箱根の旅 Ⅰ -箱根大観山・箱根神社-


大人の2人女子旅「箱根の旅」。スタートは共通の友人夫妻が箱根ターンパイクを通り、眺望が素晴らしい終点の「大観山」に寄り「芦ノ湖」まで送ってくれました。4人でランチ、その後夫妻と別れてから"2人女子旅"スタート。芦ノ湖ほとりにある「箱根神社」を参拝後、箱根湯本の宿「箱根の森おかだ」へ。夕方、夜、朝と温泉三昧ですっきり。翌日、「彫刻の森美術館」「名勝神仙郷と箱根美術館」へ。新しい発見のある充実した1泊2日の女子旅「箱根の旅」でした😊。 -2025.10.28~10.29-

箱根大観山(足柄下郡箱根町)


標高1,015m。箱根ターンパイクの“大観山スカイラウンジ”からは、芦ノ湖と富士山、駒ヶ岳などの中央火口丘、金時山などの外輪山、そして遠くには南アルプス、三浦半島、房総半島、大島までも眺望、まさに360度の絶景を楽しむことが出来る。

「箱根の地形が一望できる絶景ポイント」

Geosite 10 大観山(たいかんざん)

箱根火山の成り立ちを風景から読み取ろう!

大観山のダイナミックな風景からは、箱根火山の成り立ちを学ぶことができる。芦ノ湖の背後に連なる三国山などの山々は、箱根火山の活動のはじめの頃に活動した火山。

①40 ~ 23 万年前の間に、金時山や明神ヶ岳など外輪山と呼ばれる成層火山群が形成された。

②約23 ~ 13 万年前には、火山の噴出物が地面を這うように流れる火砕流を伴う大きな噴火が起こり、箱根の山の中央部が陥没してカルデラがつくられた。目の前に広がる風景で外輪山に囲まれた場所が、カルデラの内側。

③13 ~ 8 万年前にかけてカルデラの中に大量の溶岩が噴出し、形成されたのが屏風山や浅間山などの中央火口丘のはじめの活動でできた火山(前期中央火口丘)。

④8 ~ 4 万年前には、再び火砕流を噴出する激しい噴火が起こった。

⑤約4 万年前以降から現在にかけて、カルデラの中での溶岩の噴出で形成されたのが駒ケ岳や二子山などの中央火口丘のうち後の活動でできた火山(後期中央火口丘)。

大観山では、この箱根火山の形成モデルに出てくる外輪山と中央火口丘の全ての山々を観察することができ、箱根火山がどのようにできたのか観察することができる。箱根ジオパーク ~下記案内板より抜粋転載~

前回(2024.07.06)

富士山の頂が少し見えたのですが…。

雲のない日は雄大な富士山

上記写真:公益社団法人神奈川観光協会

芦ノ湖(足柄下郡箱根町)


「芦ノ湖」は、箱根火山のカルデラの中にある「カルデラ湖」。今から約3100年前に起きた大涌谷付近の噴火による土砂が、当時仙石原を流れていた川(古い早川)をせき止めたため、その上流に水がたよって湖となった。

箱根神社(足柄下郡箱根町元箱根)


【御祭神】箱根大神(瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと))*御三神を併祀して「箱根大神(はこねのおおかみ)」と奉称し、お祀りしている。

【由 緒】箱根神社の創祀は、当社の縁起『筥根山縁起并序』(1191 年成立)によると、第5代孝昭天皇の御代、聖占仙人が箱根山の駒ヶ岳に神仙宮を開き、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となった。

奈良時代の天平宝字元年(757)、箱根山に入峰した万巻上人が、箱根大神の御神託を授かり勅願をもって現在の地に社殿を建立。この箱根大神を奉斎する社は「箱根三所権現(箱根権現)」と号し、仏教とりわけ修験道と習合し朝野の信仰をあつめた。

平安時代初頭、東海道の官道として箱根路が開通すると、当社は道中安全を祈る往来の人々によって遍く知られ、武家の興隆とともに名だたる武将が篤い崇敬を寄た。鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、二所詣の風儀を生み、以来執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えた。明治の初年、神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、「箱根神社」と改称された。平成19年には、御鎮座1250年祭が行われた古大社。~箱根神社HPより抜粋転載~

「第三鳥居」

「第六天神社」

【御祭神淤毋陀琉神(おもだるのかみ)例祭日1月1日

御祭神淤母陀琉神は神代の昔、天神(あまつかみ)の第六番目に誕生された生殖力の旺盛な神ですが特に殖産興業・商売繁昌の守護神と敬仰されている。箱根神社は古来関東における山岳信仰の霊場として崇められ、奈良時代の末、万巻上人(まんがんしょうにん)により現在地に奉遷された。爾来、箱根山に入峰修行する多くの修験者(山伏)等が 跪拝(きはい)した九頭龍大神や弁財天と共に第六天神と称へ奉り厚い信仰したが、明治維新の神仏分離以来ひそかに奉斎されてきた。今般鎮座1230年を記念し、境域を改修鳥居を建立して祭祀を復興したもの。~下記案内板より抜粋転載~

「手水舎」

「第四鳥居」

第四鳥居から見る正参道石階段は90段

「曽我神社の由来」

【御祭神】曽我十郎祐成之命 曽我五朗時致之命

【例祭日】5月28日(傘焼神事)

【由 緒】曽我神社は、鎌倉時代、箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十朗祐成の霊を慰めるため「勝名荒神祠」としてお祀りされたのが始まりである。江戸時代の正保4年(1647)小田原城主稲葉美濃守正則が石造の本殿を造営し、また平成の御代に社殿を改修した。祥月命日には故実による傘焼の神事(写真右)や、居合道の奉納等が行われ、今日なお心願成就の守護神として崇敬されている。

曽我兄弟は、幼名を兄十郎は一萬、弟五郎は筥王と称した。安元2年(1176)兄弟が5歳、3歳の時、同族間の所領争いが因で、実父河津三郎祐泰が工藤祐経に討たれるという不幸に遭遇した。母満江御前は兄弟の身に危険の及ぶことを恐れ、曽我祐信(相模国曽我城主)と再婚し、兄弟も曽我姓を名乗り、やがて兄一萬は成人元服して十郎祐成と改めた。弟筥王は実父の菩堤を弔うべく箱根権現別当の行実僧正の下に預けられ稚児となったが、孝心やみがたく権現の森の奥深く、杉の木を相手に秘かに武術に励んだ。(五郎が稽古に励んだ杉は兄弟杉と呼ばれている)文治3年(1186)正月、源頼朝の箱根権現「二所詣」に従い、参列した仇工藤祐経を眼のあたりにした筥王は、復讐の念に燃え隙を窺ったが果せず却って祐経に諭され、赤木柄の短刀を与えられた。建久元年(1190)17歳になった筥王は、出家を嫌い無断で箱根山を降り、元服して五郎時致と名乗り、兄十郎祐成と共に仇討を決意した。建久4年(1193)5月16日、心願成就祈願のため箱根権現に参拝した兄弟は、別当行実僧正から門出の祝儀に宝刀の微塵丸、薄緑丸を授けられる。折から源頼朝に従って大巻狩中の仇敵工藤祐経を求め富士の裾野へ向った。そして遂に5月28日夜半、工藤祐経を陣屋に襲って倒し、先年与えられた赤木柄の短刀を以って止めを刺し、仇討本懐を遂げた。この時、兄十郎は戦死し、弟五郎は捕えられた。翌29日、五郎は頼朝の面前で堂々と仇討の真意をのべ、居並ぶ鎌倉武士を感嘆させたが、惜しまれながらも遂に斬首された。時に十郎は22歳、五郎は20歳であった。播州・赤穂義士の主君仇討と共に兄弟の孝心、忠節は武士の鑑と仰がれて神社に祀られると共に、多くの文芸や物語に語り継がれた。今日尚その誠烈な気風を慕い人々に尊崇されている。~下記案内板より抜粋転載~

狛犬


「曽我兄弟八百年祭の碑」

鎌倉時代 建久4年(1193)5月28日 曽我兄弟が 父親の仇討本懐を遂げ 殉職してから800年 今茲に兄弟の威徳を忍び 平成の大御代に甦りを念って 式年大祭を奉仕し 御本殿造営等幾多の記念奉賛事業を奉修した また曽我物語を出版し 箱根 小田原とその周辺に記念行事を盛んに行い 武道場に於ては 初の居合道全国選抜八段戦と弓道大会を値し 文武両道を興隆して 以て御神徳の宣揚につとめた この間790年祭を契機に奉賛会を組織して拝殿の建立と境内整備等の記念事業を奉修し かつまた武道場建設して青少年教化の道場とした 寄託された氏子崇教者各位の御芳志に感謝しつつ弥栄を祈念する  ~下記案内板より抜粋転載~

「本殿・拝殿」

御社殿造営境内整備最終事業「御鎮座1270年奉祝記念事業」の中心となる御本殿御屋根葺替と拝殿改修並びに向拝改築工事のため、祈祷は儀式殿にて斎行。

向拝改築工事前の「拝殿」

上記写真:芦ノ湖なびより転載

苔むした狛犬


九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)は、芦ノ湖畔九頭龍大神誕生の聖地に鎮座する「九頭龍神社(本宮)」に祀られていたが、多くの人々がお参りしやすいようにと平成12(2000)年に箱根神社境内に「九頭龍神社(新宮)」が建てられ、現在、九頭龍大神は二ヶ所に祀られている。※「九頭龍神社(本宮)」へは、モーターボートまたは箱根園から30分ほど歩く。

上記写真:箱根町観光協会 HPより転載

「九頭龍神社 新宮」

【鎮座地箱根神社境内鎮座(右隣)

御祭神】 九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)

九頭龍神社は、古来、「箱根権現御手洗の池」と称された「芦ノ湖」の守護神・九頭龍大神をお祀りする神社。御祭神の九頭龍大神は、昔から人々に「九頭龍さま」と崇められ、商売繁盛・金運守護・心願成就・良縁成就等に特に御神徳の高い龍神様として信仰されている。鎌倉時代初頭に編纂された箱根神社の縁起『筥根山縁起并序』には、「西汀に驛路あり。毒龍は波を凌ぎ、雲を拏ふ。人民は多く損害を免れず。万巻は彼の深潭に臨んで石臺を築き祷らせしむ。爾しかに毒竜は形を改め、寶珠并びに錫杖水瓶を捧げて乞ひて受降を要す。即ち咒して之を鐵鎖を以て繋ぐ。其の幹を号して栴檀訶羅木と名づく。厥その形は九頭の毒龍なり。」と記されており、芦ノ湖の九頭龍信仰の起源を伝えている。~箱根神社HPより抜粋転載~

上記写真:箱根ナビHPより転載

拝殿の天井画

「九頭龍」(中野嘉之画伯奉納)

九頭龍神甘露の霊水

「箱根神社の龍神水」

境内より湧き出ずるこの霊水は 箱根大神の鎮座す箱根山を源とし 権現御手洗の池と称奉り 九頭龍神が御守護り給う 芦ノ湖を

湧き満たす龍神甘露の水である 故に掌にうけて口を漱げば 一切の不浄を洗い清め 家の神棚に供へて用ふれば 家内清浄縁起の養生となる ~下記案内板より転載~

九つの龍の口から湧水

「成就水盤」

龍神水の隣に設けられた「成就水盤」。「誓願符」に自身の願い事を記し、 次に、その願い事が成就するために自分が成すべき事を誓う「起請文(誓約文)」を続けて書いて、 日付と氏名を記したら、「成就盤」に流す。 龍神水がそそぐ「成就水盤」に納める「誓願符」 は水溶紙。「成就水盤」で溶け流れて芦ノ湖の九頭龍大神に届きます。~箱根神社HPより抜粋転載~

「安産杉」(御神木)の由来

樹齢千年を超えるこの大杉は「安産杉」と呼ばれる御神木。安産杉は昔から幸運の霊妙杉として崇められてきたもので、古来この大樹の根幹は健全なる母体の象徴とみなされて、子孫繁栄を祈る子授け、安産の杉と信仰され、武家や庶民の間で安産祈願は安産杉と、盛んにお参りが行われようになった。鎌倉幕府を開いた源頼朝は当神社をたいへん崇敬し、毎年「二所詣」(箱根伊豆二所権現の参詣)を続けていた。鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には養和2年(1182)8月11日夜、夫人の北条政子が産気づくと頼朝は奉幣使を当神社に派遣し、安産祈願を行なったことが記されており、翌日に頼家(二代将軍)が無事誕生したことを伝えている。また建久3年(1192)8月9日、頼朝は当神社に神馬を奉献して、政子の安産祈願を行ない寛朝(三代将軍)が無事誕生したことも記されている。どちらも当神社での安産祈願の折には安産杉へのお参りが必ず行われている。~下記案内板より抜粋転載~


上記写真:箱根小涌園 天悠HPより転載

「恵比寿社」(箱根七福神)

御祭神】事代主神(ことしろぬしのかみ)


「弁財天社」

御祭神】市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)

「宝物殿」

箱根神社宝物殿は、宝物資料の収蔵展示を目的に明治40年(1907)に開設された博物館施設で、平成19年(2007)正月元旦御鎮座1250年・宝物殿開設100周年を記念して新築・開館された。


「宝物殿」前の狛犬

「平和の鳥居」

湖上の水中鳥居は、上皇陛下の立太子礼と日本の独立(講和条約締結)を奉祝記念して1952年(昭和27)に建立された。1964年(昭和39)に至り、御鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念し、「平和」の扁額が掲げられた。揮毫は、講和条約の全権特命大使として調印した吉田茂元首相の真筆になるもので、それ以来「平和の鳥居」と呼ばれ親しまれている。(鳥居の扁額「平和」の文字は湖に向かって掲げられており、陸からは見ることができない。芦ノ湖遊覧船や箱根観光船に乗船するとみることができる)箱根の中でも‟インスタ映え”スポットとしても人気。平日でも外国人観光客も含め多くの人が訪れている。

湖側から

"平和の扁額"は、芦ノ湖の遊覧船や箱根観光船に乗船すれば、見ることができる。

上記写真:小田急トラベルHPより転載

「箱根湯本」

箱根の森おかだ(足柄下郡箱根町湯本茶屋)


「湯の里おかだ」露天風呂

上記写真:箱根の森おかだHPより転載

 

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