「与野公園」のバラが見頃の報を聞いて行ってきました。「ばらまつり」は終了していましたが、まだまだ色とりどりのバラの花が満開に咲いていました😊。併せて、与野公園の「天祖神社」や「御嶽社」「圓乗院」を参拝してきました。-2026.05.15-
明治10年に開設された約51,000平方メートルの緑の公園。サクラとバラの名所として有名。 染井吉野の桜や、昭和52年に開園したバラ園では約200種・3,000株のバラが咲き誇る。また、与野七福神の一つの天祖神社(寿老人)も。2025年4月に南園がリニューアルオープンし、新しい遊具、広場、ベーカリーカフェが新設された。~与野公園HPより抜粋転載~
園内マップ
上記:与野公園HPより転載
昭和52年(1977年)に開園し、現在約200種類、約3,000株が咲き誇る。寒い冬を乗り越えた春バラが見ごろの5月には、例年「ばらまつり」[2026年5月9日(土)・10日(日)]が開催される。
バラ園中央のモニュメント「翔(かけり)」
バイオレット・ローズ
品種改良されていない古くからのバラで花は1年1回咲くのみ棘がすくなく手入れがしやすい。小さな花をたくさんつける。
ダブルデイライイト
スカーレット ボニカ
サラバンド
カクテル
モナリザ
アシュラム
プリンセスミチコ
ストロベリーダイキリ
ロココ
オドゥール ダムール
ピース
プチ トリアノン
フォーランマリア
ダイアナプリンセスオブ ウェールズ
クローネンブルク
春風
ジュビレ デュ プリンセス ドゥ モナコ
ほのか
G.D.ルイーズ
エアフロイリッヒ
グラハムトーマス
アイスバーグ
フラウホレ
サマー メモリーズ
💛今日のお気に入り💛のバラ
「サハラ'98」
サハラ'98は1996年にドイツのタンタウが作出したつるバラ。開花につれて黄色からだんだんオレンジ色に変わる。
「弁天池」
「神橋」
「武州与野銭洗弁天縁起」
今を去る800年の昔、畠山重忠公鎌倉への途次、霊験あらたかなりと聞き及びたる、当、弁天の霊泉にて、腰の名刀を洗い清めたるところ武勲を嚇々たりしとぞ。故に商売繁盛、財宝の神としてあがめらたてまつられしと云う。~案内板より抜粋転載~
「天祖神社 御由緒」
□ご縁起(歴史):当地は中世与野郷に属したことが正和3年(1314)の『融通念仏縁起』から知られる。戦国時代の成立と推定される「市場之祭文写」には「足立郡与野市祭成之」と見え、このころから当地で市が開かれていたことが知られる。『風土紀行』与野町の項によれば、地内を鎌倉街道(中山道脇往還)が通り、往還に沿って北から当町は上・中・下の三町に分かれていた。下町に鎮座する当社は、かつて神明社と称し、文政年間(1818~30)の「与野町並絵図」(柏計助家所蔵)からは、両脇に家屋が立ち並ぶ鎌倉街道から西に入った田畑の中に「神明山」と書かれた当社が鎮座していた往時の様子がうかがえる。明治8年に与野町の村社になったのを機に「天祖神社」と改めている。また、明治9年に当社境内を公園にしようとする運動が地元住民の間に起こり、翌10年には当社並びに御嶽社・大國社の境内が県営の与野公園となった。近年には寿老人を合祀してから長寿の神としても信仰されるようになってきている。 □御祭神と御神徳:・天照皇大…五穀豊穣、子授安産、開運隆盛
□御祭日:・元旦祭(一月一日) ~下記案内板より抜粋転載~
「寿老人」
「御嶽社 御由緒」
□ご縁起(歴史):与野は江戸時代から木曾御嶽講の盛んな地域であった。とりわけ、与野の名主であった井原平八はその熱心な信者であり、御嶽講の四代講祖の一人である一心行者を支援すると共に、自らも御嶽講の先達として布教に努めた。文政4年(1821)、幕府は御嶽講に禁圧を加え、一心は遠島に処せられた。やがて、尾張藩主の取り計らいによって、御嶽講は解禁され、井原平八も布教活動を再開するが、当社は、口碑によれば、この禁圧のために一旦は所払いとなった井原平八が、住民らの熱心な嘆願や御嶽講の解禁によって与野に戻ってから造った社であるという。したがって、『風土記稿』には、当社についての記載はなく、恐らくは、井原家が社地を寄進して新たに一社を設けたものか、既に地内にあった何らかの社の祭神を改めて御嶽社としたものであろう。また、一説には当社は明治初年の創建といわれ、『明細帳』は、当社の由緒を「創立不詳。明治九年中再建。同十年五月天祖神社大国社の境内を併せて公園と定めらる」と記している。 ⬜︎御 祭 神:・大山祇命 ・国常立尊
⬜︎御 祭 日:・春のお祭り(四月十五日)・冬至祭り(十二月二十一日) ~下記案内板より抜粋転載~
「弁財天」
「御神の大井戸」
古の事 祈りと修業の為 御告げとされた地に、聖水を求めた。水豊かに涌き出で、度重なる水不足等災害の折には、沢山の人々が救われ、また、御神酒造りにも用いられた。以来、地元に愛され大切に守られたと伝えられる。歳月が流れ、その名残りを留めた此処に皆の幸せを願い清らかなる水を湛える古の釣瓶井戸を再建する。御嶽社 ~下記案内板より抜粋転載~
真言宗智山派の寺院。正式には安養山西念寺圓乘院。建久年間(1190-1199年)、畠山重忠が道場村(市内の桜区道場)で、保元の乱で焼失した寺院跡から掘り出した観音像を安置して金剛寺を創建。慶長年間(1596-1615年)に現在地へと移転。甲州街道と奥州街道を結ぶ脇往還の与野宿にあり、江戸時代は地域における真言宗の中心寺院であった。与野七福神の大黒天、北足立八十八ヵ所霊場初番札所。
「山門」
表には仁王像、裏には四天王像。
扁額:安養山
「手水舎」「地蔵堂」
「多宝塔」
「六牙白象」
「六波羅蜜」
「大黒天」
「本堂」手前右の木は千代桜というエドヒガン桜の一種で、さいたま市の指定天然記念物。
「鐘楼」
「本堂」
扁額:安養山