横浜山手散策Ⅰ


BS朝日「バナナマン日村が歩く! ウォーキングのひむ太郎」(2025年9月2日放送)横浜山手町~根岸旭台をウォーキング!

を参考に横浜山手を散策。アメリカ山公園からスタート、アメリカ山公園~横浜地方気象台~港の見える丘公園~岩崎博物館~横浜山手外国人墓地~山手資料館~エリスマン邸&ベーリック・ホール~カトリック山手教会~山手公園・横浜山手テニス発祥記念館~根岸森林公園など異国情緒と歴史と自然を感じながら、ゴールはユーミンの曲にも登場する「カフェ&レストラン ドルフィン」。元町・中華街駅から根岸駅まで歩いてみました💦。 -2025.09.24-

アメリカ山公園(横浜市中区山手町)


みなとみらい線「元町・中華街」駅の駅舎上部を増築し、建物上部を隣接する丘陵地と一体的に整備した、全国初の立体都市公園。横浜開港期の面影をとどめる元町山手地区に位置しており、全国的な知名度を誇る横浜元町商店街や横浜中華街、外国人墓地、山手西洋館群、港の見える丘公園などの観光スポットにも近く、多くの利用者が訪れます。公園内のエレベーターとエスカレーターで、元町エリアと丘の上の山手エリアを結ぶ。~アメリカ山公園HPより抜粋転載~

駅舎の屋上に位置する展望園地の魅力

マリンタワーやベイブリッジ

晴れた日には富士山も望める

「芝生広場」

横浜のシンボル「横浜マリンタワー」を望む

「アメリカ山」

1867(慶応3)年7月25日、現在の山手本通りからワシン坂通りにかけての200区画の競売がおこなわれ、山手地区は外国人居留地として開放された。アメリカ山公園が位置する山手97番地は、以前から、アメリカ公使館の用地として予定されていた。ところが、当時のアメリカ公使ヴァルケンバーグ(R.B. Valkenberg)はこの場所に住むことなく、山手27番地(現在の横浜山手女子中学校・高等学校校地)に自邸を構えたため、公使が住まなくなった山手97番地には、アメリカ公使館の書記官を務めていたポートマン(A.L.C. Portman)が住むようになった。1876(明治9)年からは、山手82番地の横浜一般病院(Yokohama General Hospital、現在の財団法人ブラフ・ホスピタル)で活躍したイギリス人医師ウィーラー(E. Wheeler)が住んでいたが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災でウィーラーは命を落とし、震災後の1925(大正14)年には永代借地権が売却され、以降は民有地となった。終戦後、山手97番地はアメリカ軍によって接収され、敷地内には米軍住宅が建設されたが、1971(昭和46)年に返還を受けて国有地となり、2004(平成16)年に横浜市が国から用地を取得(一部借受)し、このたびアメリカ山公園として整備されることになった。~下記案内板より抜粋転載~

横浜地方気象台(横浜市中区山手町)


横浜地方気象台

<横浜市有形文化財>

1896(明治29)年8月1日に、当時は神奈川県測候所として、海岸通一丁目(山下公園付近)に設立された。1923年(大正12)の関東大震災によって建物がすべて焼失し、現在(山手町)の建物は1927年(昭和2)に建設され、同11月より業務を開始。この建築様式は1920年~1930年頃に流行したアール・デコと呼ばれる装飾様式で、その面影は玄関上の装飾部分や柱の幾何学模様に見られる。~横浜地方気象台HPより抜粋転載~

当時、設計を担当したのはに神奈川県営繕管財課の繁野繁造氏。関東大震災の震災復興建築であったことから簡素なつくりではあるが、アール・デコ的なデザインが施された玄関部分など、時代的な特徴を残す建物。2007年(平成19)、建築家安藤忠雄氏の設計により既存の本庁舎改修と耐震補強のほか、敷地内に新たに第2庁舎を増築。

庁舎の玄関ポーチ

「阿部式電気時計」


「旧所長室」

港の見える丘公園(横浜市中区山手町)


展望台の側へ向いて置かれたベンチからは、MM21・大さん橋・横浜ベイブリッジまで横浜港を一望。この一帯は開港当時外国人居留地で、丘の上にイギリス軍、下にフランス軍が駐屯していた場所です。接収解除後、地元の要望により国有地の無償貸付を受けるなど公園として用地の取得が行われ、昭和36年(1961)から整備に入り、昭和37年(1962)5月に風致公園として開園。以来、フランス領事館跡地のフランス山地域、イギリスの総領事官邸であったイギリス館、昭和53年(1978)に大仏次郎記念館、昭和59年(1984)に近代文学館など文化の香り高い施設が次々とオープン。また同年に人形の家とフランス山を結ぶ「フランス橋」が開通、昭和61年(1986)10月には大仏次郎記念館と近代文学館を結ぶ「霧笛橋」が両館と同じ浦辺鎮太郎氏の設計により開通している。平成3年(1991)5月には、市の花であるバラの制定記念として、約110種1,300株のバラ園が公開された。平成28年(2016)4月1日に緑化工事が終わり、今までバラ園であったエリアは「イングリッシュローズの庭」としてリニューアルオープン。イギリス館を背景にバラ植栽を主とした英国風の庭をテーマに一年草と宿根草との混植のガーデンとなり、四季を通していろいろなバラや草花が咲き競う。また、沈床花壇は「香りの庭」として沈床花壇としての地形を活かしながら四季を通してバラや草花、花木の香りと彩りを楽しめる。~横浜市HPより抜粋転載~

港の見える丘公園案内図

上記案内図:横浜市HPより転載

「ローズガーデン」と

奥の「大佛次郎記念館」

大佛次郎記念館(横浜市中区山手町)


「大佛次郞記念館」

大佛 次郞(おさらぎ じろう):[1897年(明治30年)10月9日~1973年(昭和48年)4月30日]本名・野尻 清彦。横浜市生まれ。東京帝国大学法学部政治学科卒業。「鞍馬天狗」をはじめ「赤穂浪士」、「帰郷」、「パリ燃ゆ」「天皇の世紀」「スイッチョねこ」など、時代小説から現代小説、ノンフィクション、戯曲、エッセイ、童話と幅広く執筆活動を行った。1964年に文化勲章を受章。代表作のひとつ「霧笛」ゆかりの地に建つ当館では、その業績と生涯をさまざまな資料で紹介。建物は洋風建築で色ガラスの青、大理石の白、レンガタイルの赤とフランス国旗をイメージし、フランス文学に造詣が深い大佛に相応しいものとなっている。また愛猫家としても知られ、大佛が集めた猫の置物等は、館内随所に見られる。~下記案内板より抜粋転載~

建物の設計は、倉敷出身で大原美術館分館を設計したことでも知られる浦辺鎮太郎(うらべしずたろう)によるもので、青いステンドグラス、白い壁、レンガタイルの赤は、フランス国旗の三色をイメージしている。1978年度、神奈川県下建築コンク-ル最優秀賞を、翌年の1979年には、第20回建築業協会賞(BCS賞)を受賞。~大佛次郎記念館HPより抜粋転載~

「ティールーム霧笛」

大佛次郎の小説のタイトルにちなみ、大佛夫人によって命名された「ティールーム霧笛」。訪れる人がほっと安らげ、時間の流れを忘れるような居心地の良い喫茶室。店の正面には港の見える丘公園の沈床花壇、窓からは横浜港を望む絶好のロケーションで、ここ港町・横浜の四季の移ろいを楽しむことができる。愛猫家だった大佛次郎にちなみ、店内には猫モチーフの絵画や置物が多く飾られている。中には大佛次郎が所蔵していた品も。入口脇では、彫刻家・佐藤忠良により制作された猫の像が、出迎えている。~大佛次郎記念館HPより抜粋転載~


イギリス館(横浜市中区山手町)


「イギリス館」

昭和12年(1937)、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として現在地に建てられた。鉄筋コンクリート2階建てで、広い敷地と建物規模をもつ。昭和44年(1969)に横浜市が取得、1階のホールはコンサートに、2階の集会室は会議等に利用されている。また、平成14(2002)からは、2階の展示室と復元された寝室を一般公開している。~イギリス館HPより抜粋転載~ ※訪問した日は休館日でした😢。

上記写真:イギリス館HPより転載

「イギリス館」横にある「噴水広場」

「噴水広場」の水が流れ落ちる

岩崎博物館(横浜市中区山手町)


この地は「横浜本町通りゲーテ座」(1870/明治3年創立) の創始者、オランダ人ヘフトに続いて、 横浜在住外国人達の発案のもとに、フランス人建築家サルダの設計によって1885(明治18)年に建てられた商業劇場ゲーテ座の跡地の一部。(語源:ゲィティ=英語・Gaiety=陽気な)シェークスピアの『ハムレット』など、西洋人による生の西洋演劇に触れることのできる当時唯一の劇場として、日本の近代演劇史に残した足跡は大きなものがあり、小山内薫・北村透谷らが足茂く通ってきた地でもある。1923(大正12)年、関東大震災によって「ゲーテ座」は崩壊。1980(昭和55)年、横浜山手の丘に建設された現在の建物は、 学校法人岩崎学園横浜洋裁学院(現:横浜fカレッジ)の創立50周年記念事業の一貫として、服飾関係の資料、収集品を中心に展示する博物館として出発。~岩崎博物館HPより抜粋転載~

「ゲーテ座跡」

明治18年(1885)4月、この地に居留外国人のための劇場「パブリックホール」が開場した。アマチュア劇団の芝居、音楽会等様々な催し物が行われた。設計はフランス人ポール=ピエール・サルダで、建坪270坪、地上2階地下1階の赤レンガ造りであった。明治41年(1908)11月、「ゲーテ座」 と改名した。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊するまで外国人の社交場でもあった。この前身は、オランダ人へフトにより明治3年(1870)現山下町68番地に開設された「ゲーテ座」 と名づけられた劇場である。(財)横浜観光コンベンション・ビューロー 横浜市 ~下記案内板より抜粋転載~