鎌倉散策Ⅱ


鎌倉の混雑を避けて、北鎌倉から出発。「東慶寺」参拝から始め、以前から参拝したかった「長寿寺」、「圓応寺」へ。その後「亀ヶ谷坂」の切通しを抜け、「寿福寺」へ。ここから長谷へ向かい、「甘縄神明神社」、「御霊神社」へ。さらに極楽寺の「成就院」「極楽寺」を参拝してきました。あじさいの見頃時期だったので、境内を彩るあじさいの花も楽しめました!! -2025.06.13-

寿福寺(鎌倉市扇ガ谷)


「寿福寺」

【宗派臨済宗建長寺派山号寺号亀谷山福金剛禅寺建立正治2年(1200)開山明庵栄西

源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明庵栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺。鎌倉幕府三代将軍の源朝も、再参詣した。栄西は日本に初めて臨済宗を伝えた禅僧で、『喫茶養生記』を記すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られている。裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、源実朝、母・政子の墓といわれる五輪塔がある。墓地には俳人・高浜虚子や作家・大佛次郎などが眠っている。鎌倉市 ~下記案内板より抜粋転載~

国指定史跡 「寿福寺境内」

亀谷山寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)は、正治2年(1200)に頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺。この地は、もと源頼朝の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした源頼朝はここに館を造ろうとしたが、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたのでやめたといわれている。墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基ある。現在伽藍は外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裡などだが、外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂い、また仏殿前に四株の柏槇があり、往時のおもかげを残している。神奈川県教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

「総門」

「参道」

「総門」から「中門」まで60~70mの石畳の参道。この石畳は桂敷きという技法が使われており、不規則に並べられた中央の石を規則的に並べられた両サイドの石で挟んでいるのが特徴。この石畳は鎌倉一美しいとされている。

「仏殿」

境内の正面の「仏殿」。中には高さ3mもの釈迦三尊像が安置されている。さらにその両脇には見劣りしないほどの大きさの仁王像も祀られており、その姿はまさに荘厳。境内を参拝できるのはお正月やゴールデンウィークといった長期休暇中のみ。

「鐘楼」

寿福寺境内裏手の裏山に「やぐら」(中世の横穴墳墓)があり、頼朝の妻北条政子と頼朝の息子である三代将軍源実朝の墓といわれる「五輪塔」がある。この五輪塔は牡丹唐草の模様があしらわれていることから、「えかきやぐら」「唐草やぐら」とも呼ばれており、歴史的な価値が高いお墓とも言われている。

「源頼朝の妻・北条政子の墓」

「鎌倉幕府第三代将軍・源実朝の墓」

旧加賀谷邸(鎌倉市長谷)


旧加賀谷邸は、端正なつくりの和風建築物に、一間の洋館部を備えた近代に流行した住宅建築物。この洋館部は、天井の高い平屋建てで、屋根上部に付けられた宝珠の棟飾りや上げ下げ窓を用いるなど細部のデザインが鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)とよく似ていることから、設計の際に参考にしたものと考えられる。緑に囲まれた谷戸の閑静な住宅地の中で、ひときわ目を引く背の高い洋館部は周辺のランドマークになっている。・建設年:大正14年(1925)頃・設計者:不詳・施工者:不詳 ~下記案内板より抜粋転載~

「鎌倉 北橋」(かまくら きたはし)

鎌倉市景観重要建築物の「旧加賀谷邸」を活用、2024年6月にオープンのお蕎麦と珈琲の「鎌倉 北橋」。

洋館に続く右側の入り口に向かうと大きな庭があり、この庭からは「鎌倉 北橋」の外観全体を見ることができる。写真の左側の洋館がカフェ、右側の日本家屋がそば店。 ※「続・続・最後から2番目の恋」のロケ地になったことでも人気とか😊。

甘縄神明神社(鎌倉市長谷)


「甘縄神明宮」

祭神は天照大神。和銅3年(710)行基が草創し、豪族の染屋時忠が建立した、鎌倉で一番古い神社といわれており、長谷の鎮守。このことから、前に海、後ろは山という長谷あたりが、鎌倉では早くから開けたところだと考えられる。甘縄の「甘」は海女のこと、「縄」は漁をする時の縄の意味だろうという説もある。源頼義がこの神社に祈願をして、義家が生まれたと伝えられており、後に義家が社殿を修復し、頼朝も社殿を修理し荒垣や鳥居を建てたといわれており、源氏と関係の深い神社だったと考えられている。また、北条政子や源朝、実朝も参詣したと伝えられている。石段の下には、北条時宗が産湯につかったといわれる、「北条時宗公産湯の井」がある。社殿は石段を上った高台にあり、拝殿を背に由比ガ浜と長谷の町が一望できる。拝殿とその奥に本殿があり、拝殿の屋根は青銅で美しく、「かつお木」という鰹節のような木が5本あり、「千木」という交差して空に突き出た木がついている。境内には「五社明神」と、拝殿右の苔むした階段を上ると、「秋葉社」という社。境内にある大きなタブの木は「鎌倉と三浦半島古木・名木50選」に指定されている。近くには川端康成の邸宅があり、小説「山の音」に登場する神社として描かれていることでも知られている。9月初旬の例大祭は、神輿や山車が出て賑わい、縁日も開かれ、長谷の人々が大切に守り続けている行事です。~鎌倉はせのわHPより抜粋転載~

「鳥居」

「手水舎」

北条時宗が産湯につかったといわれる

「北条時宗公産湯の井」・「二条公爵愛用の井」

「拝殿」へと続く石段

狛犬


「拝殿」

扁額:「甘縄神明宮」

「本殿」

「秋葉神社」

拝殿を背に由比ガ浜と長谷の町を臨む

御霊神社(鎌倉市坂ノ下)


「御霊神社」(ごりょうじんじゃ)

【祭神】鎌倉権五郎景正

御霊とは、強く尊い祖先の御霊の意で、神社の創建は、平安時代後期と伝えられている。桓武天皇の子孫で「鎌倉武士団」を率いた鎌倉権五郎景正を祀っている。景正は「後三年の役」(1083~)に16歳で出陣して勇名をはせ、その後現在の鎌倉・湘南地域を開発した領主。地元では「権五郎さま」と呼ばれ親しまれている。毎年9月に行われる「面掛行列」は、伎楽や舞楽、田楽などの古い面をつけた面掛衆が練り歩く珍しい祭事です。鎌倉市 ~下記案内板より抜粋転載~

「東鳥居」と紫陽花


境内は残念ながら、撮影禁止となっていました😢。

2018年5月に参拝。 境内詳細は、 御霊神社(May.2018) へ。

「表鳥居」

「御霊神社」といえば、鳥居の目の前を「江ノ電」が通ることで有名。紫陽花の季節には"江ノ電と紫陽花"のコラボが話題に。

鎌倉方面

藤沢方面

江ノ電が来ました♬


成就院(鎌倉市極楽寺)


護摩修法が行われていたこの地に、鎌倉幕府三代執権北条泰時が承久元年(1219)「成就院」を建立。 元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻めで焼失し西ヶ谷に移ったが、元禄元年(1688江戸時代に中興の祖祐尊により元の地に再建され、現在に至る。 當山は108段の階段を上った山上にあり、由比ヶ浜を一望する眺めは鎌倉を守る要所であったことを偲ぶ事ができる。~成就院HPより抜粋転載~

東側の入口「東結界」の門

奥に見えるのは由比ヶ浜


「山門」

2018年5月に参拝。境内詳細は、 成就院(May.2018) へ。

永代供養・合祀 地蔵菩薩

西側の入口「西結界」の門

極楽寺駅(鎌倉市極楽寺)


関東の駅100選にも選ばれた「極楽寺駅」赤丸ポストがレトロ感をかもしだしている。「最後から二番目の恋」シリーズを通して繰り返し登場するロケ地でもある。

極楽洞(鎌倉市極楽寺)


極楽洞は、「江ノ電」の愛称で親しまれている江ノ島電鉄株式会社が所有する煉瓦造りの坑門で、右手の桜橋から見ることができる。アーチの頂部に2箇所の要石を備えたデザインは、全国的にも珍しいもので、今なお建設当時の原型をとどめている。江ノ電が極楽洞を走り抜ける景観は、古都鎌倉に近代の息吹を伝えた電気鉄道の歴史を偲ばせる。建設年:明治40年(1907)設計者:土井 治男  ~下記案内板より抜粋転載~

 江ノ島電鉄(極楽洞・千歳開道)

江ノ島電鉄は明治35年(1902)に開業し、ほぼ当時の路線で営業している電車としては日本で最古である。極楽洞は江ノ島電鉄唯一のトンネルで、明治40年(1907)竣工。藤沢方には極楽洞、鎌倉方には千歳開道と表示されており、建設当時の煉瓦バリがそのまま残されている。平成22年(2010)、鎌倉市の景観重要建築物に指定されている。【延長】209m【高さ】5.285m

【幅】3.940m。~下記案内板より抜粋転載~

極楽寺(鎌倉市極楽寺)


「極楽寺」

【宗派】真言律宗【山号寺号】霊鷲山感応院極楽律寺【建立】正元元年(1259)【開山】忍性菩薩【開基】北条重時

開山は良観房忍性。奈良西大寺叡尊門下で戒律を学ぶ。弘長2年(1262)に北条業時に招かれて多宝寺住持となり、その後文永4年(1267)に極楽寺に開山として迎えられた。極楽寺は正元元年(1259)に深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地に移転したといわれている。元寇に際しては、幕府の命により異国降伏の祈祷を行い、また、鎌倉幕府滅亡後も勅命により国家安泰を祈る勅願所としての寺格を保った。かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲むように多くの子院、そして療病院などの病院施設もあったことが当寺に伝わる絵図からわかる。~下記案内板より抜粋転載~

「極楽寺略縁起」

鎌倉唯一の真言律宗の寺。建立したのは北条義時の三男の重時。重時は執権を補佐する連署まで務めた人であるが、政治に執着することなく出家し、その山荘に寺院建立を思い立ち、正元元年(1259)に造営を始めた。しかし造営半ばの弘長元年(1261)に重時は亡くなった。その子の長時と業時が父の志を継いだ。~下記案内板より抜粋転載~

「山門」

「本堂」

「転法輪殿」(宝物館)

ご本尊の「木造釈迦如来立像」(国重要文化財)や「木造釈迦如来坐像」(国重要文化財)などの寺宝を収蔵。

「大師堂」

鎌倉三十三観音霊場の二十二番札所。「如意輪観世音菩薩」が祀られている。

「客殿」

「千眼茶臼 製薬鉢」

開山忍性菩薩が施薬悲田院、癩病所を設けた折に使用されたものと伝えられている。往古社会救済事業をなした極楽寺の貴重な遺品の一つ。~下記案内板より抜粋転載~

「極楽寺の井」 

山門前を掘りおこした時に発見された井戸。鎌倉石を八段積み上げての大きなもの。こヽで開山忍性菩薩が粥を施したと伝えられている。昔の人々にとって憩の井戸であったろうと思われる。~下記案内板より抜粋転載~

「八重一重咲け分桜」

北條時宗公がお手植えと伝えられ、現在の桜はその古株より発生したもの。一枝に八重と一重とが混生し、淡紅色の極めて美しい桜。一名御車返しと云う。原産地は鎌倉桐ヶ谷と言われ、この桜は当地に存在する唯一のもの。~下記案内板より抜粋転載~

「サルスベリ」(百日紅)

大太刀稲荷神社・御岳神社(鎌倉市長谷)


「大太刀稲荷神社」(おおたち いなりじんじゃ)・「御嶽神社」は、国道134号線・由比ガ浜沿いに鎮座する神社。同じ境内に2つの神社が建立。境内からは由比ガ浜の海が見える。鳥居をくぐると参道が2つにわかれ、左側が「大太刀稲荷神社」、正面が「御嶽神社」となっている。なお、「大太刀稲荷神社」、「御嶽神社」はともに縁起、由緒不詳。

「鳥居」

「大太刀稲荷神社」

元弘3年(1333年)の新田義貞の鎌倉攻めの際、大舘宗氏 (おおだち むねうじ)がこの辺りで戦死したことにちなみ「おおだち いなり」を創建したという言い伝えもあるが、定かではない。大太刀稲荷神社の鳥居に「明治三十ニ年九月」と刻まれていることから、1899年以前には大太刀稲荷神社はあったのではないかとのこと。

「御嶽神社」

社殿は無く「御嶽大神」「八海山大神」「三笠山大神」の石碑が3つ並んでいる。これらは木曽御嶽山信仰の三神であることから、長野県「御嶽神社」が本社になっているものとされているという説も。

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