足利散策 Ⅲ -足利織姫神社・八雲神社-


今回は、前回訪れた群馬県桐生市の県境を挟んでお隣の栃木県足利市へ。昔から織物を通じて発展したふたつの街には、数々の歴史的な見どころがたくさん。「足利学校」「鑁阿寺」「足利舞姫神社」を中心に足利を散策してきました。-2025.05.13-

上記MAP:足利観光協会

足利舞姫神社(足利市西宮町)


足利織姫神社のご由緒

1200年余の機場としての歴史をもつ足利。この足利に機織の神社がないことに気づき、宝永2年(1705)足利藩主であった戸田忠利が、伊勢神宮の直轄であり天照大神(あまてらすおおみかみ)の絹の衣を織っていたという神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)の織師、天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を現在の足利市通4丁目にある八雲神社へ合祀。その後、明治12年(1879)機神山(はたがみやま)(現在の織姫山)の中腹に織姫神社を遷宮した。翌年の明治13年、火災に遭い仮宮のままとなっていたが、昭和8年皇太子殿下御降誕(現在の上皇陛下)を期し、当時の足利織物同業組合組長の殿岡利助氏の先導により市民ぐるみで新社殿の建造にかかり、昭和12年5月に現在の織姫山に完成、遷宮した。平成16年6月、社殿、神楽殿、社務所、手水舎が国の登録有形文化財となる。

【足利織姫神社が縁結びの神社と云われる由縁

ご祭神は、機織(はたおり)をつかさどる『天御鉾命』と織女である『天八千々姫命』の二柱の神様。この二柱の神様は共同して織物(生地)を織って、天照大御神に献上したといわれている。織物は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織りあって織物(生地)となることから、男女二人の神様をご祭神とする縁結びの神社といわれるようになった。また、織物をつくる織機(しょっき)や機械は、鉄でできているものも多いことから全産業の神様といわれ7つのご縁を結ぶ産業振興と縁結びの神社といわれている。~足利織姫神社HPより抜粋転載~

神社案内図

歴史都市宣言のまち 足利

国登録有形文化財(建造物)

「織姫神社」

社殿・神楽殿・社務所・手水舎

織姫神社は社殿によれば、宝永2年(1705)戸田忠利が足利藩主としてこの地に来た時に土民が創建した神社で、機織の守護神として「天八千々姫命 」「天御鉾命 」の二神をお祀りしている。現在の社殿は、明治13年(1880)に焼失した社殿を昭和 12 年(1937)に再建したもので、中央に拝殿、その両側に翼廊を配し、拝殿と翼廊を歩楼で結ぶ形は、日本古来の寝殿造建築である平等院鳳凰堂をモデルにしたといわれている。当時の神社建築は木造が主流であったが、設計者である小林福太郎(1882~1938)は、当時珍しい鉄筋コンクリートを用いて木造建築の意匠を再現。朱色に塗装された建物が、織姫山の山並みの緑と青空に映え、ひときわ鮮やかに眼に映り、美しい建築を作り上げている。織姫神社は織物を中心とした足利の産業を信仰面から支えてきた存在であり、本市の近代化を語る上でも欠かせない貴重な文化遺産です。近年は、産業振興と縁結びの神社として多くの参拝者に崇められている。足利市教育委員会 ~下記案内板より抜粋転載~

縁結びの神「足利織姫神社」

御祭神の天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)と天御鉾命(あめのみほこのみこと)は、ここ足利に鎮座され、当時の守護神として人々を見守り、経糸横糸がよき縁を結ぶとされた縁結びの神様です。~下記案内板より抜粋転載~

「一の鳥居」(本坂)

境内まで229段

「縁むすび坂」からも上れます。

「二の鳥居」

狛犬


「手水舎」

<国登録有形文化財>

表参道石段の中途,神楽殿・社務所より一段低い平地に建つ。桁行1.97m梁間0.7m規模、南北棟、切妻造、銅板葺で、社殿と同様、鉄筋コンクリート造で垂木以上を木造とする。神楽殿や社務所とともに,小林福太郎の設計による境内計画の構成要素。~文化遺産オンラインHPより抜粋転載~

ようやく「社殿」が見えてきました💦

狛犬


「足利織姫神社 社殿」

<国登録有形文化財>

昭和12年(1937)に建設された鉄筋コンクリート造の建物で、中央に拝殿、その両側に翼廊を配する形は日本古来の寝殿造建築(平等院・鳳凰堂を模している)をモデルにしている。当時の神社建築は木造が主流でしたが、設計者である小林福太郎(1882~1938)は、鉄筋コンクリートを用いて木造建築の意匠を再現した。参道の階段を上った織姫山の中腹に立地し、朱色の建物が緑の山並みと青い空に映え、ひときわ鮮やかに目に映ります。(いつしか陸の竜宮城と呼ばれています)主祭神は織女「天八千々姫命」(あめのやちちひめのみこと)と男の機織師「天御鉾命」(あめのみほこのみこと)の男女二神を勧請してお祀りており、産業復興と縁結びの神社として、多くの参詣者に崇められている。織姫神社は、織物を中心とした足利の産業を信仰面から支えてきた存在であり、本市の近代化を語る上でも欠かせない貴重な文化遺産です。神楽殿・社務所・手水舎と共に平成16年(2004)に国登録有形文化財になった。~下記案内板より抜粋転載~

「足利織姫神社」

歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神として、宝永2年(1705)に天八千々姫命 ・天御鉾命の二柱の神を勧請した。明治12年に社殿が建立されたが、翌年火災で焼失してしまった。昭和9年春に新社殿建立に着手し、昭和12年に現在の社殿が完成した。朱塗りの社殿は緑に映えて美しく、足利のシンボルであり、平成16年には国登録有形文化財に登録されている。産業振興と縁結びの神社として、足利市民はもとより、全国から参詣者が訪れている。環境省・栃木県 ~下記案内板より抜粋転載~

「縁結びの神」

よき人と縁結び よき健康と縁結び よき知恵と縁結び よき人生と縁結び よき学業と縁結び よき仕事と縁結び よき経営と縁結び

「神楽殿」

<国登録有形文化財>

社殿地に上がる大階段前の西方に位置。桁行6.2m、梁間3.8mで入母屋造り、銅板葺の木造平屋建てで、低い亀腹上に土台を回し柱が立っている。軒は一軒疎垂木とし、舟肘木で桁を受け、縁に高欄を回しており、壁は横板羽目。社務所と共に社殿地の下の平地の主要素になっている。~足利市HPより抜粋転載~

「社務所」

<国登録有形文化財>

木造平家建てで一部地下の階がある。入母屋屋根、杮葺風銅板葺で、地階の一部は鉄筋コンクリート造。玄関部分は虹梁に大瓶束を置き、頭貫、板蟇股、柱上部は大斗、絵様肘木が入っている。木鼻には猪目形の彫りがある。格天井、壁が腰部分縦板張り、上部漆喰壁、袖壁には菱格子が入る。床は布敷風に目地を入れた洗い出し仕上げで、2段の式台がついている。上段が一枚板、下段が切り目板張り。廊下は杮葺風銅板平葺きで、柱間を6尺とし、長さは4間、下見板張りに木製格子がつく引き違い窓に漆喰仕上となっている。~足利市HPより抜粋転載~

登録有形文化財 登録プレート

「御神木」

「御神木の厄祓い」

厄年、厄日、諸厄のお祓いを念じて上下の御神木を三回づつ叩きましょう

絵馬

「恋人の聖地」

2014年、産業振興と縁結びの神様として「恋人の聖地」 に認定された。二人で一緒に鐘を鳴らすと幸せになれると伝えられている「愛の鐘」がある。「愛の鐘」の脇からは、足利市内を一望できる。

境内からは渡良瀬川や足利市内を一望できる

「おりひめの藤」

「織姫神社」の裏手に鎮座する「大山阿夫利神社」

「大山阿夫利神社参道入口」

「大山阿夫利神社」

大山阿夫利神社は、昔から国を守る山・神の山として崇められており、水の神、山の神として信仰がある。[神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山)にある神社]。大山阿夫利神社は、2200年以上前の崇神天皇の頃に創建されたと伝えられている式内社(神明帳に記載された格式ある神社)。古来では別名「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いや五穀豊穣の祈願の対象であった。その後、奈良時代以降は神仏習合の霊山として、武家政権下では武運長久の祈りの場所として栄え、足利、北条、徳川氏の尊敬が厚く、社領も寄進されている。隆盛を極めた江戸期には年間で数十万人が「講」という組織をつくり大山へ参拝した。また、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれ、一部の地域には、大山に登ると一人前として認められるという伝承があり、大山の神霊が立身出世の神とされた。~下記案内板より抜粋転載~

「足利の大山講」

大山講の風習は江戸末期から明治にかけて関東一円に広まり、足利地方でも昭和五十年頃まで足利織物の旦那衆が中心に講が組織され、今も大山阿夫利神社の神前の左右には足利講の人々が昭和三十年代に奉納した高さ2m超の随神像が安置されている。足利講が織姫神社の境内地に鎮座した経緯を考えると、大山阿夫利神社があったこの地に織姫神社が創建されたものと考えられる。また、高さ3m近い木製の「大山講の燈籠」は昭和四十年頃まで毎年例年大祭時に足利の目抜き通りに点灯されていた。

「足尾大神」

足尾は、足王様、荒脛神(あらばきがみ)とも呼ばれ、手・足・腰の病気から守ってくれるとされている。路傍に石仏として佇んでいたり、足尾、足守と名の付く神社に祀られている。足尾大神も足王と足尾の音が同一であることから、民間信仰の足王様が修験者の足王山の神と習合したとも言われる。現在、足利七福神巡りと称してハイキングコースになっているが、明治までは山伏が闊歩する修験道の世界であった。 ~下記案内板より抜粋転載~

神奈川県伊勢原市の「阿夫利神社」・「雨降山 大山寺」は、2018年に参拝してます。

神社詳細は、  阿夫利神社(Nov.2018)  雨降山 大山寺(Nov.2018) ヘ。

さらに階段を登り

「機神山山頂古墳」(はたがみやまさんちょうこふん)先の

"織姫公園レストラン棟" ヘ。

待望のランチ😊!!

織姫山荘「手うちそば伊とう

上記写真:織姫山荘「手うちそば伊とう」HPより転載

織姫公園レストラン前からの眺め。足利の街並み、遠くには関東平野。

「織姫神社」に戻り下ります。

「縁結び坂」と「石段参道」の合流点

下りは「縁結び坂」の「七色(なないろ)の鳥居」から

「縁結びひろば」

"赤い糸の縁結び"のお札掛け

しあわせの絆

「七色(なないろ)の鳥居」

「七色の鳥居」は、七つの御神徳を表現している

"よき人生と縁結び"(青色)

"よき知恵と縁結び"(緑色)


"よき健康と縁結び"(黄色)

"よき人と縁結び"(赤色)


他にも "よき学業と縁結び"(若草色) "よき仕事と縁結び"(朱色) "よき経営と縁結び"(紫色)がある。

足利織姫神社の前の通りを隔て向かいにある「八雲神社」へ。

八雲神社(足利市通5丁目)


藤原下野守村雄が疫病を鎮めるため、通五丁目と緑町に牛頭天王、現在の八雲神社を勧請。(平成30年、1150年を迎える)

古くは、緑町の八雲神社を男神を祀る牛頭天王上社、当社を女神を祀る牛頭天王下社といった。本殿は天保14年(1843)に再建。拝殿は大正4年建築。社殿内には、江戸時代後期に製作されたと推定される神輿(足利市指定文化財)がある。

「社号標」と「鳥居」

「社殿」

鎮座1150年(旧郷社・総社)

足利通五丁目 八雲神社

主祭神:櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)

配神:素戔嗚男尊(すさのうのみこと)

「本殿」

「渡良瀬川」と「中橋」・「渡良瀬橋」


「渡良瀬川」

渡良瀬川は、 群馬県と栃木県 の境にある 皇海山 ( すかいさん )という山から始まる。 最初は松木川という小さな流れが、いくつかの小さな流れが集まり、渡良瀬川と名前も変わる。群馬県みどり市大間々町までは急な流れだが、桐生市、足利市に入ると川幅も広がり、栃木市藤岡町では渡良瀬遊水地をとおり、茨城県古河市で利根川に合流する。渡良瀬川の流域は、上流から下流までの間に合流する、桐生川や巴波川 、思川など23の支川を合わせるとその面積は2,621k㎡となり、群馬県、栃木県、茨城県、埼玉県の4県にまたがる 。渡良瀬川の川の長さは107.6kmで、前橋から東京までの直線距離とほぼ同じ長さ。~国土交通省 関東地方整備局 渡良瀬川河川事務所HPより抜粋転載~

行き:「足利市駅」から足利市中心街に行く。「中橋」を渡る。

「中橋」

足利市中心部と東武伊勢崎線足利市駅を結ぶ橋として1936年(昭和11)に開通、とちぎの土木遺産。緑色の鉄骨アーチ構造の橋で夜間は326個のイルミネーションが点灯される。他に管内の渡良瀬川には11橋の長大橋があり、橋から眺める渡良瀬川の眺めが雄大。上流側の「渡良瀬橋」・下流側の「田中橋」とともに、足利を代表する景観を作りあげている。橋長296.1m、下部:(ラーメン式橋脚)、上部:(3径間単純RC桁)。現在架け替え工事中により車両通行止め。

東武伊勢崎線足利市駅前から見る「中橋」

「渡良瀬橋」方面

「田中橋」方面


「中橋」から見える織姫山の中腹に

「足利織姫神社」の社殿

帰り:「渡良瀬橋」を渡って「足利市駅」へ。

「渡良瀬橋」へ行く途中、振り返って見る「織姫神社」

「渡良瀬橋」

1934年(昭和9年)開通、とちぎの土木遺。産橋長243.3m、下部:(重力式橋台、ラーメン式橋脚)、上部:(9径間単純桁トラス)。橋の上から望む夕日の美しさは"森高千里"の曲に歌われるほどで、西側に並行して係る歩行者・自転車専用の橋から夕日を見ることが可能。橋の周辺には「渡良瀬橋」の歌碑が建てられ、碑の横のボタンを押すと「渡良瀬橋のメロデイー」が流れる。

上記写真:栃ナビHPより転載

「渡良瀬橋」から見る渡良瀬川の眺め

「渡良瀬橋」の歌碑

作詞 森高 千里 作曲 斉藤 英夫

渡良瀬橋で見る夕日を あなたはとても好きだったわ きれいなとこで育ったね ここに住みたいと言った

電車にゆられこの街まで あなたは会いに来てくれたわ 私は今もあの頃を 忘れられず生きてます

今でも 八雲神社へお参りすると あなたのこと祈るわ 願い事一つ叶うなら あの頃に戻りたい

床屋の角にポツンとある 公衆電話おぼえてますか きのう思わずかけたくて なんども受話器とったの

この間 渡良瀬川の河原に降りて ずっと流れ見てたわ 北風がとても冷たくて 風邪をひいちゃいました

誰のせいでもない あなたがこの街で 暮らせないことわかってたの なんども悩んだわ だけど私ここを

離れて暮らすこと出来ない あなたが好きだと言ったこの街並みが 今日も暮れてゆきます

広い空と遠くの山々 二人で歩いた街 夕日がきれいな街

上記写真:栃ナビHPより転載

上記パンフレット:足利市観光協会