタワー・横浜港やみなとみらい地区を一望。クイーンの塔「横浜税関」とジャックの塔「横浜市開港記念会館」も間近に見える。
「キングの塔」(塔屋)
正面に建物のシンボル「キングの塔」が立ち上がっている。五重塔をモチーフとしたとされる塔は、和風の塔や屋根を持つ「帝冠様式」建築の先駆的事例とも言われている。
「ライト様式のテラコッタ」
昭和3年に建築されたこの建物(県庁本庁舎)の軒先を飾った荒い縦溝でデザインされた外装用の焼き物で、昭和38年に取り外し、ここに復元したもの。現在も、塔屋の一部に使われており、「キングの塔」の厳めしい印象を造り上げている。
[ライト様式]近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの手による建築様式で、スクラッチ・タイルと大谷石を用いた幾何学的な装飾模様が特徴。昭和初期に大流行し、代表的な建物に旧首相官邸がある。
[テラコッタ]イタリア語で、テラは土、コッタは焼いたという意味で、片手では持てない大きさの外装用の焼き物で、造形され、彩色されでることもある。 ~現地案内板より抜粋転載~
屋上から見る
「ジャックの塔」・「クイーンの塔」
「横浜市開港記念会館」(ジャック)
「横浜税関」(クイーン)
屋上展望台からの眺望
大さん橋・ベイブリッジを見渡す
「神奈川県庁本庁舎」の向い側にある
「東庁舎」
11階「展望テラス」
本庁舎が眼前に臨める
「横浜三塔」が見える
中央:「神奈川県庁」(キング)左:「横浜市開港記念会館」(ジャック)右:「横浜税関」(クイーン)
「横浜市開港記念会館」(ジャック)
「横浜税関」(クイーン)
展望テラスからの眺望
「赤レンガ倉庫」や「大さん橋」を見渡す
鎖国政策を続けた江⼾時代。⻑崎県の出島が⽇本と外国とを結ぶ唯⼀の港であったが、幕末の嘉永7年 (1854年)に結ばれた⽇⽶和親条約を⽪切りに、我が国は諸外国に対し次々に港を開いた。 安政6年(1859年)の開港と同時に、⻑崎、横浜及び箱館(函館)の港に『運上所』が設けられ、運上事務(現在の税関業務)及び外交事務を取り扱うことに。これが税関の前⾝。その後、全国の運上所は明治5年(1872年)11⽉28⽇に『税関』と呼称が統⼀され、これに伴い、「横浜税関」が正式に誕⽣した。「横浜税関」は税関の発⾜時から、我が国の貿易を⽀え、経済の健全な発展と安全・安⼼な国⺠⽣活の実現に寄与している。 「横浜税関」の初代庁舎は、神奈川運上所の名称が「横浜税関」と改められた年の翌年である明治6年(1873)に、現在の神奈川県庁の敷地内に建てられた。「初代・横浜税関」の建物と敷地はその10年後(明治16年=1883年)に神奈川県庁へ売却され、さらにその2年後(明治18年=1885年)には大さん橋の手前、「象の鼻」エリアの開港波止場と呼ばれている一帯に竣工するが、残念ながら二代目庁舎は関東大震災(大正12年=1923年発生)で消失。「横浜税関」が現在の位置に移ったのは関東大震災後の昭和9年(1934)、震災からの復興の一環で、後に「クイーンの塔」と呼ばれることになる三代目庁舎が竣工した。
「横浜税関」
建物は税関らしく正面は港に向けており、塔はイスラム寺院風のドームをいただき、エキゾチックな雰囲気を醸しだしている。その塔は「クィーン」の愛称で親しまれている港ヨコハマのシンボル。【所在地】中区海岸通1-1【構造・規模】SC造5階/現建物 SRC・S造7階【建築年代】昭和9年(1934)/改修及び増築 平成15年(2003)【指定・認定】横浜市認定歴史的建造物平成13年(2001)3月【設計】大蔵省営繕管財局工務部/改修及び増築 香山・アプル設計【施工】戸田組/改修及び増築 戸田~下記案内板より抜粋転載~
「クイーン」の愛称で親しまれている塔の屋根は銅板一文字葺き、数十年を経て赤銅色から緑青色に変化。創建当時、塔屋6階の外部には装飾照明が8個設置されていた。ライトアップが無かった時代に、白熱灯が灯す塔のシルエットは、長い航海をしてきた外航船の船員にとって魅力的な港ヨコハマを演出していたに違いない…。~横浜税関HPより転載~
本関庁舎「正面玄関」
装飾は、様々な建築様式がブレンドされたもの。5階の窓にも見られる三連アーチは、この建物の重要なモチーフ。アーチを支える円柱はインド古代建築風、アーチ周りの装飾はムーリッシュ風、ねじれ柱はクラシック系…etc。税関という世界と直結する国際的な性格に相応しいエントランスを形成している。~横浜税関HPより転載~
「横濱税関」の標札
当時の大蔵大臣高橋是清の揮毫と伝えられている
「横浜税関資料展示室」(クイーンのひろば)
入口には税関イメージキャラクター"カスタム君"
「神奈川運上所」の門を再現
「神奈川海上所」:開港期の横浜で外交事務と関税業務を請け負っていた神奈川運上所は、現在の横浜税関の前身にあたる機関で、横浜開港と同時に現在の神奈川県庁の敷地内に設置された。慶応4年(1868年=明治元年)、「神奈川運上所」は明治政府に接収され、一旦県の機関となった後、明治4年(1871)には管轄が大蔵省(現財務省)に定められ、翌明治5年(1872)には「神奈川運上所」の名称が「横浜税関」へと改められる。~横浜・みなとみらい線沿線街歩きHPより抜粋転載~
軒飾り
本装飾は1934(昭和9)年の三代目庁舎建造当時から現存する「軒飾り」で、2001(平成13)年の改修時に取り外されたものです。本関庁舎には、軒全周に大・小の装飾が順に配置されており、総数は400余です。大・小ともにパルメット(棕櫚しゅろ)文様が施されています。表面は左官職人の金鏝により粗目に仕上げられており、経年による風合いの変化を狙った手法が用いられました。~下記説明文より転載~
カップ型装飾
本装飾は1934(昭和9)年の三代目庁舎建造当時から現存する2本の装飾のひとつで、改修時には全てのカップ型装飾を復元・再生して取り付けました。これらの装飾は2階及び屋上部の各コーナーに設置されており、塔屋最上階の外側にカップ型装飾(ブロンズ製)が4隅に8個設置されています。塔屋のカップ型装飾は照明として活用されたものと推測されますが、光源が電気なのか、ガスなのか、根拠となる資料は現存していません。~下記説明文より転載~
「軒飾り」と「カップ型装飾」
「神奈川運上所跡」
開港にともない、関税と外交事務を扱う「神奈川運上所」が、 今の「神奈川県庁」所在地に設けられ、神奈川奉行の支配に属していた。 慶応2年(1866)類焼、翌年新築、横浜役所と称した。明治元年(1868)明治政府に移管され、同5年(1872)横浜税関に改められた。~下記案内板より抜粋転載~
史跡「神奈川運上所跡」
「横浜市開港記念会館」
<国指定重要文化財>
「横浜市開港記念会館」は、開港50周年を記念して、大正3年(1914)9月に着工され、大正6年7月1日の開港記念日に「開港記念横浜会館」として開館。建物は、大正12年の関東大震災によって一部が焼失したため、昭和2年と平成元年に復旧工事が行われ創建時の姿に復元された。建物の外壁は、腰石まで花崗岩積みで、1・2階は赤い化粧煉瓦と白い花崗岩を積み上げた辰野式フリークラシックスタイルで、古典主義を自由にアレンジしている。東南隅には高塔(時計塔)、西南隅に八角ドーム、東北隅に角ドーム、さらに高塔を挟む位置にも角ドームを作り、屋根は寄棟造り・天然スレート葺で、越屋根は銅板葺としている。また、建物内部の広間、中庭に面する窓にはステンドグラスが用いられるなど、大正期の建物として華やかで優れた意匠が施されている。横浜市教育委員会文化財課 社団法人横浜国際観光協会 ~下記案内板より抜粋転載~
横浜市開港記念会館
「旧開港記念会館」
横浜開港50周年を記念して建てられた建物で、赤煉瓦と花崗岩をとりまぜた辰野式フリークラシックスタイルのスタイル。東南隅に高塔(時計塔)、西南隅に八角ドーム、東北隅に角ドームをあげ、高塔は「ジャック」の愛称で親しまれている。関東大震災で内部を消失したが、RCの柱梁を入れて復元、昭和63年には屋根を復元して、現況の姿となった。【所在地】中区本町1-6【構造・規模】煉瓦、鉄骨煉瓦、およびRC造2階、地下1階、塔屋付【建築代】大正6年(1917)【指定・認定】国指定重要文化財 平成元年(1989)9月【設計】福田重義【施工】:基礎 斎藤 平左衛門 上部 清水組 ~下記案内板より抜粋転載~
横浜市民からの寄付を募り建設されたこの記念建造物は、東南隅に時計塔、西南隅に八角ドーム、西北隅に角ドームを配した設計で、時計台をモチーフに赤レンガ建築を踏襲して造られており、高さ36mの時計塔には当時のレンガ造りの技術力の高さを見ることができる。
本町通り側玄関
入館入口玄関
「玄関ロビー」
床のモザイクタイルや、天井に施された漆喰の彫刻、イオニア式柱頭飾りの列柱が壮麗な印象。
「講堂」
2階へ上がる階段、細工が施された窓枠
ステンドグラス(2階ホール)
開港当時の交通に関する様子を表現している。左右それぞれ「呉越同舟」、「箱根越え」と呼ばれている。中央鳳凰には横浜市の市章「ハマ菱」がデザインされている。1923(大正12)年の関東大震災で消失したが、1927(昭和2)年に、左右のステンドグラスは当初のものを尊重し、中央はデザインを変えて復旧した。宇野澤ステインド硝子工場が制作したが、オリジナルの制作者は不明。なお、2008(平成20)年~2009(同21)年、開港150周年記念事業の一環としてステンドグラスの修復を行なった。~現地案内板より抜粋転載~
中央上部の鳳凰
横浜市の市章「ハマ菱」も
「鳳凰とハママーク」
昭和2年(1927)竣工時の鉛桟
「資料コーナー」
「時計塔」へ続く「螺旋階段」
昇れるのは開港記念日など
「時計塔」:当館の「時計塔」の高さは地上から約36m塔に登る階段は117段。塔上には四面に電波時計が設置され、正午と午後5時に時を告げる。この「時計塔」は、関東大震災によっても崩落しなかった。
「特別室」(旧貴賓室)
当館に来訪される賓客を応接するために「特別室」(旧貴賓室)が使われた。1917(大正6)年、当初の内装は、絨毯・カーテン・壁クロスなど精緻をつくした仕様が施された。特に天井の造作は中央部分の鳳凰は木造嵌(もくぞうがん)によって仕上げられ、全体としても木工技術の粋を集めた見事な造りとなっていた。全体が洋風につくられた当館にも、設計者の意図として「和」の趣をのこしたものとされている。~現地説明文より抜粋転載~
貴賓室(現特別室)
(大正6年)
貴賓室(現特別室)天井
(大正6年)
ステンドグラス(中央階段壁面)
黒船ポーハタン号
黒船ポーハタン号来航の様子を題材としたステンドグラス。1854(嘉永7)年、ペリーはこの船を旗艦として来航し、横浜村に上陸して日米和親条約を締結した。また1858(安政5)年、この船上で日米修好通商条約が調印され、(米国代表 総領事タウゼント・ハリス)、さらに1860(万延元)年、この条約を正式批准するため、日本使節団がこのポーハタン号に乗り、太平洋を横断し、米国に向かった。~現地説明文より抜粋転載~
南玄関ホール
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「横浜市開港記念会館」の歴史
「横浜市開港記念会館」の建物が立つ場所は、かつての開港場の中心地、関内の東西を結ぶ大通り「本町通り」に面し、幕末の開港直後に越前福井藩が出店した輸出貿易商店「石川屋」があったところで、岡倉天心の生誕地でもある。明治7年(1874)、この場所に横浜商人によって、時計塔を持つ西洋風石造2階建ての建物が建てられ、「町会所」(まちかいしょ)と呼ばれた。「町会所」は残念ながら、明治39(1906)年の火事により焼失。そのあと、建設費に横浜市民や企業の寄付を募り、横浜開港50周年を記念して大正6年(1917)に竣工したのが「開港記念横浜会館」(当時の名称)。
「町会所跡」
この地に、明治7年(1874)4月に竣工した石造2階建て屋上に高塔のある建物は、横浜市制施工の明治22年まで横浜の町政を執った「町会所」でした。明治23年「横浜貿易商組合会館」と改称し、その後「横浜会館」と改めたが、明治39年12月類焼により焼失。跡地に開港50年を記念して現在の建物が大正6年(1917)竣工した。また、この地は開港期より明治初年まで、岡倉天心の父勘右衛門が支配人をしていた石川屋(越前藩(福井県)の生糸売込店)があったところ。 横浜市教育委員会文化財課 社団法人横浜国際観光協会 ~下記案内板より抜粋転載~
史跡「横濱町會所跡」
「岡倉天心生誕の地」
岡倉天心(おかくらてんしん):文久2年(1862) 〜 大正2年(1913)。明治~大正の美術思想家。幼名は岡倉角蔵(かくぞう)。後に本名を岡倉覚三と改名、「岡倉天心」は雅号。文久2年(1862)福井藩士岡倉勘右衛門の次男として横浜に生まれた。明治10年(1877)東京開成学校(後の東京大学)に入学。在学中に講師として来日していたアメリカの東洋美術史家フェノロサに出会う。卒業後に文部省に入り、フェノロサと共に古美術調査を実施。明治22年(1889)に東京美術学校が設立されると、天心は校長に就任、横山大観等に影響を与えた。辞職後は「日本美術院」創設に力を注いだ。明治37年(1904)渡米し、翌年ボストン美術館東洋部長に就任。また、『東洋の理想』『茶の本』(英文)を著して東洋美学の紹介に努めた。大正12年(1913)、新潟県赤倉で逝去。~(公財)歴史のみえるまちづくり協会HPより抜粋転載~
「横浜商工会議所発祥の地」
「横浜商工会議所」は明治13年4月13日横浜商法会議所としてこの地本町1丁目5番地横浜町会所内に設立された。創立100周年を迎えるに当り先人の偉業をしのびここに記念碑を建立する。~下記案内板より抜粋転載~
「横浜三塔」ほかの横浜歴史的建造物は、 横浜歴史的建造物巡りⅡ(Nov.2025) へ。