巾着田の曼殊沙華を堪能した後、せっかく遠くまで来たので、「高麗郷古民家」「高麗神社」「聖天院」へ足を伸ばし💦、高麗散策を楽しみました♬ -2025.10.02-
巾着田曼殊沙華は、 巾着田-曼殊沙華-(Dec.2025) へ。
高麗郷古民家(旧新井家住宅)は、江戸時代末から明治時代前半に建てられた母屋と客殿を中心に納屋と2棟の土蔵があり、通りに面した箇所には石垣や白壁が築かれ、高麗郷の美しい景観を創り出している。平成26年に国の有形文化財に指定された。
南土蔵(国登録有形文化財)
納屋(国登録有形文化財)
客殿(国登録有形文化財)
母屋(国登録有形文化財)
十五夜飾りの展示
井戸
北土蔵(国登録有形文化財)
「高麗神社」まで歩きます💦
「高麗神社 由緒」
当社は、高句麗からの渡来人 高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を主祭神として祀る社。他に、導きの神 猿田彦命(さるたひこのみこと)、長寿にして長く朝廷に仕えた武内宿祢命(たけのうちのすくねのみこと)が祀られている。天命に則り、正しい道に導かれ、心身共に健康にして天寿を全うすることは当社の御神徳と言える。 ~高麗神社HPより抜粋転載~
「高麗神社」
高麗神社は、高句麗国(こうくりこく)の王族高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀る社である。高句麗人は中国大陸の松花江(しょうかこう)流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが霊亀(れいき)2年(716)、そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の子孫によって社が護られており、今でも多数の参拝客が訪れている。日高市 ~下記案内板より抜粋転載~
「一ノ鳥居」
一ノ鳥居に掛けられている扁額は、熊谷宿の野口雪江筆によるもので、「大宮大明神」と書かれている。 大宮とは地域の重要な神社に許された称号。 高麗神社は江戸時代まで、高麗郡の大宮として「高麗大宮大明神」・「大宮社」などと称されていた。~高麗神社HPより抜粋転載~
扁額
熊谷宿の野口雪江筆による「大宮大明神」
「将軍標」〖チャンスン〗
御祭神 高麗王若光の母国 高句麗が存在した朝鮮半島には、「チャンスン・長丞」と言われる標柱を立てる風習がある。 将軍標(しょうぐんひょう)とも呼び、日本の道祖神にも似た習俗。朝鮮半島では村や寺院の入口に立ち、魔除けや道標の役割を荷なっている。大きな花崗岩の将軍標がご参拝の皆様をお迎えするかのように立てられている。~高麗神社HPより抜粋転載~
「二ノ鳥居」
扁額「高麗神社」の書は、第59代高麗家当主・宮司 高麗澄雄筆によるもの。~高麗神社HPより抜粋転載~
「手水舎」
狛犬
「御神門」
中央に掛けられている扁額には「高句麗神社」と記されている。明治33年に当社を参拝した朝鮮王朝の貴族 趙重応の筆によるもの。御祭神の故国 高句麗と後に興った高麗を区別するため、そのまま額にして掲げている。~高麗神社HPより抜粋転載~
「御社殿」・「御本殿」
「御社殿」の建立は、3つの時代に分けられる。正面手前の外拝殿は、平成27年(2015)の増改築により建てられた。中間部の内拝殿・幣殿・御本殿覆屋は、昭和9年(1793)から行われた境内整備の一環で造営され、設計は東京帝国大学 教授 伊藤忠太氏によるもの。 「御本殿」は、一間社流れ造りで中世、安土・桃山時代の建立と云われており、埼玉県の指定文化財となっている。~高麗神社HPより抜粋転載~
「神楽殿」
年間に様々に行われる祭事や催しなどで、舞や楽器演奏、芸能などが奉納される。
「高麗家住宅」
<国指定重要文化財 建造物>
高麗家住宅は高麗神社の神職を代々勤めてきた高層氏の宅。建物の規模は桁行14.8m、梁間9.5mをはかる。屋根は入母屋造りで、茅で葺いている。間取りは五室と土間からなっている。表側にある「おもてざしき」は21畳の板敷きで、押し板を備え、前面には格子窓を付けている。「四帖」は「おく」の間の控えの間としての役割を持ち、「おく」には「とこ」が設けられている。「かって」の板の間にはいろりがきられ、土間の奥にかまどがある。建築年代は高麗家に伝わる文久3年(1863)の絵図面に、慶長年間(1596~1615)に建てられたとの伝えがあると記されている。昭和51、52年度に行った解体修理でも棟札などの建築年代を示す資料は得られませんでしたが、建築形式や構造手法からおよそ17世紀後半頃と考えられている。※押し板とは中世の座敷飾りで、壁下に作り付けた奥行きの浅い厚板をいう。現在の床の間の前身と考えられている。
日高市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~
「幽栖門」
「高麗山 聖天院」へ向かう。
「聖天院縁起」
聖天院(しょうでんいん)は、奈良時代に高句麗より渡来した高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の菩提寺として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751)に創建された。若光の守護仏聖天尊を本尊とし爾来600年間法相宗の道場であったが貞和年間(1345)中興秀海上人の代に真言宗に改宗された。天正年間(1584)圓真上人により不動尊(胎内仏弘法大師御作)を本尊とし聖天尊を別壇に配祀し、現在に至っている。江戸時代には高麗郡の本寺として、門末54箇寺を擁するほどの隆盛を誇り、「院主の格式は諸侯に準ずる」とも記録されている。平成12年(2000)7年の歳月を費やした総欅造りの新本堂と在日韓民族無縁仏慰霊塔が落成、平成30年(2018)に鐘堂、令和6年(2024)に多宝塔が完成。また、旧本堂跡地には中門の建立・阿弥陀堂(足利時代)の移設・庭園の拡張などの整備がなされ山容が一変した。~聖天院拝観券より抜粋転載~
「高麗山聖天院勝楽寺」
聖天院は、霊亀2年(716)国難を避け日本に渡来した高句麗人1799人の首長 高麗王若光、侍念僧勝楽、弟子聖雲を始めとする一族の菩提寺として奈良時代に創建された。僧勝楽により開基、聖雲と弘仁により落成され、本尊は王が守護仏として故国より将来した聖天尊(歓喜天)を祀った。故に聖天院勝楽寺と称する。当山開基より約600年後の貞和年間(1345)中興秀海上人は、法相宗を真言宗に改めた。以来当山は、高麗郷一帯の本寺として末寺54ヶ寺を擁し寺門大いに興隆した。開山以来実に千二百数十年、法灯連綿として絶えることなく現在に継承されている。天正8年(1580)第二十五世圓真上人は、本尊に不動明王を勧請し、聖天尊を別壇に配祀した。本尊不動明王(胎内仏弘法大師御作)、王守護仏聖天尊は共に霊験まことにあらたかで、多くの参拝者に深く信仰されており、境内には王霊廟(墓)、高麗殿の池、高麗殿の井戸などの史跡が現存し往時が偲ばれる。
~下記案内板より抜粋転載~
境内全景
手前から「山門」「本堂」「多宝塔」と並ぶ
聖天院の文化財
「山門」(風神雷神門)
市指定文化財。瓦葺総欅木造二層楼閣、大きさ建築様式共に近郷稀にみる優美さと重厚さを備えた建造物。天保初年~3年に完成、棟梁は北足立郡立村立川氏と小瀬戸安藤直蔵氏である。楼閣二階の山号額は江戸の住人中村入道景蓮の書。天上画は龍、鳳凰共に江戸の画師南沢による。門左右に風神、雷神を祀り、階上に大日如来、七観音、十六羅漢が配祀されている。~聖天院HPより抜粋転載~
風神雷神が山内を守っている
「中門」前の階段
「中門」
「中門」をくぐると正面に広がる日本庭園。
「庭園」
山水を取り入れ山の傾斜を利用した庭園。本来東側にある書院・茶室より望むように設計されていたが、池と庭を広げ植栽と庭石の配置を工夫して、中門をくぐった南側正面からと、本堂前舞台より見下ろす北側の三方より楽しむことができる。 ~聖天院HPより抜粋転載~
「阿弥陀堂」
市指定文化財。足利時代の国宝的建築と稲村担元氏によって証明されている当山最古の木造建築である。寺記に「宝永年間高岡村金子六左衛門為父母菩提再建之」とある(第34世賢敝代宝永3年正月~9月改修)。本尊は阿弥陀如来三尊(行基作)、左手に武蔵野観音霊場本尊聖観音、他に十王尊を祀る。 ~聖天院HPより抜粋転載~
扁額
「仁王尊」
筋骨隆々の「仁王尊」の後ろ姿
「本堂」
平成12年(2000)建立。京都神護寺をモデルにした本堂は、平茂寺立川流宮大工九代目石川吉登渾身の作、総欅造り・三手先出組とし軒先の出二軒半・内陣には最大直径2尺3寸の大柱を用い、古式に則り造営された百余坪の重厚な伽藍である。本尊に不動明王を祀り大日如来、釈迦如来、地蔵菩薩、愛染明王、観音・勢至菩薩を配祀、堂内左手に若光守護仏聖天尊が祀られている。本堂前からの眺望はすばらしく、高麗郷を一望、遠く東方には埼玉新都心のビル群、南西方に丹沢・奥多摩の山並み富士山を望むことができる。 ~聖天院HPより抜粋転載~
「本堂」前の展望台からの眺望
「本堂」からの「鐘楼堂」
「鐘楼堂」
平成30年(2018)に完成した総欅造りの楼門、二階に鐘が吊下げられている。 ~聖天院HPより抜粋転載~
「慰霊塔」「多宝塔」方面へ
「慰霊塔」(在日韓民族慰霊塔)
終戦前三六年間に亡くなった在日韓民族無縁仏の慰霊・供養を願い、尹炳道氏が私財を投じ造成建立。基壇を合わせ高さ十六米の石塔は日本最大級、下部に納骨室を備えている。域内には朝鮮様式の八角亭、檀君、広開土大王。王仁博士など韓民族の偉人の石像が並び、異国情緒豊かな霊域となっている。 ~聖天院HPより抜粋転載~
「慰霊塔」の右手には朝鮮様式の八角亭、檀君、広開土大王。王仁博士など韓民族の偉人の石像が並ぶ。
「在日韓民族慰霊塔の由来」
この「慰霊塔」は、戦争・震災等により犠牲となった身元不明の在日韓民族無縁仏の慰霊と供養を目的に建立された。1995年、尹炳道氏は当時引き取り手なく人知れず安置されていた多くの無縁仏に憐憫の想いを馳せ、韓民族縁の地である高麗郷の当山に供養のための仏塔を建立することを発願、伊氏の志に共感賛同した河正雄氏の献身的な協力を得、2000年11月3日に完成。~下記案内板より抜粋転載~
「慰霊塔」左手の朝鮮様式の「八角亭」
ソウルパゴダ公園の八角亭を縮小し、韓国建材で韓国人大工が施行
「多宝塔」
令和6年(2024)、宗祖弘法大師ご生誕1250年記念事業として建立。高麗郷を見渡す高台に建ち、塔内には大日如来が祀られている。 ~聖天院HPより抜粋転載~
丹沢・奥多摩の山並みの眺望
最後に「山門」の右手にある「高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の墓」
「高麗王若光の墓」
市指定文化財。五個の砂岩を重ねた多重塔で、下部に四仏が刻まれてあったが石質が軟らかく永い年月の風化により、今は明らかではない。鎌倉期以前の建立、境内が後方に移ったため山門右手に位置している。昭和46年(1989)御霊家並に周辺を修復。 ~聖天院HPより抜粋転載~
お墓の入口の両側に”ひつじの石像”
「山門」右手の弘法大師・空海の像