2026年 "大人の遠足" スタートは調布から。「鬼太郎関連スポット巡り」、「寺社・仏閣」(年始休日のため混みあう「深大寺」を除く)、散策の途中で立寄った「サレジオ神学院」まで、お正月明けの「調布散策」を楽しみました。-2026.01.04-
1950年にサレジオ修道会の「サレジオ神学院」が調布に開設された。「サレジオ修道会」は、カトリック教会の修道会。創立者は、19世紀に活躍したイタリアの司祭ドン・ボスコで、「すべての若者は救われる」という確信のもと、特に貧しい若者たちの教育に尽力した。「サレジオ修道会」は、このドン・ボスコの教育理念を現代に受け継ぎ、一人ひとりの若者が持つ可能性を最大限に引き出す教育活動を行っている。「カトリック調布教会」の司牧は、この「サレジオ修道会」に委託されている。敷地内には、「神学院」の他に「チマッチ資料館」や、遠藤周作の『沈黙』の主人公ロドリゴ神父のモデルとなったイタリア人司祭「ジュゼッペ・キアラ神父の墓碑」がある。
「カトリック調布教会」
「カトリック調布教会」は、1950年にサレジオ修道会の神学院が現在の地に開設されたことにより、その母体が生まれた。
「サレジオ神学院」
尊者 ヴィンチェンツォ・チマッティ
尊者 ヴィンチェンツォ・チマッティは、1879年イタリア・ファエンツァに生まれ、1926年来日、1965年帰天された。若者のために尽くすサレジオ会を日本に運び育て、宣教師として特に音楽と祈り、教会・学校・施設を起こし、日本の福音宣教に全力を注いだ。カトリック教会から1991年に「尊者」すなわち、キリスト教的な徳である「信仰・希望・愛」を英雄的に実行した者であると宣言された。多くの人が神父の規範に見習うことが出来るようその列福・列聖が期待されている。~下記パンフレットより抜粋転載~
「チマッティ資料館」
「チマッティ資料館」は1983年、当時のチマッティ神父の列福調査担当者であったクレワコーレ神父の尽力により実現。「サレジオ神学院」敷地内にあり、師の胸像レリーフが入った建物が建っている。当資料館は、師の生涯と業績を記念して設立され、単にチマッティ神父の生涯を展示するだけでなく、彼の精神や業績を現代に伝える役割を担っている。窓にはイタリア製のステンドガラスが飾られて、1階には事務室と音楽資料室、2階には展示室がある。展示室には、チマッティ神父が収集した貴重な資料が数多く展示されている。 ※残念ながら訪問日は休館でした。
史料館入口の「チマッティ神父」
「神学院聖堂」
地下聖堂にチマッティ神父の棺が安置されている
「キアラ神父墓碑」
「沈黙」のモデル キアラ神父
イエズス会士 Giuseppe Chiara は、1602年イタリアのシチリア島で生まれ、1643年鎖国中の日本に潜入し、捕らえられて江戸の切支丹屋敷(文京区小日向)に送られた。穴吊の拷問に耐えられず棄教したといわれるが、実際には世を去った1685年8月24日(貞享2年7月25日)まで42年間も幽閉され、「キリスト教要論」(現存せず)3冊を著したことからみて、信仰に戻ったと思われる。彼に与えられた日本名は岡本三右衛門。尊敬のしるしとして地位の高い戒名を与えられ、墓標に司祭帽が載せられた。その墓は小石川無量院にあったが、1909年区画整理のため境内縮小され雑司ヶ谷共同墓地に移された。1943年サレジオ会員 Tassinari 神父が墓石を発見、許可を得て練馬のサレジオ神学院に移し、1950年調布神学院に移動した。遠藤周作著『沈黙』の主人公ロドリゴのモデルとなったのは、このキアラ神父である。~下記案内板より抜粋転載~
「ジュゼッペ・キアラ神父墓碑」
<市指定有形文化財(歴史資料)>
キアラ神父(1602〜85)は、イタリアのシチリア島バレルモ生まれのイエズス会宣教師。寛永20年(1643)5月、キアラ神父ら10人は筑前国宗像郡大島で捕縛され、江戸小日向(文京区)の切支丹屋敷に収容された後、拷問に耐え切れず棄教したとみなされた。キアラ神父は岡本三右衛門の日本名と妻を与えられ、宗門改役御用人として拾人扶持の処遇で、切支丹屋敷に43年間幽閉された末、貞享2年(1685)7月25日に病死し、遺体は火葬後、小石川無量院に葬られた(享年84歳)。本墓碑は笠・塔身・基台・水鉢からなるが、戒名の「入専」はジュゼッペの当て字と考えられ、笠は宣教師の山高帽のような形をしている。無量院の焼失により、明治42年(1909)に雑司ヶ谷墓地へ移されるが、昭和18年にタシナリ神父によって発見され、練馬のサレジオ神学院に移された後、昭和25年同神学院の調布移転に伴い、現在地に移設された。なお、キアラ神父は、遠藤周作の『沈黙』の主人公ロドリゴ神父のモデルとして知られている。調布市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~