調布散策Ⅱ -寺社仏閣-


2026年 "大人の遠足スタートは調布から。「鬼太郎関連スポット巡り」、「寺社・仏閣」(年始休日のため混みあう「深大寺」を除く)、散策の途中で立寄った「サレジオ神学院」まで、お正月明けの「調布散策」を楽しみました。-2026.01.04-

大正寺(調布市調布ヶ丘)


「大正寺(たいしょうじ)」は奈良時代と言われている。古くは上布田宿境にあった三栄山不動院寿福寺、下布田の紫雲山寶性寺、上布田の広福山常行院栄法寺の三寺を大正4年に合併し、開山時の年号に因み、「三栄山常行院大正寺」として創設された。栄法寺は、明治初年、神仏分離のときまで布田天神の別当であった。本堂は(旧)山門とともに栄法寺より移築せるものにして文政10年の建築である。恵比寿さんは、狩衣、指貫を着て、風折烏帽子を冠り、右に釣竿を持ち、左に鯛を抱き、その像は肥えて笑顔のお姿は多くの人々に愛され親しまれている。特に江戸では、正月20日と10月20日は商売や海運守護、福徳円満を利生するご祈願を行い、恵比寿の祭も行われ信仰を集めている。~調布七福神公式サイトHPより抜粋転載~

甲州街道に面して、十字路の角にある

「寺号碑」

山門前の左側の「手水鉢」

手水鉢の上に「誕生釈迦仏」

「山門」

山門扁額「常行院」

山門の左右に阿吽の「仁王像」

「仁王像」阿形 金剛力士

「仁王像」吽形 蜜迹力士


境内内からみる「山門」

香炉と香炉の上の獅子

「本堂」

御本尊「大日如来像」

「客殿・庫裡」

「六地蔵」

「観音堂」

旧不動院の本堂で六角堂

本尊「十一面観世音菩薩像」

-墓参道-

「手水舎」

「小祠」(しょうし)

「山帰釋尊」(やまがえりしゃくそん)

苦行の釈迦像

「涅槃像」

「佛足石」釋迦如来雙跡霊相圖

「恵比寿神」(調布七福神の札所)

恵比寿様は、御背を向いて居り…

版木を叩いた上おまいりして下さい

三界萬霊塔(さんがいばんれいとう)


山門前右側の「掃出地蔵」と「勉強地蔵」

「布田郷学校跡」

郷学校とは、江戸時代中期ごろから明治時代前期にかけての教育機関のことで、寺子屋や私塾より公共性が高く、近郷でも数校を数えるにすぎない特色ある教育施設であった。布田郷学校はそのなかの一つで、上布田の住人原豊穣の設立した育英学校を、明治4年(1871)栄法寺を校舎として開設された。栄法寺は、大正4年、町内の他2ヶ寺と合併して現在の大正寺と改名されたが、山門、本堂は寺域の北にあった栄法寺のものを今の位置に移築したものである。布田郷学校は、発足するにあたり、原豊穣等五宿の有力者たちが中心となって、近郷の村々の協力を得て開校したものであるが、この郷学校は養豚所を経営することによって得た収益を学校の運営費にあて、授業料を一切とらなかったという特色のある学校であった。養豚所の経営不振から明治7年閉鎖し、公立布田学校(現在の第一小学校の前身)となるまで、公立学校に代わる重要な役割を果たしてきた。調布市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

琥珀神社(調布市佐須町)


「虎狛神社」

虎狛神社は、今から1425年前の崇峻天皇2年(589)8月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられている。爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっている。 後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀され、江戸末までは、虎狛山祇園寺の別当が、神事を司っていた。尚地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする「神明宮」、晃華学園南西角には、「里の稲荷」別名「樫ノ木稲荷」があり、これらも神社の氏子によって守られてきた。延長5年(927)の『延喜式神名帳 』には武蔵国の式内社四十四座、多摩郡八座の一つとしての記録がある。 現在の社殿は天和3年(1683)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物。このため平成24年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた三枚の棟札が調布市文化財の指定を受けた。樹齢数百年とも言われた「黒松の大木」は昭和39年(1964)に「東京都の天然記念物」の指定を受け、生え際近くでは太さ2.3×2.4m、高さ約30mで、都内では三本の指に数えられる松の大木であった。しかし落雷等の被害もあり、残念ながら平成8年には、枯死してしまった。文政11年(1828)には神社正面入り口に石造りの大鳥居が、また参道右側には、高さ1.8mもある巨大な「佐須邨虎狛神社の碑」が建立された。 碑文は、当時の名主溫井義邦の撰によるもので、神社の名称の由来、歴史、「里の稲荷」等についても詳細に記されている。現在のような輸送手段がない当時としては、驚くべき大きさであり、極めて貴重な文化財。拝殿がいつ建立されたかについての詳細な記録はないが、文化12年(1815)に社殿の修理が地元の職人によってなされた記録がある。その後大正8年(1919)に遷座式が行われた時にも改修されたよう。それから約百年が経過した平成24年(2012)、本殿が文化財の指定を受けたことを機に、拝殿屋根、社殿の覆い屋、弊殿、そして手水舎の改修、新築工事に着手、平成26年(2014)11月に完了した。宗教法人 虎狛神社 ~下記案内板より抜粋転載~

「石鳥居」

虎狛神社石鳥居 附笠木・島木・貫旧石材

<市指定有形文化財(建造物)>

本鳥居は、文政11年(1828)に、旧佐須村の村民によって建立されたもの。いわゆる明神鳥居形式で、総高3.73mを測ります。西側柱には「文政十一戊子歳夏6月再建之」、東側柱には「武蔵國多摩郡狛江郷佐須村中」の銘文があり、礎石には名主や年寄、世話人の名が刻まれている。大正12年(1923)に起きた関東大震災で倒壊し、その後、再建された。再建する時、柱は当初材がそのまま使われたが、笠木・島木・貫は破損したため、新しいものに取替えられた。境内には笠木等の石材が残されている。再建にあたっては、旧材に倣って造られ、建立当時の姿に保たれている。本鳥居は、木造の鳥居の形式に倣って造られており、非常に精巧な石造技術が見て取れる。江戸時代後期、文化・文政期における農村文化の高さを示す貴重な文化遺産です。

調布市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

狛犬


「拝殿」

梁には左右に獅子、中央に虎が彫られています。


虎狛神社本殿 附 棟札三枚

<市指定有形文化財(建造物)>

 拝殿の奥に位置する本殿は、天和3年(1683)に建立されたもので、市内では深大寺の深沙大王堂内宮殿に次いで古い建造物。建築形式は、一間社流造りの見世棚造りと呼ばれるもので、正面と側面に擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらせ、向拝には五段の木階と浜縁が設けられている。屋根は銅板葺だが、当初は茅葺であったことが棟札から明らかになった。江戸時代初期の建築技法をよくとどめた建造物で、極めて高度な技量がうかがえる。小屋裏に収蔵された棟札から、願主貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工柏崎佐太郎などにより建立され、文化12年(1815)に地元の大工によって修復されたことが判り、地域の歴史を知るうえでも重要な建造物。 調布市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「本殿覆屋」

江戸時代に造営されたという「本殿」は中に安置

「虎狛神社之碑」

<市指定有形文化財(歴史資料)>

 本碑は文政11年(1828)に、石鳥居とともに佐須村の氏子によって建てられたもの。虎狛神社では、文化2年(1815)に

本殿の改修が行われており、本碑の建立は一連の境内整備事業の一環として行われたものと思われる。高さ172㎝、正面幅92㎝、側面幅82㎝、基壇を含めた全高は208㎝を測る。神奈川県真鶴町で産出される安山岩(通称「本小松石・真鶴石」)を方形に加工し、正面及び側面には碑文が刻まれている。碑文は、佐須村の名主であった温井義邦が撰文し、深大寺七九世堯徧の書で、村の歴史や神社の由来などを考察した内容となっている。関東地方の同時期の石碑は、自然石のままか、文字を刻む面だけ

平らに整えたものが大半を占めており、本碑のように方形に加工した石碑は極めて希少。氏子たちの石碑にかける熱意がうか

がえる。本碑は江戸時代後期、文化・文政期における村人たちの歴史認識の水準を示す貴重な文化遺産です。調布市教育委員会~下記案内板より抜粋転載~


祇園寺(調布市佐須町)


「祇園寺」は、「虎狛山日光院祇園寺」と号し、当初は法相宗でしたが平安期に入り天台宗に改宗され現在に至る。天平年間(西暦729~749)深大寺と同じ満功上人の創建であり、誕生の地である。

「手水舎」

「石人像」

「本堂」

昭和53年(1978)に再建され、ご本尊の"阿弥陀如来像"は、彫刻家の故澤田政廣先生が文化勲章授章の記念として、制作・寄贈されたもの。また、調布七福神の一つ福禄寿が、幸福・金運・長寿の神として本堂に祀られている。

扁額

"福禄寿"

薬師堂」

薬師堂は、享保年間と推定される建造物であったが、損傷が激しく、平成17年(2005)に再建された。

扁額

「閻魔堂」

桃山時代の遺構をを残す建造物であったが、平成22年(2010)に再建された。中央坐像の「閻魔大王」は、新宿区「大宗寺」と兄弟閻魔と伝えらえ、両脇には十王が向き合った形で祀られている。

「石庭」

歌碑は、日本野鳥の会の創設者である中西悟堂師の歌「思ふこと みな砕けゆく だゆらを 恃みつつ組む 調息の坐か」。

中西悟堂師は、祇園寺88世住職中西悟玄師の養子(甥)で、10代の時期を祇園寺で過ごしていた。歌碑の傍らには、鷹の彫像がある。また、虎狛山祇園寺の山号でもある白虎も配されている。

白虎


(伝)「板垣退助植樹の松」

明治41年(1908)9月12日に祇園寺で、当時、住職であった中西悟玄によって、秩父事件をはじめとする自由民権運動の犠牲者の犠牲者を弔う追悼集会が開催された。この松は、追悼集会に参列した板垣退助が記念に植樹したと伝えられるアカマツで、地元では「自由の松」の名で親しまれている。なお、同年の折に植えられたものと伝えられている。(以下省略)調布市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「大橋」から野川を渡り「國領神社」へ

國領神社(調布市国領町)


「國領神社」は、「國領神社」(第六天社)と「神明社」(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社。「國領神社」と「神明社」の創建年月については共に不明。「國領神社」は、以前は「第六天社」と称し、古代多摩川のほとり(杉森1289、1288、1268)に鎮座していた。「第六天社」は、薬師寺(現常性寺)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将の内の第6番目の第六天神であった。甲州街道が整備される江戸時代初期の頃、常性寺が甲州街道沿いに移設されたとき、同じく調布町大字國領148番地(現在の調布市八雲台1丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の所)に遷座。神仏分離の明治2年に寺から分かれ村有となり、祭神を神産巣日神(かみむすひのかみ)とし、國領村の鎮守として崇敬されていた。明治4年(1871)10月に村社に列せられ、明治8年(1875)10月に國領神社と改称した。~國領神社HPより抜粋転載~

「拝殿」

「千年乃藤」

御神木である藤の木がある。この藤の木は、樹齢約4~500年といわれ、人々から畏敬の念を込め、「千年乃藤」と呼ばれている。以前は大人ふたかかえ以上の欅(ケヤキ)の木にからまり、現在の甲州街道の方まで延びて、藤の花を咲かし実を生らしていた。しかし、落雷のために枯れ、倒木の恐れが出てきたので、藤の木を保護するために欅の木の代わりに電柱を2本立て、鉄骨製の藤の棚を昭和47年4月に造った。この藤の棚は、高さ約4m、面積約400㎡あり、棚一面に藤の枝が広がっている。藤の花は、4月の下旬から5月の上旬にかけて開花し、4月から5月にかけての連休の頃が一番の見頃。(桜の開花が早いと藤の開花も早まる)~國領神社HPより抜粋転載~

上記写真:國領神社HPより転載

調布不動尊 常性寺(調布市国領町)


「常性寺」は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられた。その後、江戸時代に祐仙法印が上総国成田山新勝寺より成田不動尊を勧請して中興したといい、以来、「調布不動尊」と称されて広く皆様に親しまれている。~調布不動尊常性寺HPより抜粋転載~

「手水舎」

「薬師堂」(本堂)

薬師如来」

當山の御本尊薬師如来は鎌倉時代に造像されたもの。お姿は金銅仏で、高さ2尺5寸(75cm)の座像。そして、左手には薬壺を持ち、「我之名號 一経其耳 衆病悉除 身心安楽」『私の名號がひとたびでも、その耳に触れたなら衆病ことごとく除かれ身体の心の満足を得て、安楽にいたらせたい』という御誓願をおたてになった。~調布不動尊常性寺HPより抜粋転載~

上記写真:調布不動尊常性寺HPより転載

「不動堂」

常性寺「不動堂」は鎌倉時代に多摩川沿いに創建されたが、慶長年間(1596~1615年)に旧甲州街道沿いに移築し、現在に至っている。不動堂には、成田山不動尊を勧請した不動明王をお祀りしている。この不動明王は、調布のお不動さんとして、地元の方々に長く親しまれている。~調布不動尊常性寺HPより抜粋転載~

「地蔵堂」

「一願地蔵尊」その名の通り「一つの願いを真心を込めて祈れば必ず叶えてくださる」このお地蔵さまは皆様方の願い、【水子供養】【子育て】【家庭円満】子どもの守り本尊として、一つの願いを叶えてくださるお地蔵さまです。~調布不動尊常性寺HPより抜粋転載~

「石仏馬頭観音」

小橋 「馬頭観音塔」

<市郷土資料(民族資料)>

馬頭観音は六観音の一つで、破邪顕正、人々の煩悩を断つなどの功徳をもつ仏とされるが、頭上に馬頭をいただくことから、民間では馬の守護神として江戸時代中期以降広く信仰されるようになった。「馬頭観音塔」は、念仏供養、道供養として建立されるが、馬の供養のため建てられることが多い。この塔は、甲州街道の小橋(現馬橋から西50m)の「すてば」にあったものを、 甲州街道の拡幅で再度にわたり移動し現在地に安置された。 「すてばとは、馬などの埋葬地である」この塔は、文政7年(1824)市域及び近隣の十九か村のほか、八王子の嶌(縞)買中などが協力して造立したものである。馬頭観音の像を彫った供養塔は市内でも珍しく、また商人を含む多数の村民が造立したことでも知られる貴重な像塔である。調布市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「布袋尊」

調布七福神の一つに数えられている

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 調布散策 サレジオ神学院は、 調布散策Ⅲ -サレジオ神学院-(Jan.2026) へ。